秘宝の里 ~膝丸~
「いつまでおちこんでいるんですか」
本丸の鳥居から秘宝の里に移動してもまだ沈んでいる膝丸に今剣は檄を飛ばす。
周りを隔絶させる深い霧が二人の周りを取り囲む。ここに一緒に飛んできた部隊の者たちの顔も少し離れると濃霧の向こうに隠れてぼんやりとした黒い影としてしか認識できなかった。
今剣はきゅっと唇をかみしめて目の前の膝丸を見上げて睨みつけた。
「あなたはぼくたちのたいちょうなんですよ。いいかげんにしっかりしてください」
「しかし俺が隊長でいいのか。兄者のように誰かの上に立つことは俺には・・・」
今剣の言葉も兄者と別部隊になった衝撃を引きずっている膝丸にはきかなかったようだ。頬を膨らませて今剣は思いっきり彼のすねを蹴り上げた。
「つっ!」
下駄の角がちょうど急所に当たったのか、膝丸は痛む足を抱えてうずくまる。
「今剣、何をする」
「いつまでもぐじぐじしているからです!」
しゃがみこんだ膝丸と背の低い今剣の目線が対等になる。紅葉のような手を広げて両側から思いっきり膝丸の頬を叩いた。ぱん、と乾いた音が響く。
赤く腫れた頬を呆然と抑える膝丸に、今剣は顔を近づけて怒鳴った。
「あなただってげんじのちょうほうなのですよ。あのよしつねこうがいのちをあずけたたちなのでしょう。ぼくたちのほこり、それをわすれたわけではないですよね!」
日の本の国が赤い旗と白い旗に分けられたあの時代。
赤い旗を掲げた平家を追い、西へ西へと白き旗をひるがえした軍勢を率いて駆け抜けた。一度敵を見つければ大将であったかつての主は研ぎ澄まされた刃をその鞘より引き抜き倒すべき敵軍をその切っ先で指し示す。
――あれを見よ、あれこそが我らの倒すべき敵。
あの人の太刀であるあなたはそれを忘れたのですか。あなたこそが源氏の軍を率いた主の愛刀。膝丸はその場にいたのでしょう。
平家の大将をめがけて真っ先に飛び込む義経公のあの姿をそのすぐそばで。でも僕は。
ぎゅっと頬を押さえつけていたその手を少し緩める。
「できます、あなたならきっとできます。ぼくもみんなもいるんです。だからじぶんにじしんをもってください」
薄緑と言いかけたその声は言葉にならなかった。僕たちは今の主様によって定められた名前がある。懐かしい昔の名前は今の彼の名ではない。
いたずらに高鳴る胸の鼓動を押さえつけ、今剣はもう一度口を開く。
「いきましょう、ひざまる。あるじさまのために、ぼくらはたたかうのですから」
じっと今剣を見つめていたそのまなじりが少し和らぐ。
「そうだったな、すまない今剣。今我らがすべきことは目の前に立ち塞がる敵を今の主のためにすべて打ち払うこと」
不意に膝丸の金の眼が見開かれた。利き腕を刀の柄にかけると、目の前で剣戟が一閃する。
今剣の右の髪が舞い上がった。背後で断末魔の叫びと共に血しぶきが上がる。
目にもとまらぬ速さで引き抜かれた膝丸の太刀は今剣の肩越しにすぐ後ろで今にも刀を振り下ろそうとしていた敵の胸部を深々と貫いていた。
刺し貫かれた刀にぐらりと身体を傾けると、頭から細かく赤い粒子となり敵の姿が掻き消えた。
「てき!?」
「おい、誰だ勝手に札を引いたのは!」
振り向いた膝丸が後ろにいた部隊の者たちに怒鳴った。霧の向こうで肩を飛び上がらせたのは愛染、そしてわずかに顔をしかめる大包平。
「すまねえ、ちょっとつまづいて札を触ったちまったんだ」
手を合わせて愛染が謝ると、大包平が苛立たしげに舌打ちする。
「おとなしく待っていればいいものを」
「だって戦の前だから身体をほぐしておかなければいけねえだろ。調子に乗って飛び跳ねてた俺もいけねえけどさ」
言い争う愛染と大包平を太郎太刀がたしなめた。
「今は諍いをしている暇はありませんよ。出現してしまった敵を倒すのが先です」
当然敵は先ほどの一体だけではない。赤く輝く眼光を光らせた敵の一軍がゆらりと切の向こうから現れる。禍々しい気を放つ太刀の敵が彼らの前にその巨体で立ち塞がった。
