ゆめうつつ

刀剣乱舞・文豪とアルケミスト関連の二次小説。主にコメディ中心。

返礼① ~山姥切・三日月~

 【注】最後にほんわかみかんば要素あります。

  でも付き合ってはいません。しかも片方は現状をよくわかってません。

  苦手な人は積極的な回避を

 

「国広や、そこにおったか」

 本丸の庭に面した縁側の廊下を山姥切国広がぼんやりと歩いていると、三日月宗近に見つかってしまった。

 今日は朝からふらふらとどこかへ消えた主を探して本丸中を駆け回るはめになり、やっと見つけて連れて帰れば仕事部屋の机の上には未完成の報告書が山積み。今まで急ぎのものだけでもと長谷部にせかされてやっと終わらせたところだ。

 肩が重くなるほど疲れているこの状況でとても三日月の相手までする気力もなかったが、見つかった以上逃げるわけにもいかないだろう。小さくため息をつき、けだるげに返事をする。

「今日は何の用だ、三日月」

 こぼれる言葉すらも重くなる。

 廊下の向こうから風呂敷に包まれた荷物を大事そうに抱えながら、いつも常に変わらぬ朗らかな笑顔でこちらにゆったりと歩いてきた。

 そこで彼の衣装に気づいて軽く目を見開いた。ニットのような服の上になぜか甚平を羽織るという独特すぎる本丸の内番服ではない。

 ゆっくりとしたその動きに合わせてひらりと艶のある狩衣の長い袂が揺れている。

「あんた、今日は出陣の予定はなかったはずだろ」

 なんで戦装束なんだと言いかけて、濃き青の狩衣こそまとっているが防具は身に着けていないのに気付く。

 山姥切の視線に気づいて三日月は自身の衣装を両腕を軽く上にあげて見回した。

「これか。短刀の子らに誘われて一緒に万屋に行ってきたのだ。外へ出るのならおしゃれとやらをせねばならぬと言われたのでな」

「・・・ああ、あの内番衣装で人目のある街の方へ行くのはさすがに俺でもどうかと思う」

 三日月がこの本丸へ顕現して初めてその内番衣装とやらを見たときは驚いた。天下五剣で最も美しい刀というにふさわしい戦装束で顕現した時の麗しさが与えた皆の印象をすべて打ち砕いた。特に身だしなみにこだわりの強い加州や乱などは目にした現実を信じられずにしばらく衝撃から立ち直れなかったくらいだ。

 万屋はこの本丸とつながるどこかの空間に存在する街にある。だがどの時代にもつながらない、政府が作り出した異なる存在の場所だ。どこからか空間を越えてほかの場所から人や刀もやってくる。

 そんなところで三日月にあの衣装で歩かせるのは同行者達の方が酷だ。好奇入り混じった視線を引きつけるのは間違いない。

 春の陽気を運ぶそよ風が二人のいる廊下を軽やかに吹き抜けた。

 どこからか運ばれてきた花の香。目の前の彼はまるではるか昔の平安貴族のような優雅さで微笑む。

 三日月の狩衣の重ねがふわりと浮きあがる。そのさりげない一瞬が千年の長き時を存在してきた刀の姿を一枚の華麗な絵のように見せつける。

 やはり違う。天下五剣は。

 不意に甘く、そしてほのかな苦みの味が口の中に甦る。

(やはりあの時、少しでもこの類いまれな名刀に俺が写しの近づけたと思ったのは俺の勝手な思い込みだった・・・)

 急に気恥ずかしくなって頭にかぶった布を無造作につかんで目元を隠すように引き下ろした。これ以上は目を合わせられない。

 いきなり布で目線を隠してしまった山姥切の様子の変化に気づいた三日月が、顔を寄せて近づいてきた。

「なぜ顔を隠す。それではそなたの顔が見れないではないか」

「み、見る必要なんかないだろ!」

 どう考えても近すぎだろうが。

 審神者から与えらえた人の器は本体の刀の大きさに影響されやすい。あいつは太刀だから、打刀の自分よりも並べば目線が違うくらいは背が高かった。触れられるほど近い距離になると、俺が目線を上げなければ三日月の顔は見えない。

