ゆめうつつ

刀剣乱舞・文豪とアルケミスト関連の二次小説。主にコメディ中心。

破片 ~第一会派~

 壊れ、崩れ、言葉はこなごなに、くだ、け、て、ゆく。

 多くの人々に時を渡って読みつがれ、あまたの空想の果てに形作られた概念はもう消えかかっている。

 初めから何もありはしない。僕らの文学はそれほどまでに儚いものだったのか。

 本の中へと降り立った秋声は今までとは違う、極度まで張りつめた緊迫した周囲の雰囲気を感じて慌てて目を見開いた。大きく開いた目に飛び込んできた世界はこれまでとは全く異質。

 今までここまでむざんな崩壊を目にしたことがあるだろうか。

 本の中に作り上げられたこの世界は生みだした作者の思いの具現。世界を彩る風景は思い描いた情感の現れ。想像は絡み合い交差し、文学の世界に多彩な色彩を生み出している。

 ただの真っ白な紙に作者が思うがままにペンを走らせるだけで、この世界は形作られていく。作者の個性、経験、それらの果てに抱いた想い、それらすべてを注ぎ込んで。

 今まで穢された本の中にいくつも潜書してきたが、あれらは端の方から少しずつほころびが生じているくらいでまだ世界は形を保っていた。その本を呼んだ時に浮かんだ景色、そのままに。

 だがここはなんなのだろう。

 信じられないという思いを目の力にこめて秋声は睨みつけるようにあたりを見渡した。

 目に映る景色はただ白い、としか言えなかった。目の前に広がる本の中の景色も薄墨のごとくぼんやりとしか見えず、あるはずの建物は言葉に、文字に、いや文字にすらなれない欠片に砕け散る。

 ここで何もできずに佇んでいる間にも本の中の世界は崩れていく。

 このまま止まることなく崩壊が進んでいけば、僕らが潜書しているこの本はどうなってしまうのか。秋声は奥歯を痛いほどきつく噛み締める。

 始まりは政府から届けられたある本の包みだった。

 厳重に梱包されて図書館へ急ぎ届けられたその本は端は少しでも触れれば崩れそうなほどボロボロになり、表紙の題目が読めないほど汚れていた。その異常な本の状態に慌てて館長たちが中をめくってみればいたる箇所で黒い染みがにじんでいた。しかもその染みは徐々に広がって文字を食いつぶしてゆく。

 進行度の早すぎる侵蝕とその予断を許さない状況から館長たちは急を要すると判断し、図書館の中でも古参の文豪たちが選ばれた。急ぎ呼び出された文豪はかつて潜書の前線で鍛え上げられた者たちだ。

 突然の招集に呼び出された文豪たちは誰もが今までにない異常事態を察しているのか硬い表情で机の上に置かれた問題の本の前に居並ぶ。

織田作之助徳田秋声室生犀星尾崎紅葉。まずはこの四名で調査してもらう。いや、調査などと呑気なことを言っていられないな。直ちにこの本の侵蝕を止めてもらいたい。見て分かる通り一刻を争う事態だ。この文学の書が失われるまでどれだけの猶予があるかは不明だ。だがこの図書館で最も戦い抜いた精鋭の君たちならばできると信じている」

 館長は真剣なまなざしで集められた文豪たちを眺め渡した。最初に口を開いたのはこの図書館に最初に転生した織田作之助

「わかってますわ。わてだって自分の本がこないなったら嫌ですし、いつ他の本もこないな状態になるかわからへんやろ?」

 いつもどおりの気軽な口調とは反対に織田は背に長く結わいた三つ編みをもてあそびながら静かな目線で問題の本を見下ろす。彼自身も事態の深刻さは本能的に悟ったらしい。

 横目で隣に並ぶ文豪たちを彼は流し見る。視線を向けられても誰も異論を唱えない。

 すぐ横に立つ秋声は仕方ないとくせのようになっているため息をつき、室生が強い光を宿した眼で同意するように大きく頷く。そして最後に目を向けられた紅葉先生はすべてはわかっていると言いたげに口元を緩めそっと目を伏せた。

 ため息をついてうつむきながら秋声は心の内で思う。僕は黙っていただけだ。だが今までになく侵蝕されて並べられた本はどれも僕の知っている名の知れた著書ばかり。文句や不満なんてあるもんか。

