ゆめうつつ

刀剣乱舞・文豪とアルケミスト関連の二次小説。主にコメディ中心。

江戸城 ~蔵の一振り~

「また今年も政府は厄介なものを本丸に送り込んできてくれたな」

 縁側の廊下でしかめっ面で腕を組んだへし切長谷部は庭先を忌まわしげに睥睨した。

 春の訪れをいち早く告げる桜の花も今年は慌ただしく散っていった。

 今の季節、いつもならば本丸の縁側に暖か陽だまりにどこからか住みついた小動物たちが丸くなっていた。鮮やかな若葉が萌えいずる新緑の庭は広々とその青さを映し出している、そのはずだった。たしかに昨日までは。

 長谷部が立つその場所は薄暗く短刀たちが戯れに駆けまわれるほどの広さの草地には確実になかったものがそびえたっていた。

 目は冷ややかだが明らかに頬はひきつらせた長谷部は陽の光すら遮るその巨大な建造物を見上げた。

 黒塗りの重厚な扉で閉ざされた分厚い白壁のいかにも頑丈だと言わんばかりの蔵。深みのある黒艶の瓦は蔵そのものの存在感を威圧的に示すがごとく重々しく黒光りをして頭上高く煌めいている。

「毎度のことだが一体政府はこんな馬鹿でかいものをどうやって本丸に出現させているのか」

 呆れた口調でつぶやいた長谷部は疲れたように肩を落とした。

「あんた、さっきまでこの部屋で仕事をしていただろう。それなのに今回も気付かなかったのか」

 長谷部の隣で無表情に蔵を見上げていた山姥切が視線を向けて何気なく尋ねてくる。

「ああ」

「別にあんたをせめているわけじゃない。俺も気付かなかったからな。しかしどうやってここに運び込んだのか」

 その問いに悪気はない。察知できなかったことを咎めているわけではなく、ただ本当に疑問に思っているだけのようだ。

 この本丸では蔵は毎度この審神者の部屋に面した広い庭の中央にいきなり出現していた。誰にも知られずに、いつの間にかそこにある。そして蔵がそびえる時に必ず近くにいるのは審神者の部屋の隣の仕事部屋に毎夜のようにこもって仕事をしている長谷部に他ならなかったからだ。

 山姥切の問いに長谷部は忌々しげに吐き捨てる。

「そんなこと俺が知るか。昼餉からこの部屋に戻って来た時には確実になかった。風が少しあったからな、書類が飛ぶとまずいと思って障子は締めて仕事をしていた。だから俺はこの眼でこれが出現したところを見たわけではない」

 幻であればどれだけ良いか。だがこれは現実を突きつけるがごとく彼らの目の前にがんとしてそびえ立ち、決して消えさることはなかった。

 腕を組んだ姿勢のまま長谷部はこれを発見した時のことに思いをはせた。

 

 

 あれは昨日の夕刻ぐらいだったか。陽が傾きかけて閉ざした建具の隙間から涼しげな空気が入り込んでくる刻限だった。朝には山積みだった書類もその頃にはだいぶ片付いていた。

 いつもと変わらぬ穏やかな本丸の一日の終わり。そしてそのまま夜のとばりが訪れにぎやかな本丸も静けさがおとずれるはずだった。だがそれは不意に断たれる。

 障子の向こうから透かすように照らしていた夕日の光が不意に翳った。

 手元が急に薄暗くなったのを察した長谷部は何事かと顔を上げた。曇ったわけではない。一瞬にして辺りが闇に落ちた、そんな不自然さがあった。

 何かあったのかと書き物をしていた横に筆を置いて、傍らに立てかけてある刀を鞘ごと無意識のうちに掴む。

 薄い一枚の戸の向こう側、何かがおかしい。先ほどにまでなかった異様な気配を感じられる。

 本丸に敵襲か。まさかとすぐ打ち消す。だとしたらあまりに静かすぎる。この本丸には自分の他にも幾人もの刀剣男士が留守を預かっている。もし敵襲だとしたらここにいる奴らの誰もが気づかないのはおかしい。

 眉根を寄せて目を細めると鯉口に指先を当てたまま、外界とを隔てる障子の取っ手に手をかけた。万が一とあらばすぐさま鞘を払って刀を引き抜ける体勢を取れるように。

 本当にこの異常に誰も気付いてはいないのか。近くで騒ぎ立てている様子は聴こえない。だが今ここで不用意に皆に知らせようと声を張り上げても、それが敵に知られれば元も子もない。