 見上げれば見えてしまう。あの瞳に映る夜の闇に浮かんだ金の月が。

 俺を見下ろすあいつはいつも余裕の表情で、口元はゆったりと微笑んでいる。まるで戸惑う俺を愉しんでいるかのよう。

 それがいつも締め付けるほど胸を掻き立たせ、俺を心の奥底から訳もわからず苛立たせる。

 力任せに両手を前に突き出した山姥切は、三日月の胸を強引に押しのけて無理やり距離を取った。

「用があるならさっさと言え。俺だって暇じゃないんだ!」

「なに、これをそなたと食べようと思ってな。万屋で買ってきたのだ」

 絹鳴りの音をさせて三日月は抱えていた風呂敷包みをほどいた。中からあらわれた春らしい花を散らした文様の紙の箱を掲げ、山姥切に見せるように蓋を開いた。

 ふんわりと控えめな甘い香りが鼻腔をくすぐる。その中にはそれぞれに季節をかたどった和菓子がきれいに並んでいた。

「菓子?」

「ああ、万屋で売っていた限定物だそうだ。人気があるのですぐ売り切れてしまうそうだぞ。ちょうどよい茶葉もある、これで一緒に茶でも飲まないか?」

 「別に俺なんかじゃなくて誘うならほかの奴らの方が・・・」

 ちょうどその時、山姥切の言葉を遮って大きな腹の虫がなった。

 その音が自分のだと気付いた瞬間に恥ずかしさで顔が赤くなる。三日月はと言えばその威勢の良い大きさに驚いて目を丸くしたものの、すぐ袂を口元に当てて目元を笑ませた。

「腹が空いておるならよいではないか。いくらでもある、好きなだけ食べておくれ。これはそなたのために買ってきたものだ」

「え、俺のためとはどういうことだ?」

 だが三日月は軽く笑っただけで、箱を手にしたまま自分の部屋の方へと歩き出した。

「理由が聞きたいなら茶を飲みながらでもいいだろう。せっかくの小春日和だ、花を愛でながらでもよいな」

 

 

 気づけばいつの間にか三日月に流されている自分が嫌だ。あいつが顕現してからいつもこうやってずるずると。

 うなだれて深くため息をついて山姥切は考えこんだ。

(なんであいつは俺を構うんだ。俺なんかといたって何が面白いんだか)

 縁側に置かれた座布団におとなしく座りながら、ぼんやりと庭の梅の花を眺めていた。

 そういえばいつの間に花など咲いたのだろう。ついこの間までは雪も降り積もっていたはずだったが。固い蕾も陽気に誘われてほころんだのか。気づけばあっという間に春の気配が本丸を包み込んでいた。

 知らなかったということはそれだけ自分が主を補佐する仕事に追われて周りを見ていなかった証拠というわけか。

 背後に気配を感じて後ろを振り返った。かすかに板の間が足の重みできしむ。

「なかなか良い景色だろうここは。日差しがほどよく暖かく差し込んでな、のんびりできる俺の気に入りの場所だ」

 木の丸い盆の上に急須や湯呑を乗せて三日月が帰ってきた。厨房へ茶に必要なものを取りに行ってきたのだ。

「悪い、あんたに取りに行かせてしまって」

 手伝おうと腰を浮かせかけた山姥切をさりげないしぐさで三日月は止めた。

「かまわぬ。俺が誘ったのだ、そなたはそこへ座って待っていればよい。それにだいぶ疲れがたまっておるようだからな。何事も真面目なのがお主のよきところではあるが、たまには休む時間も必要だぞ」

 のんびりとした手つきで急須から茶が湯呑に注がれる。縁側でゆったりと茶を入れるしぐさを見ていれば、三日月のその細く長い指先がとても戦場で一刀のもとに敵を屠る太刀を握るのだとは思えないだろう。