「第一会派、そういや自分たちの事こない言うのもひさしぶりやな。俺たちはいつでも行けまっせ」

 仲間の暗黙の同意を得た織田は好戦的な眼で館長たち錬金術師たちをじっと見つめる。

「・・・頼む、君たちが頼りだ」

 ただそれだけの言葉が館長の口から洩れる。そして深く頭を下げた。

「礼を言う必要ありませんわ。これはわてら自身の問題でもあるんでっせ」

 神妙に首を垂れる館長に、織田は苦笑しながら手を横に振る。

 本の中に潜む敵と戦うのには僕らの力が必要だ。彼らは敵の正体を探ることができるが撃退する力がない。その力を得るために僕らをわざわざ転生させたのだから。

 それに本が侵蝕されるということは僕ら文学に勤しむものとして他人事ではない。

「ほな行きまっせ」

 緊迫した場を緩めるつもりなのかわざと軽い声で合図を発して、織田は並べられた一番左端の本に触れた。

 触れた彼の指先から本が青白く輝き始める。

 

 

「建物が完全に崩れてますな。人の気配どころか生きているものの気配すらありまへん。なんや薄気味悪いちゅうか、なーんにもない空っぽな世界やな」

 利き手に獲物である刀を来てすぐに具現化させると、片時も離さずに織田は状況を確認するため周囲に油断ない視線を走らせ続けている。

 他の者たちも言われるまでもなく、降り立つなり手にした自分の本を武器に具現化していた。

 彼の言う通りだ。本の中の景色を形作る建物は文字に分解され、その文字もまたばらばらに壊れて空へと吸い込まれてゆく。

 見上げた空はどこまでも無機質で白い。羅列のように空へと延びるかつて文字だった欠片は上へ昇っていくにつれて徐々に薄くなっているようだ。本の文字が読み取れなくなれば、この世界を構成する風景も崩れてゆく。

 そういう理屈か。ここは文学を呼んだ人々が造り出した概念の世界。本が読めなくなれば、やがて在ったことすら忘れられ、本の中の世界は最初からなかったかのように真っ白に消えてゆく。

 僕らが書いた文学はそうやって消えようとしている。家族や友人や恋人など様々なものを犠牲にして、血のにじむほどの努力と苦悩の果てに生み出したにも関わらず。

 今はまだしっかりと地に足をつけていられる。だが一歩踏み出せばどうだろう。新たなる場所へ踏み込んだそのつま先から地面が壊れたら。

 踏み出した足の指先から亀裂が走る。幻の光景の動きは止まらない。

 世界は硝子、薄く触れれば壊れそうなほど儚く、だからこそ美しい。脆い大地にいる僕らこそ本来あるべきではない存在。きわどい均衡で保っていた調和が僕が足を踏み出すことによって壊れる。

 甲高い音を立ててあっけなく砕け、散ってゆく。紡がれた文学は意味のないばらばらな言葉となって、意味のない文字の欠片となって消える。

 消える、消えてしまう。人の中からも忘れ去られて、その文学は存在する意義すら失すだろう。僕の文学もいずれ消えて、在ったことすらいずれ意味もなく。

「秋声」

 耳朶をうつ僕の名を呼びなれたその響きに意識が自分の内へと戻る。

 堕ちてゆく空想の帳を耳慣れた穏やかな声が切り裂く。世界の時間が巻き戻される。いや、今見ていたのは自分の中に生み出された作り事の光景。

 僕はどうしていたと戸惑いながら汗ばむほど握りしめていた弓に視線を落とし、そして目線を隣に向ける。いたわりを込めた優しいまなざしで師がこちらを見つめていた。

「真面目なのはお主の美点でもあるが、過ぎるのはよくないぞ。この世界は常とは違う。よからぬ考えは悪きものに引きずられるだけだ」

「僕はそんなつもりは・・・」

 かつてのように咎められて、反抗心が湧き上がったのか反射的にむっとした表情を浮かべてしまった。だが弟子の不快な様子にも先生はいつものことと全く動じない。

「ついいらぬお節介を焼いてしまったな。弟子が困っているならばつい手を貸してやりたくなるのは我の悪い癖だ。ただここは気を緩めてはならぬ場所なのでな」

 見よと示した紅葉先生の細いその指の先に秋声は注意を向けた。ぼんやりと青白い焔を宿した存在がじっとこちらを見つめていた。いつの間にこんな傍まで来ていたのか。

 硬質な悪意。禍々しくも黒い怨念を振りまいていた今までの敵とは違う。恨みの想い、敵わぬ願いは強くなりすぎて余計な邪念をもそぎ落とし、負の感情を極限にまで純化させたのか。惑いなどない、あるのはただ純粋な暗い怨念、ただ一つだけ。