 幸いにも主は今この部屋から離れた場所にいるはずだ。先ほど鍛刀場へ向かわれた。

 それに主にはいつも必ず誰かが付き添っている。今日の近侍はにっかり青江か。多少言動に主に悪影響を及ぼす不安要素はあるが、いくらあいつでも緊急事態となればさすがにふざけたことはしないだろう。それにあいつはなぜか妙に勘がいい。これが良いものか良くないものかは俺よりも判別できるはずだ。

 時間遡行軍か、それとも本丸に入り込んできた悪霊のたぐいか。

 稀人とされる審神者を狙う異形の存在は多い。特に我が主は霊力は高いのに自身を守る戦う術を持たないためか、奴らには容易と思われ狙われやすい。そのために結界を張ってはいるのだが、それも完ぺきではない。

 しかしどうにもおかしい。扉に手をかけたまま長谷部はしばし立ち止まる。

(異様な気配は確かにある。だが外でなにかが動いている様子は感じられないが・・・)

 心の内で不可解なと首をかしげた。

 だがすぐさま顔を引き締めるとやや腰を落としていつでも飛び出せる体勢を取り、厳しい顔つきで一気に障子を開け放った。

 目に飛び込んできた光景に、抜刀しかけた手の動きがぴたりと止まる。

 そこにあったのは黒い巨大な建造物だった。本丸の建物に迫るかのようにぎりぎりにそびえるそれはどう見ても蔵。頑丈でたとえ燃え盛る炎にのまれようともびくともしないであろう頑丈な蔵だ。

 大きな蔵が横に四つ並んでいる。おかげで広いはずの庭も窮屈になり、遠景となる山々や森も全く見えない。長谷部から見えるのはこちらに威圧を持って立ちふさがる蔵しかない。

 蔵の扉には頑丈な鍵がかけられていたが左端の一つにはなぜか鍵がかかっておらず、わずかに分厚い扉が開かれていた。その隙間からちらりと見えたのは黒漆の塗られたこれまた頑丈そうな木箱。

 蔵に鍵、箱ときて長谷部の脳裡に瞬時に何かの思い出がよみがえってきた。反射的に顔をしかめて、盛大に舌打ちをする。

「この蔵は政府の差し金だな。また面倒なものを」

 

 

「それで今回の任務は江戸城の鍵集めか」

 事情を伝えた主から預かった政府の通達書を山姥切がはらはらと両手で広げる。両手で広げてもその端は床に今にも付きそうなほど長い。だが文章が無駄に長いわりには儀式的な言葉に彩られるばかりで書かれている内容にはほとんど意味はなかった。

 江戸城に赴く任務はこの本丸では初めてではない。当然政府から与えられる情報もさして目新しいものもなく、山姥切は目で流すように確認しながら必要なところだけを拾いながら素早く読み飛ばしているようだ。

「それで今度はどんな刀が蔵の中に封じられているんだ?」

 長谷部の問いに彼はちらりと視線を上げると、手にした書状のある一点を指さした。

「多分これだろう。銘は・・・南泉一文字、刀種は打刀とあるが」

「ほう、一文字か。その刀派の刀が顕現するのは初めてだな」

 村正、長船、粟田口と既存の刀派に属する刀か全く無名の刀のどちらかで新たな顕現が続いていたがここにきて新しい刀派とは。

(新たな刀を持って戦力をさらに増強させようとする政府の意図は何だ?)

 これだけ刀をそろえたにもかかわらずまだ戦力的に足りないと政府は判断しているのか。それとも、これからの戦いに備えさらに戦力が必要だとでも言うのか。

 これだけ情報で状況を推察するあまりに証拠が少なすぎる。しばし考え込んだ長谷部は別の見解による意見を聞こうとこの本丸の戦事を任されている山姥切に声をかけた。

「山姥切、現在の戦況から推察して貴様はこれからの戦いをどう考えて・・・」

 問いかけてそちらに目を向けた長谷部ははっと目を見開いた。

 黒く澱んだ陰鬱な気がどんよりと澱めいている。発しているのは先ほどまで普通に話していたはずの山姥切だった。

 頭をうなだれ陰気な気配を漂わせた彼は書状を手にしたまま自分の世界に入り込んでいるのか動こうとはしない。

 またか、という思いがすぐさま頭をよぎる。不機嫌さを隠さず長谷部は嫌そうに顔をしかめた。

(またこいつは新しいやつが名刀だとか余計なことを考えているな)

