ゆめうつつ

刀剣乱舞・文豪とアルケミスト関連の二次小説。主にコメディ中心。

足利の地に生まれ出でし

【注】 刀剣乱舞に実装されていない刀が出ます。史実捏造注意。

 

 暗き室の奥で赤々と燃え上がる焔が浮かび上がる。

 その煌々と輝きながら燃え盛る炎の中へとうの昔に老境へとさしかかった男が真剣な面持ちで鉄の棒を差し入れていた。

 炎の赤を瞳に映し、ただ瞬くのも忘れて赤く燃えるホドの内の一点を注視する。

 鉄の棒の上に慎重に載せられた上質の玉鋼は高温の炎に熱せられ、銀を帯びた黒から熱を帯びた赤色へ、そして輝くばかりの黄色へと変化していく。

 男の顎から汗がしたたり落ちる。だがその汗すらぬぐおうともせず、ただじっと動かずにその時を待っていた。

 聞こえる音は熱せられてはぜる木炭の火のかすかな音のみ。

 声もない、わずかな物音すら立てるのにもはばかられる。緊張で張りつめられたその空間。

 息をするのも気が咎めるその場所に、彼は在った。

 正確に言えばそこには存在しない。彼の本体は遠く相模の国に彼を今所有する主とともにある。

 だが引き寄せられるように気づけば意識だけがここに飛んでいた。

 そしてこのほの暗く熱いこの部屋で炎を見ている。

 炎の中を眇めるように見ていた男の眼が瞬時に見開かれた。それと同時に勢いよく炎の中から手にした棒が引き抜かれる。

 先端に置かれた玉鋼は溶けて元の形を失い、輝いている。沸きあがったそれを待ち構えていたかのように男とその弟子たちが勢いよく大槌で叩き形を整えていった。適切な熱を帯びている時が勝負だ。その時間はわずかでしかない。

 初めは少しずつ軽く、鋼が全体に馴染んできたら力強く早打ちに切り替える。

 大槌が玉鋼の塊に振り下ろされるたびに火花が飛び散る。金属の塊でしかなかった鋼は熱を帯びて打ち込まれることにより命を吹き込まれてゆく。

 匠と呼ばれる男のその眼には誰も触れることのできない気迫がこもっていた。京よりもはるか遠くから流れ流れて何の縁かこの地に呼び寄せられ槌を振るっている。

 その流転の先で積み重ねてきた技術の粋を渾身の力を込めてこの鋼へ打ち付けて。

 春先とはいえ山間のこの地はまだ冬の気配は過ぎ去ってはいない。戸口の向こうは凍える寒さのはずなのに、この部屋の中だけは汗がとめどなく流れる熱気に満ち溢れていた。

 外のことなどかかわりなどないと言わんばかりに、彼は自分が生み出そうとしているその熱い塊だけを意識しているだけだ。

 人でありながらその集中力は敬意に値する。

 やがて慎重に時間をかけて沸かし終えた鋼は金敷の上に置かれた。

 横座に座った男の持つ小槌の音を合図に若い衆が調子を合わせて槌を振るい、打ち鍛えていく。

 溶けて固まっていた鋼は打ち延ばされ、再び炎にくべられながら折り曲げられてゆき、その質を粘り強く変性させてゆく。

 どの過程も手を抜くことは許されない。一度でも気を抜けばそれは出来上がる前にあっけなく折れるだろう。

 彼は表情を変えぬまま、腕を組んでかすかに首を傾けた。

 この場所から幾振りも彼と同じ存在が生み出されてきた。なぜ今に至ってここに呼ばれたのか。

 なぜだかひきつけられるのだ、この鋼の塊に。

 これより生み出される何かに。

 目を細めた彼はおぼろげながら気づいた。

 これから自分にとって大事な何かを見届けるために、ただここに在る。

 その鋼もまた徐々に形を変えてゆく。炉で熱せられ沸かされるたびに打ち延ばされ、打ち下ろされる槌の力加減だけで細く長く、鋼は男が思い描くそれに形作られる。

 幾度も繰り返されるその工程を経て鋼の塊だったそれは、刀と呼ばれる一振りに鍛えあげられてゆく。

 鋭利で豪壮な切先をつけ、先ほどよりも低い温度で刀の形を整える。繊細なその作業は若い衆に任せずにこの男がやるようだ。

 鉄と鉄が打ち付けあう甲高い音が部屋の中に響く。

 力強さと繊細さと容易に両立しえないその二つをその一打に込められるこの男はおそらく相当の腕を持つのだろう。自分を生み出した古き時代の刀匠とその実力は比類なくあるはずだ。

 ただあの頃とはだいぶ刀打ちの技術も進んだようだが。

 彼が目を細めてその作業を見つめているさなか、まだ形の定まらぬ素の刀が不意に揺らめいた。刀身から立ち上った白い陽炎。だがそれは瞬く間に消え去った。

 錯覚か。彼は軽く瞬きをして鈍い輝きすらないその刀身を見つめる。

 槌を振るう人間の男は気づいていない。一心不乱に脇目も振らず、刀に打ち付けている。

 彼はその刀身をじっと見つめながら目を眇めた。もうなにも変わったところは見受けられない。それはただ見間違いだったのだろう。

 打ち付ける音がやんだ。槌を下に置き、打ちあがった刀を男は切先を上にして宙に掲げた。その刃先を上から下へとゆっくりと眺め、再び鋭い切先へと戻ったところで男の目がかすかに笑った。