 透明度を増した敵の身体がきりきりと軋んでいる。僕らに向ける彼らの負の感情が強ければ強いほどそいつは手ごわい。

 ただ敵はその場からほんのわずかも動かない。声もあげずただこちらをじっと見つめているだけ。動きを見せないことが不気味さをさらにかきたてる。

 暑くもないのに背筋に汗が伝う。むしろ冷ややかな冷気すら体に感じているくらいだ。

「これは今までのようにはいかぬな、秋声」

 あの敵を前にしても先生はやはり動じない。秋声はただ頷くので精一杯だ。

 軽やかに空気を切り裂く音を奏でて、鞭が宙を一閃する。威嚇を込めて振り上げた一振りにも敵もまた微動だにしない。

「それもまた上々。こうでなくてはな」

「ずいぶんと楽しそうですね。前に会派を降りた時はこれでのんびり隠居できるとか仰っていませんでしたか」

 秋声の精一杯の皮肉を先生は涼しい顔で受け流す。

「秋声よ、蘇って与えられたこの若い体はそうやすやすと我を休ませてはくれないようでな。どうやらたまには動いた方が良いようだ。そうではないのか?」

「それなら図書館にいるときも僕に雑用を押し付けないでご自分でやってほしいんですけどね。お茶くみとか、部屋の掃除とか!」

「なに、それは我がやるよりも秋声や鏡花がやってくれた方がうまくできるからな。出来のよい弟子をもって幸せだぞ」

「誉めて誤魔化すつもりですか!」

 思わず叫びかけた秋声の肩に誰かが軽く手を置いた。

「師弟で仲良く話しているのに割り込むのは野暮だけど、続きはあいつらを倒してからにしていただけませんか」

 苦笑いを浮かべた室生に軽くたしなめられる。ばつの悪くなった秋声は激高した心をしぼませてしおらしく肩の力を抜いた。

「あ・・・ごめん」

 俯いた秋声の眼が外れた隙を狙って織田が先生にこっそり近づいて耳打ちした。

「わざと話逸らしましたな。秋声さんなんやいらんこと考えてるようやから、せんせわざと助けに入りはったってところですか?」

「いや、我は可愛い弟子と戯れたかっただけだ。他に意図はないぞ」

 腕を組んで自信ありげに口元を笑ませる彼に、織田も呆れるしかない。

「この状況でまあようぬけぬけとのろけますな。それを素直に相手に伝えようとせんからお人が悪い。秋声さんもこないな面倒な師匠もって大変やな」

 お手上げやと織田が肩をすくませた時、声ならぬ響きが周囲を切り裂いた。

「なんや、あいつ味方を呼ぶつもりやな!」

「まずい織田君。援軍を引き寄せる前にあれをかたずけないと!」

 室生が銃を手にした腕をまっすぐ伸ばす。銃口は敵の眉間に狙いを定めた。秋声も慌てて矢をつがえ弓弦を引き絞る。

「秋声さん、先制攻撃だ!」

「わかってるって!」

 目の奥にさらなる邪念の炎を燃えたぎらせた悪意の塊はその丸い身体からは予想もつかないほど敏捷な動きでみるみる迫ってくる。近づくだけでその負の感情に圧せられそうになる。

 だがもう恐れに身体が震えることはない。限界まで引き絞ったその指先を狙い定めて放つ。

 耳をつんざく銃口と邪気を払う高い弓弦の音が敵の悲鳴のような咆哮を切り裂いた。

 

 鋭い攻撃は目で追うのがやっとで避ける間もなかった。鋭い一閃は右わき腹を容赦なくえぐる。流れ落ちる血とともに、身体にみなぎる気力もごっそり持っていかれたようだ。

 たった一撃受けただけで体の中の戦う気力をわしづかみにされて持っていかれてしまった。武器を持ち上げる力も簡単には沸いてこない。湿ってぬめる手に何とか力を込め、弓を落さずにいるので精一杯だ。