 湯呑を差し出されて戸惑いながらも受け取る。ほんの少しだけ口につけたがすぐ膝に置いて湯呑を両の手で抱え込んだ。ぎゅっと湯呑を手のひらで包み込む。

「甘味は疲労を回復させるのにも効果があると誰かが言っておったが。今のお主にはこちらのほうが必要やもしれぬな。遠慮なく食べるがよい」

 山姥切の隣に自分の座布団を置いて腰を下ろした三日月が先ほどの菓子の箱を差し出した。春を彩る草花が箱の中で可憐に咲いている。

「白のかわいらしい花形が梅、緑の野に黄色を散らしたのが菜の花、ほのかな薄桃色で丸いのが桃。菓子で四季を表すなど人はよく考えたものよ」

「目で楽しむのもいいかもしれないが、どうせ菓子だろう。食べてしまったらどんな形をしてようが同じだ」

 「国広らしいな。だがその言葉、歌仙が聞いたら卒倒するぞ」

 さもおかしそうに三日月が笑う。

 なおも手を出さずにいると遠慮するなと言わんばかりに、すっとさらに自分の方へ箱が寄せられた。確かに腹も減っているし、三日月に気を使われるのも不本意だがここはその好意をありがたく受け取ることにした。

 箱の中の菓子のどれにするかしばし考えたが、そのうち取りやすそうな一つを無造作に手でつかみとった。

 そのまま手づかみで菓子を口に入れようとしたところで、なぜか三日月にずっと一連の動作をずっと見られているのがどうも気になり軽く睨み付けた。

「俺が食べるところをそんなにじっと見て何が楽しい」

「いや思った通りのものを選んだのでな。やはり国広は華やかな形をした菓子よりもそのような素朴な形のものを好むようだ」

「やはりって、あんたそんなことを考えながらこれを買ってきたのか」

 手に取ったのは白い餅で丸く包んだ大福だ。箱の中の菓子で一番飾り気のないそれがなんとなく手に取りやすかっただけだった。だがなんとなく三日月に自分の考えを読まれたことが気恥ずかしくて、頬がなぜか熱くなる。

 乱れた気持ちをごまかそうと、乱暴に菓子にかぶりついて軽く目を見開いた。

 餡を餅で包んだごく普通の大福だと思っていたが、触感が違った。薄い餅で包まれた中にあるのは餡じゃない。舌に残らないほど滑らかで甘味とこくがある。そしてもっとも堂々とした存在感を示したのは。

「なんだ、これは・・・いちごか!?」

 口に入れた分を飲み込んでかじったそれの断面を驚いて確認した。

 横を見るとなぜかさも嬉しそうに三日月が笑っているではないか。

「どうだ、見た目は普通の大福のようだが面白いだろう。確か名はくりーむいちご大福とか言うておったぞ。そなたをもてなすのに普通の菓子ではどうにもつまらなかったのでな。鶴丸のまねをして、少し驚きを入れてみた」

「手に取った時少し柔らかい気はしたんだ。そういうことか」

「他にもいろいろ変わったいちご入りの大福があったぞ。抹茶にちょこに、こーひーやちーず味などというものもあったな。万屋はいま面白い大福に力を入れているらしくてな、短刀の子らもみやげにいろいろ変わったのを買っていたが、国広にはこのような愛らしいのがよいと思ったのだ。どうだ?」

「これはこれでうまい。だが俺は餡子も好きだ。それに愛らしいのがいいとはどういう意味だ」

「はて、言葉通りの意味だが。そなたに似合いそうだと思ってなあ」

「は? 粟田口の短刀たちならともかく、なんで俺が似合うと思うんだ」

 まったく、やはり三日月の考えることはわからない。 

 今度は遠慮なく二つ目の菓子に手を伸ばしたところで、先ほど聞きそびれたことを思い出した。

「そういえば三日月、この菓子を買ってきたのは俺のためだとか言っていたがそれはどういう意味だ」

 自分が買ってきたにもかかわらず菓子には手を付けずに、ただ茶を飲んでいた彼が顔を向けた。

「先月そなたからもらった、ちょこの礼だ」

「チョコ?」

 言われて山姥切は軽く目を見開いた。忘れていたわけではない。

 あの日、突然三日月からチョコをねだられて、偶然持っていた雑菓子のチョコを二つに分けて片方をあげたのだ。

 何が意外だったかと言えば、そんな些細なことを三日月がちゃんと覚えていて、しかもお礼の菓子まで買ってきたということが驚きだった。普段は昨日食べた夕餉の品まで忘れることもあるくせに。