 新しい刀が来るという情報が入るたびにこれだ。もう何十回も同じことを繰り返している以上さすがに慣れないのか。いや、いい加減あきらめるか吹っ切れるかすればいいだろうと幾度思ったことか。

 だが相手が落ち込んでいるかといって甘やかすような言葉をかける長谷部ではない。勝手にしろとばかりに口を閉ざす。

 相手に対して親身に接する一期一振や燭台切光忠ならともかく、主第一の長谷部は同じ刀相手にはあえて厳しい態度を取る。本丸の規律を守るには厳しく取り締まる者がいなくてはいけない、それは主に絶対の忠誠を誓う自分しかいないと自負している。

 だから今も勝手に落ち込む山姥切のことはさっさと切り捨てて放置する。下手に声をかけるとこいつは変な解釈を起こしてさらに落ち込むと経験上わかりきっていた。

 それに最初から長谷部は山姥切に対してだけは優しくするつもりなどない。そこには多分主からの信頼をもっとも受けているであろう山姥切に対する多少のわだかまりが潜んでいることは否めなかったが。

 しかしいまはこいつのことよりも目の前のこの蔵の件が先だ。

 長谷部はその刀の情報を今一度思い返す。一文字が一振り。たしか備前の流れをくむ刀派のはずだ。

 蔵の中に眠る刀。長い眠りから解き放たれた時、どのような姿で顕現するのか。

「この蔵にいる刀は前回も前々回も、一筋縄では測れない妙な性格を抱き合わせにした奴らだったがまさか今度もではないだろうな」

 蔵の箱の中で嬉しげに笑い続けていた村正。美に裏打ちされた審美眼を持ちながら世間一般に対する常識がどこかずれた大般若。今までの経験上どうもこの蔵の中からは普通の刀は出てこない予感がする。

(扱いにくい刀だからこそこの蔵に押し込められて送り出されているというわけではないだろうな)

 顎に手を当てて考え込んでいると、どこからか動物の鳴き声が聞こえた気がした。気のせいかと思ったら、時間を置いてまた聞こえた。

 か細いその声は長谷部たちのいる本丸の母屋からではなく、庭の方から聞こえてくる。

 低いところから空へと伸びあがる声は人のそれではなく、まるでこれは。

「・・・猫?」

 どんよりとした顔をしていたはずの山姥切もはっとして顔を上げた。確信を持てずにつぶやいた言葉に、長谷部も耳を澄ます。

 また聞こえる。こんどはっきりとにゃーんと。

「確かに猫だな」

 猫の声は明らかに蔵の中から聞こえてきた。本丸の猫が迷い込んだかとも思われたが、いると思われる蔵は鍵がない以上立ち入ることはできない。

 二振りは堅く閉ざされたその扉をじっと見つめる。

「迷い込んで入り込んだりとかはないのか」

「どう見ても入り口がない以上あり得ないだろう」

「最初から蔵に閉じ込められて送られてきたというのは」

「だとしたら俺たちが負うことではない。それは間違って一緒に扉を閉めてしまった政府の責任だ」

 声は四つあるうちの右端の蔵、一番鍵が頑丈にかけられたその扉の向こうから聞こえる気がした。猫と思ったその声は聞いているとどうも猫とは思えない。

 ひんやりと首筋を撫でた風の冷たさに、長谷部は顔をしかめる。

「嫌な予感しかしないな」

 どうにも厄介ごとが舞い込んできたとしか思えない。

 耳を澄ましてよく聞けばその声は出せと叫んでいるような。

 関わりあうつもりはないと背を向けるように踵を返した長谷部に、山姥切はあわてて声をかける。

「おい、このままにするのか」

「今の我々ではどうにもできないだろう。助けたいと思うのであれば、貴様がさっさと部隊を編成して鍵でも何でも取ってくればいい。俺はどうにもその声が普通の猫のものだとは思えんからな」

 長谷部の言葉に彼もまた思うところがあったのか、目を細めて何やら考え込む様子でじっと蔵の方を見つめて追ってはこなかった。

 これにばかり構っている暇はないと長谷部は意識を切り替える。

(さて、先ほど仕上げた備蓄管理の書類を持って主のところへ参らねば)

 厄介なものを押し付けられて遅れてしまったが、本丸にはまだまだやらねばならないことがある。すっかり予定を乱された山積みの仕事を片付けるために長谷部は自室へと戻って行った。