「秋声、大丈夫か」

「このくらい、平気・・・です!」

 先生に声をかけられる。その瞬間秋声の目から光が戻った。

 支えるものがなくては立ち上がるのも難しかった秋声だが、紅葉先生の言葉一つで立ち上がる力が湧いてきた。こんな無様な姿を見せて、ほんの少しでも鏡花と比べられるようなことはしてほしくない。自分勝手な意地、それだけだ。

「しかしきついな。俺の銃撃で倒せないなんてどんな固い装甲しているんだか」

 額の汗をぬぐった室生は指先でトリガーを押してシリンダーを回す。空の薬きょうをばらまくと、手のひらから生み出した新しい銃弾を詰めてゆく。ばらばらと落ちていく薬きょうは地面に落ちる前に瞬きながら消えた。

 その傍らから荒い息と共に誰かがつぶやく。

「センセの一撃の威力はうちの図書館でもトップクラスやからな。だいたいの奴らは先制攻撃で仕留められるんやけど、あいつらはそう簡単にやらせてはくれそうもありまへんな」

 肩を荒く上下させながら織田が不敵に笑う。ただその口元はわずかにゆがんでいて余裕がないのが見て取れる。織田自身の刀の鈍く銀色に光る刃に目をやって音もなく息をこぼした。

「刀でも刃がたたないんや。いったい俺らにどないせえっちゅうんや」

 切り込んでも堅い装甲に弾き飛ばされる。至近距離まで敵に近づいて切りかかる織田は会派の中でも一番動きが多い。疲労はもっとも溜まっているだろうに、それでも見た目にはふらつくことなく足をしっかり踏みしめて己の力で立っている。他人になかなか弱っている姿を見せようとしない、それは何かに対する彼なりの意地か。

 二人の会話が背中ごしに聞こえていた秋声はほんの少しだけ後ろを振り向いた。

「でも効いてないわけじゃないみたいだ。とにかく今は一発を狙わないで、一点集中で削るしか・・・」

「って、秋声さん!」

 はじかれるように視線を元に戻す。仄暗い青白い光がすぐそばにまで迫っていた。あわてて矢をつがえてもこの距離では間に合わない。逃げるにも消耗された心は容易に身体を動かしてはくれない。

 すぐそばを後ろからの風がすり抜ける。

 甲高く金属のぶつかり合う音が響く。ぎりぎりとこすれ合うその不興音は力を込めれば込めるほど増していく。

「織田君!」

 切っ先を上にまっすぐ縦に刀を構えた織田が秋声のすぐ直前で敵の動きを阻んでいた。狙いを定めた先にいけぬ苛立ちに丸い敵は声なき声で叫ぶ。

「こっから先はいかせませんで!」

 気合を上げて声を放つと、体ごとぶつかって敵を後ろへと無理やり押しのけた。反動でよろけた身体を空いた片手で地面に手をついて支えると、刀の切っ先を今度は敵に向けた姿勢で地面を勢いよく蹴った。

 器用に体の向きを変え、相手の攻撃の隙間をすり抜けていく。両手で柄を握りしめて狙い定めた敵の首元に刃を突き立てた、はずだった。

「なんやて!」

 刃は届いた。だがその切っ先は敵の身体を貫く直前で止まっている。あらん限りの力を込めて打ち込んだはずなのに、それでも深く貫くことは叶わなかった。

 織田の驚愕の声に敵がにんまりと笑ったように見えたのか、織田は目を見開いて青ざめた。

「離れるんだ、オダサクさん」

 急いで矢をつがえて敵めがけて放つ。高速で向かってくる矢にひるんだのか、敵がわずかに後退した。その隙を逃す織田ではない。跳ねるように後ろへ飛び下がった。

 織田に逃げられたのが悔しいのか、その敵はさらなる悪意をこちらに向けた。黒くゆがんで行き場をなくした感情の塊。

 壊せ壊せと内なる何かが叫びたてている。世界中の悪意を一身に受けたためか、憎し憎しとただ吠える。そうなればもう称賛される文学を真っ黒に穢し、粉々になるまで壊し尽くすしかもう、あの敵に望みはない。

 ぴしりと敵の身体に亀裂が走る。よく見れば敵の身体には細かな亀裂が走っている。激しい悪意が迸るたびに、そこに新たなる亀裂が生じる。裂け目ができるたびに敵の殺気は容赦なく自分たちに押し寄せてくる。