「あれはただのもらい物だ。それに一個しかなくて二つに分けただろう。あんなものに対してこれではつり合いが取れない」

 傍らに置かれた菓子箱を見つめてつぶやく。こんなお返しをされるとわかっていたなら、あの時手持ちの菓子をあげるのではなくて、日を改めてささやかでもなにか品を選ぶべきだったのか。

「そんなことを気にするか。やはり真面目な刀だな、そなたは」

 湯呑を手にしたまま、三日月は切れ長な目を細めた。

「もらったものの価値が重要なのではない。大事なのはあれをくれたときのそなたの心だ。俺のことを信頼していると言ってくれただろう。俺は国広に嫌われているのではないかと思っていたからなあ」

「う、別に嫌ってたわけじゃない。最初はあんたのことがよくわからなくて避けてしまっただけだ。写しの俺がいきなり現れた天下五剣を前にしてどんな態度をとればいいかわかるはずもないだろう。それにあとでそのことはちゃんと謝ったはずだ」

 顔にかかる布を引きつかんで気まずげにふいっと顔をそらす。

「そうだな、あれは俺の言い方が悪かったというのもあるが。だが国広、今も俺の顔を見るなり逃げようとするだろう。あれはなんだ?」

 三日月ののほほんとした声音に、ぴくりと肩が揺れた。何もわかってなかったのか。歯を音が鳴るほど噛みしめ、険しい目つきで三日月を睨み付けた。

「あんたが俺の前に現れるときは大体やっかいな面倒事を持ってくるだろう。あんたが何かしでかせば俺がその後始末をしなければいけないんだ! 長谷部の奴は俺が初期刀であんたの世話係だっただろうと、問答無用で全部の後処理を押し付けるからな。避けられるのが嫌なら、日ごろの行いを改めろ!」

 「・・・それはすまぬ。だが俺は面倒事など持ってきているつもりはないんだがなあ」

 

 

 暖かな日差しは縁側を程よい暖かさに温めていた。気を抜けばまぶたが落ちてきそうになる。うつらうつらしかけて首が傾くたびに、山姥切ははっと目を覚ます。

 庭の梅の枝には一羽の鳥がさえずっている。その声につられたのかどこからか仲間の鳥が傍らの枝に舞い降りた。

 「やはり四季の移ろいはいつ見てもよいな。特に春は華やかでそして儚い」

 突然そんなことを言い出した三日月を山姥切は怪訝そうに見やった。

「何言っているんだ。三日月宗近は千年以上も時を在り続けた刀だろう。春なんて見飽きるくらい見てきているはずじゃないのか」

「それは刀としての存在していた時の話だ。確かに俺は存在してより早くから付喪神として本体である刀の三日月宗近とは別の意識を持ってはいたな。 その時も飾られていた館の中より、外の季節を見ていたはずだ。だがその時のことはどうもおぼろなのだ。今ほどよくは覚えてはおらぬ」

 長く存在し続けて忘れただけかもしれぬがなあと、どこか諦めにも似た笑顔でつぶやくのをただ黙って聞いていた。

 三日月は優しげに微笑みながらこちらを向いた。

「俺がこの本丸に顕現して最初に目にした花は桜だ。あれは華やかで潔い花だな。今の世では真の春の訪れを告げよと咲き誇る。忘れられぬよ、目の前一面に咲いた桜の花と、その下を小さき花びらが果てるとも知らずに舞い散る光景は」

「そうか、あんたがここに来てからもうすぐ一年になるのか」

 この梅の季節が終わればもう桜のつぼみはほころんでくるだろう。

 一年前のあの日、思いがけず鍛刀の場に舞い降りた一振りの美しい刀。

 あれからもう一年。刀の姿であったころはそんな時間はほんの一瞬であったのに、人の身を得た今はこれほどまでに長く感じるのか。

 いまだ終わることのない時間遡行軍との戦い、新たに加わった仲間たち、そしてこの本丸で暮らす日々。日々の内に積み重ねられた記憶は、忘れることのできない思い出となって自分の中へ沈んでゆく。