 おそらく満足のゆく出来になったのだろう。

 両手持ちの包丁のような道具で刀身の形を整えると、焼き入れのための焼刃土が置かれてゆく。刀の特徴でもある刃文を刻むこの作業は刀匠たちの腕の見せ所でもあるのだ。大きく波打つように土が置かれてゆく。

 炎の燃え上がる炉の中へ刀身がゆっくりとおさめられてゆく。赤く色を変えてゆく切先を見ながら男は徐々に刀を奥へと入れた。細かく送られる風で炎の強さを調整しながら、その刀は赤らんでゆく。

 赤く熱せられた刀を引き出すや否や、一気にためらいもなく水槽の中へ投入した。激しいおとともに立ち上る白い煙。

 焼かれた土が落とされると、その刀身には華やかに波打つ刃文が現れた。

 一振りの刀が徐々にその姿を現してゆく。

 焼き上げられて刀にわずかに残る傷なども直されてから、最後の仕上げ、鍛冶研ぎへとなる。望みどおりの刀となるか、使えぬ傷物であるか、それは研ぎあげてみないと誰にもわからない。

 だが彼にはもうわかっていた。

 刀としてのその格を。おそらくこの時代を代表する刀となりうるだろう。

 それよりも気にかかることがあった。

 似ているのだ。形が。自分の本体であるその刀に。

 刃文や反りの具合など細かいところを見れば確かに違う。だが全体の雰囲気というものはそれだけ違うにもかかわらず似ていると感じられる。

 彼は目の前で刀を研ぐ男を眺めおろした。

 見覚えのあるこの老人。そういえば主がこの者に己の本体を見せていたなと。

 この男が作っているのは自分の写しの刀。それもただ写すだけではない。本科すらも超えようかという意思を全霊全身込めて打ち上げた。人であれば明日にも命燃え尽きてもおかしくはない年なのに、この老人はどこにそのような力があるのかと思うほど力を込めて熱を帯びた金属を叩き続けていた。己の命すらもその新しき刀へ注ぎ込むかのように。

 彼はすっと目を閉じた。そして口元は何かおかしいのか軽く笑む。

 これほどの力のある刀匠に打たれた刀だ。常ならばあまたもの年月を越えなければ物には生じない魂というものがそこに宿る理由。

 まだ若い、人であれば赤子のような刀に寄り添うように見えたその存在。

 常人であれば見ることも存在すらも感じられないほどまだ儚い。だが同じ刀である彼ならばそれをはっきりと認識することができた。

 薄く目を見開き、それをまっすぐ見やる。

 陽光が降り注いだかのような金の髪がまず目に入る。彼の視線に気づいたのか、うつろだったその目がすっと上げられた。青と翠が溶けあったかのような宝玉のような瞳。まだ幼子の姿をしたそれは今自分がなぜここに在るのかわからぬといった風情でこちらを見上げている。

 そうか、やっとわかった。

 なぜ己の刀を離れて魂だけがこの足利の地に舞い戻ったのかが。

 長義という名を与えられた刀の付喪神たる彼は己の写しとしてこの世に送り出された若い刀の子の傍に歩み寄った。

 一歩彼が足を踏み出した時、刀の子は小さく肩を揺らしたが、すぐさま毅然としたまなざしで彼を見つめ返した。強い目だ。それでなくては、と彼は思う。

 彼は手を伸ばした。その流れ落ちる髪に触れ、そっとその頬を撫でる。

 同じ刀派というわけではない。自分は長船に属する刀で、この若い刀はおそらくそこの男の名を取って違う名を与えられるに違いない。だが刀の姿を写しとったというその一点において、自分とこの者の魂はどこかも相通じるものがある。

 彼は触れた手を放した。

 そうかこれを見届けるために呼ばれたのだ。

 自分の写したる刀が鍛え上げられるその様を。

 そして足利の地に生まれ出でし君に出会うために。

 どこからか戦のざわめきが聞こえる。ここではない。ならば主のいる小田原はまた新たな敵の動きが出ているのだろうか。

 彼、長義は立ち上がると、研ぎあがって丁寧におかれた己の刀のそばで身じろぎもしないで立ち尽くすその子に言葉をかけた。

「もうすぐ戦が始まる。お前とともに戦える日を待っているからな」 

 濡れた青翠色のその眼を軽く見開いたまま、その子は小さく頷く。それを横目で見て、満足げに笑いながら長義は己の本体の元へと戻るために姿を消した。

 

 

 天正18年弐月吉日。

 山姥切長義の写しとして打たれたその刀は本科と同じ号を与えられ、山姥切国広と呼ばれるようになる。

 写しの刀として人に本科と比較され続けることとなるのはまたのちの話である。

 

 

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