 この世界を穢すその根源の力を感じ取った秋声は動くことすらできない。

 押し黙った自分たちの中で、誰かが軽く鼻で笑った。

 俯いて立ち上がったその背にたれる三つ編みがゆらりゆらりと揺れた。

「許せまへんなあ」

 力を削がれても放さなかった刃をきつく握りしめた織田はそれを横向きにして体の正面にかかげた。激しい攻撃にさらされた刃はところどころかけている。状況はどう見てもよくはない。だが彼の口元は笑ったまま、わずかに伏せられた眼はひたりと正面に現れた侵蝕者を逃がすまいと睨みつけていた。

「ワシらの書いた文学にどないな恨みがあるか知りまへん。そないな因縁めんどくさいだけですわ。ただワシらは本がなくなるを止める、それが転生した文豪の役目や。誰かの本を守ることは自分や大事なもんを守ることでもあるんやからな。だから、わしは手加減せえへんで」

 織田の言葉にじっと耳をそばだてていた室生がほんの一息目をつむると、顎を傲岸不遜に上げて織田の隣に並び立つ。

「俺もその意見には賛成かな。この調子だといつ他の本も急激に侵蝕されるかわかったもんじゃないからな。それにこの本は八雲先生の本だ。朔は八雲先生の本が好きでその美しい言葉の入り乱れる世界にあこがれているんだ。この崩れかけた世界を見たら、悲しむに決まっている」

 がしゃりと乾いた金属音を響かせて室生が銃口を上にしたまま安全装置を外した。胡乱な眼は危険な輝きを帯びる。

「だから俺はこの本をこいつらから救う。絶対に朔を泣かせるわけにはいかないからな!」

 間合いを取ったままじっとこちらを見つめて動かない侵蝕者に彼らの言葉が理解できたのか、表情などないからよくわからない。だが軋むようなうめき声がかすかに周囲の空気を震わせながら伝わってきた。

 僕らと侵蝕者と話せばわかりあえるなどという生易しい関係なんかではない。生み出す者と壊す者。最初から存在自体が背反している以上、僕らが互いに理解し重なり合うなんてありえない。

 そう考えている間にも秋声のすぐ横にそびえる建物の上部が崩れて言葉に変化した。言葉はすぐさまばらばらの文字に壊れていく。そして宙に浮かび上がった一つの文字にひびが入ったかと思うと、瞬時にくだけた。もうその欠片に意味はない。言葉であったものはもう何もなさぬただのがらくたにしかならない。そしてそれもまた消えゆく運命。

 敵とにらみ合っている間にも侵食は進んでいる。

 踏みしめた足元がさっきより不安定になっていそうな気がする。もういつ足元が言葉に戻って砕け散るか分からない。迷っている時間はない。

(戦いは好きじゃない。でもそんなことを言っている暇もないか)

 秋声は宙に向けて指を立てると弓と弦の間にふわりと矢が現れた。きりきりとその矢を引き絞り、敵の頭部へと狙いを定める。

 無機質なガラス玉のような眼が秋声を睨みつけていた。妬み、嫉み、成功者への激しい嫉妬と世間へ認められない己自身への嘆き。

 負の感情が圧となってこちらへ押し寄せる。

 少し違えればと秋声は考える。僕もまたあちら側になっていただろう。若くして開花した鏡花の才に嫉妬し、なかなか世間に認められない己の才を恨みながら。

 理解できるからこそ敵の心情に引きずられる。引き絞った矢を持つ手の力が緩みかけた。放つなと、我らと戦うなと、敗者への同情を誘って僕たちを惑わす。だがそれこそが侵蝕者たちの罠。

 黒く侵蝕されつくした本はもう元に戻ることはない。完全に穢されればもうその文学はこの世から消える。

 それは僕らの誰も望んではいない。

「守るんだ。僕らのこの文学を!」

 清らかな弓鳴りの音を響かせて放たれた矢はまっすぐ向かいくる侵蝕者を貫いた。

 侵蝕者は裂け目をやじりで射抜かれると、もだえ苦しむ断末魔の叫び声を上げながら粉々に砕け散った。そこに存在したことすらなにも残さずに。

 

 

 

 2018年春 有碍書「く」の段&レベル60上限解放

第一会派 

 筆頭 織田作之助

    徳田秋声

    室生犀星

    尾崎紅葉