「あんたはこの本丸に来てよかったと思ってくれているのか?」

 山姥切は目線だけを傍らに向けた。三日月も同じように思っているのだろうか。

 だが彼の目はまだこちらを見ていた。思いがけず目線があってしまう。瞳の中の三日月が煌めいていた。

「ああ、ここに来たことで現身のそなたに会うことができた。それがこの本丸に来た俺が最もうれしかったことだ」

 今度は何を言い出したこいつは。頭の中の理解が追い付いてこない。

「意味が分からないんだが・・・」

「だから俺は言葉通りにしかものを言っておらぬぞ」

 しれっと言って三日月は平然と笑む。

 余計わからなくなる。山姥切は額に手を当ててうつむいて考え込んだ。だがいくら考えようとも真意などわかるはずもなく。ただ三日月の言うとおり言葉通りだとすれば、自分に会えたことがこの本丸で一番良かったと。

 これはあれだ。どうせまたいつもの戯れだろうに。

 ふざけるなとむっとして言い返す。

「あんた馬鹿か。なんで写しの俺なんかに会えてよかったなんて言うんだ。からかうのもいい加減にしろ」

「俺はまじめに言っているのだ。からかってなどおらぬ。それに国広、なぜそなたはそのように顔を赤くしておるのだ?」

 言われて初めて自分の顔が赤く火照っているのに気付く。さらにかあっと熱くなってきた気がして慌てて片腕で口元を隠した。

「これしきのことを言われただけで赤くなるとはかわいいな、国広は」

「かわいい言うな!」

 頬を軽く膨らませてむくれた山姥切の気を取り成そうと、柔らかい声音で三日月がなだめる。

「そら、怒るな。まだ残っておるぞ、これでも食べて機嫌を直せ」

「・・・食べもので機嫌を取るつもりか。俺は子供じゃない」

「子供ではないだろうが、俺から見ればそなたは十分若い」

「う、確かに俺はとてもあんたほど長く刀として存在していないが・・・」

 この本丸では自分の方が先に顕現しているのは事実だし、三日月が来たときなにこれと世話をした。それなのにまだこの扱いは釈然としない。

 もやもやをかかえたまま、結局菓子の箱に手を伸ばす。まだ腹が満たされないのか、食べ物の誘惑には勝てない。

 すすめられるがまま、再び手を伸ばす山姥切をじっと見つめていた三日月がゆっくりと口を開いた。

「そなたは梅よりもやはり桜が似合うな」

「またいきなり何を言い出すんだ、あんたは」

 菓子を手にしたところで動きを止めて、見返した。

「戦場になるとそなたは変わる。研ぎ澄まされた紛れもなき戦刀。迷いも憂いもすべて振り払って、戦うその姿は桜吹雪の下が最も栄えると思うてな。華やかにそして潔く、まことそなたにふさわしき花であろう」