「今回の太刀は強いから気を付けてくださいよ! 一撃でも直撃したら危険ですから」
自身の刀を横に構え、白い布をひるがえした堀川国広が不敵に笑う。先に一度別部隊で出陣している彼は今回の里の敵の特性をよくわかっていた。
立ち上がった膝丸が太刀を横なぎにし指示を飛ばす。
「陣は横隊陣で構えろ。各自刀装は傷つけさせるな。ここで刀装を失えば後での戦いが不利になる」
「わかってるって、先陣は任せろ!」
赤い髪をなびかせて愛染が敵の懐めがけて駆け込んだ。勢いよく飛び上がると喉元めがけて短刀を勢いよく突き刺す。
「ぼくもまけませんよ!」
続いて今剣が飛び跳ねるように敵の群れへ突っ込んでゆく。刀を鞘より引き抜いたとき、ちらりと膝丸に視線を飛ばした。
絡み合うその視線。気難しい彼の口元がわずかにほころぶ。
今剣はふっと笑った。そう、たとえこの存在の由来が伝説でも僕は。
短刀たちが切り開いた敵の群れを太刀の力強い一閃が断ち切る。黄金色に円を描く軌跡は伝説のその名にふさわしい霊威を示していた。
「さすがは源氏に伝わる一振り」
大包平の一言は彼の偽わざる想いを素直にあらわしていた。
「源平の戦いを勝ち抜いた太刀か。だが俺も天下にその名ありといわれた刀だ。昔の刀どもに負けるわけにはいかん」
赤い焔をような気をその身にうつした姿の彼は膝丸の背後に接近していた敵の一体の胴を一刀のもとに薙ぎ払った。
「すまない、大包平」
「ふん、仲間を助けるのは当然だ」
目を合わさずに前を見据えながらつぶやく。残る敵はどこかと黒い瘴気を周囲に立ちこめる霧の中に探す。
あたりをうかがっていた堀川が突然素早く動いた。霧の中より振り下ろされる刀を自身で受け止める。甲高い剣戟の音が鋭く鳴り響く。
刀の向きを変えて敵の攻撃を横に流して殺すと、堀川は後ろにに向かって叫んだ。
「今です、止めを!」
彼の背後から飛ぶように小柄な今剣が駈け出した。身体を屈めて思いっきり飛び上がると、敵の背中に飛び乗って刃を高く掲げる。
深く突き刺さる一撃。急所に深々と突き刺したのを確認して引き抜くと、素早く飛び降りる。敵の断末魔と共に崩れ落ちる身体は地面に着く間もなく消えていった。
地面に降り立った今剣の後ろに誰かが立つ気配がある。
「助かった、今剣」
「たいちょうはぶかがはたらいてもとうぜんのかおをしていないとだめですよ」
つんと顎を上げて前を見ながら突き放す。
「俺は今は隊長だが、その前にお前とは仲間だ。助けてもらえば礼を言うのは当たり前ではないのか」
暖かなその手がぽんと頭の上に載せられる。いつも頭を撫でられる岩融みたいに頭を覆い隠すほど大きな手ではない。細くて太刀を振るえるかと思えるほど優しい手だ。
「なかまですか、ぼくたちは」
「何を言っている。当り前だろう。源氏の戦いの時より共に歩んできたのではないか」
目の際が熱いものでにじむ。だから後ろは振り向けない。
薄緑、いや膝丸も顕現した時に伝承の記憶をどこからか少し持ってきたのだろうか。本当は一緒にいたはずはなくて、でも一緒にいたというならば。
義経公のことでぐじぐじ思い悩んでいたのは僕の方だ。彼ばかりを責められない、責める資格もない。
ああ、とうつむく。こぼれそうになる涙を手の甲でぬぐった。
修行で僕も自分に自信をもつのだと決めたのに。今のために剣となる。それは。
「ひざまる、これからもいっしょにたたかってくれますか」
「当たり前だろう。さっきから何を言っているんだ」
今剣の真意をわかりかねるのか、膝丸が首を傾げいている。今剣はふるふると首を振った。
「そうですよね、ぼくたちはずっとなかまですよね。だからたたかいましょう、れきしをまもるために、これからも」
2017年葉月 第五回秘宝の里
第五陣 隊長 膝丸
今剣
堀川国広
大包平
太郎太刀
愛染国俊
出陣回数 44回 笛2個 琴7個 三味線4個 太鼓4個 鈴5個