「・・・あんたよくそんなことを恥ずかしげもなく言えるな」

 頭の布をつかみながら照れの気持ちをごまかそうと、気にしないふりを装って菓子にかぶりつく。動揺して乱暴につかんだせいか、指に餡子の残滓が点々と残った。

「そう急いて食べるな。そら、口元にもついているぞ」

「・・・どこだ?」

 口元に指を当てるがどこにあるのか探ることはできずにいた。それを見ていた三日月の口元が怪しげに笑む。

「どれ、俺が取ってやろう」

 不意に三日月が近づいてきた。

 気づいた時にはもう腰を浮かせて膝立ちになった彼のその端正な顔がすぐ目の前にあった。

 何で背筋が震える。体を動かそうとしても、いうことをきかない。かろうじて指先がむなしく宙を動くだけ。

 自分を見つめる切れ長の目を覆う長い睫に視線がゆく。やや伏せられたその瞳はひたと自分の姿を映している。薄い唇がゆったりと微笑んだのが見えた。

 近づいてくる。あと少しで触れてしまう。どうして体は動こうとしない。

 口元に彼の吐息がかかるほど近づいたところで、耐えきれずにきつくまぶたを閉じる。

 わずかな間をおいて、口に何かが触れた。

 だがそれは温かくもなく、柔らかいがなぜか乾いた感触がした気がする。

 恐る恐る目を開けると、もう体を離して元の場所に座っている三日月が白いものを手ににこやかな表情を浮かべておかしげにこちらを見ていた。

「汚れていたのでな。拭いてやったぞ」

 ひらひらと白い紙が宙に揺れる。

 三日月が手にしていたのは懐紙だ。どうやら揉んで柔らかくしたそれでこっちの口元を拭いたらしい。

 しばし呆然としていたが、思い返して急に恥ずかしくなる。三日月が近づいたとき、俺は何を感じ、何を思ったのか。

「青くなったかと思えば今度はまた赤くなったか。忙しいな、国広」

 袂を口元に当てて悠然と笑う三日月に何も言い返す言葉が見当たらない。

(何をされると思ったんだ、俺は)

 自分でもよくわからない。だけど近づいてきたあの時の三日月は甘くそして危険な感じがした。でも今目の前で笑う彼からはその気配はみじんも感じられない。

 気のせい、だったのだろうか。

「おや、指先にもついているな。どれ、とってやろう」

 そう言って手を取られる。山姥切は別の事に気を取られていたため、相手のなすがままになっていた。三日月は手のひらを自分の方に向けると、おもむろに目を閉じた。

 手のひらに何かが触れた。思いもよらぬその感覚に、体が驚いて軽く震えた。

 生温かな感触が差し出した人差し指の付け根から指先へとゆるゆると伝ってゆく。触れているそこは温かなのに、背筋にはなぜかうすら寒い衝撃が走る。

 指先まで唇で撫でられて、そこでやっと何をされているかに思い至った。

「・・・なにしてんだ、やめろ!」

 突然のことに止まっていた思考回路が動き出す。慌てて罵倒してその手を離そうと引っ張るが、手首をとらえる彼の手の力が強すぎて動かない。

 抗っている間も、三日月はその動きをやめない。山姥切の指に唇を伝わらせながら、一つ一つの指をいたわるように舐めてゆく。

 時折指の腹を伝う湿った舌のひそやかな動きに耐え切れずに、肩を震わせ一瞬目をつぶった。

 いいようになぶられて、羞恥と怒りで胸が張り裂けそうになる。きつく睨み付けて腹の底から叫んだ。

「何のつもりだ、三日月宗近!」

 その声に閉じられていた三日月の目が薄く開かれる。

「俺はただそなたの指をきれいにしているだけだが?」

 触れていた手からほんの少しだけ顔を離すと、口元だけを薄く妖しげに艶然と微笑んだ。そして今度はその指の先端を口に含む。

 手のひらで一番神経の集まるそこを舌で触れるか触れぬかという動きでなぶられる。

 自分で手や指をなめた時は何も感じないのに、どうしてほかの奴にされると違うのか。

「ん・・・!」

 執拗なその動きに耐え切れず、ぎゅっとまぶたを閉じて顔をそむけた。

 突然、指先を覆っていた温かな感触が消えた。きつくつかまれていた手もゆっくりと床へと下ろされる。

 身体はまだこわばったままだ。吐き出される息がなぜか熱く荒い。

 訳が分からず横を向いたまま呆然とする山姥切の耳元に、かすかに吐息がかかる。

「俺はもう待つことに憂いたのでな」

 耳元でささやくその声音は静かなようでいて、甘く優しい。

「気づかぬのであれば、無理やりにでも気づかせようか。この人の身はいつか必ず終わりが来るであろう。待っているばかりでは想いすら遂げられぬことを思い知ったのよ」

「みか・・・づき・・・?」

 床についた手の甲に三日月の手のひらが重なる。ひんやりとした三日月の手に意識が集まる。

「あの時の苦い思いはもうしたくないのだ、俺は」

 覆いかぶされてぎしりと重みに床が鳴る。本能的に体が逃げようとしているのか徐々に後ろに傾いてゆく。

 一瞬たりともそらされないその瞳の奥に囚われる。夜闇の色の中に浮かぶ妖しき月の輝きに。

「本気にならせてもらうぞ。のう、山姥切国広」

 長い指先がそっと顎を持ち上げた。愛おしげに眼を細めながら三日月はゆっくりと顔を寄せた。

 

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