狩り ~兎捕獲部隊~
「つまりうさぎとやらを力づくで捕獲して団子を奪えばいいんだな。それだけだな」
剣呑に目を細めた山姥切国広は主に強い口調で確認する。正座した膝の上に拳を握りしめている彼の目元にはどことなく疲れが残っていた。戦力拡充の出陣が続いていたため、昨日もその大量の報告書の作成で長谷部とまた徹夜でもしたのだろう。
寝不足で出陣を命じられたせいか、機嫌が悪いのが顔に出てしまうのは仕方ないかもしれない。だが目の前にいるのは主だ。いつにも増して不機嫌さを増している初期刀へ無理を命じたことを申し訳なさそうに肩を縮こませていた。
堀川国広はできる限りの柔らかい笑顔で苛立っている彼をなだめようと声をかけた。
「兄弟、そんな怖い顔して言うと主さんも怯えちゃうよ。この命令をしたは政府で、主さんはそれに従うしかないんだから」
「違う、主に文句はない。俺が言いたいのは今回の政府からの命令がおかしすぎるからだ。団子を五十個だと? 主、政府からの通達は間違いないだろうな。あの政府がそんな少ない数を指定して来るなどおかしいだろ」
命じられたことをまるっきり信じていないようだ。主も彼の気持ちがわかるのか口元に浮かびかけた苦笑いをこらえて答えるしかない。
「間違いはありません。集めるのは団子が五十個。これだけです」
「本当だな、見間違いとか勘違いということはないな」
「はい」
主と山姥切の問答をずっと主の隣で聞いていた長谷部が深くため息をついた。
「こいつの言い分もわからないでもないな。実際俺も最初はそれだけでいいのかと信じられなかった」
さらに隣で控えていた歌仙もそうだねと頷く。
「政府の指令はとんでもないものが多いからね。大包平の時は玉を十万個集めろだったかい。先だっても篭手切を見つけるのにまた十万個集めたよね。ああ、大阪城で毛利を見つけるのに五十階を延々と周回させられたのもあったか。だが僕らにとっての一番大変だったことといえばあの厚岸山に勝るものはないけれど」
「歌仙、言うな。あの時のことを思い出させないでくれ」
膝の上で拳を握りしめている山姥切がこわばった声で低く呻いた。鋭利な眼が歌仙を一瞥して睨みつける。
山姥切と同じくかつての第一部隊で厚岸山を駆け巡った歌仙は当時の隊長だった彼の苦労を思い出した。一部隊を率いる責を担っていた彼ならばあの時のことを振り返りたくはないだろう。どこをさまよっているかわからぬ刀をあてどなく探し求めて、それほどまでに先の見えない戦いだった。
「それはすまなかったね、山姥切」
歌仙に柔和な笑顔で謝られて、自分だけ苛立って声を荒げたのが気まずくなったのか山姥切はふいっと視線を逸らした。
「でも主さん、なんでうさぎが団子を持っているんですか? 団子なら歌仙さんがおやつで作ってくれることもありますけど、うさぎが団子を作れるわけはないですよね?」
首を傾げて尋ねてきた堀川に、主はにっこりと笑顔を浮かべて答えた。
「そのあたりはわからないんですけど、どうやら普通の団子ではないそうですよ。あなたたちに食べていただく特別な力を持った団子だそうです」
「へえ」
「どんなものなのかは食べてみてからのお楽しみだそうですよ、みなさん」
「たかが団子のためにこんなところまで来る必要はあるのか」
山姥切のつぶやきは風に乗って広い野原に消えていった。
空には大きく浮かぶ黄金色の丸い月。山の端に低く浮かぶその月は完全なる十五夜の月。いつもよりも明るく輝くその天体は金の光を野を十分に照らし出していた。
そよぐすすきは風に波のようにそよいでいて、まるで月によって地上に生み出された幻の海。すすきのこすれ合うそよぎでさえも海に打ち寄せる波の音に聞こえそうだった。
傍らに立つ堀川がふふっと穏やかな笑みを浮かべる。
「こんなに見渡す限りのすすき野なんてなかなかないよ。空の月もあんなに綺麗だしね。のんびりしてていいんじゃないかな」
「然り。兄弟は近頃何やら忙しい様子。気が急くのも仕方ないが、もう少しゆるりとしても良いと思うぞ」
「悪いが俺はあんたみたいに鷹揚に構えてはいられないんだ。それに」
言葉を止めて山姥切は風に波打つすすき野を左から右へ静かに視線を走らせた。堀川もまた表情を止めて後ろを振り返って腰の刀に手を添えていた。
先を眺めていた五虎退の虎が警戒を強めて喉を鳴らした。毛艶のよいその首を抑えるように手を置いていた彼もまた同じ方向をじっと見つめている。
「敵が来ました、数はまず六体」
緊迫した小さな声で五虎退が告げる。だがその声を聞くともなく嫌な気配を察していた皆は柄に手をやり臨戦態勢に入っていた。
「こんな寂れた場所に時間遡行軍か。何が目的だ」
身体を沈めて妖しい気配のする方向を睨みつけていた山姥切がつぶやくと、その背後で逆の方向を警戒していたソハヤが軽快に笑った。
「難しく考えなくても、俺たちと同じでうさぎを追いかけてるんじゃねえのか?」
「冗談はよせ、ソハヤ。団子一つのためにあいつらが俺たちに戦いを仕掛けると?」
「だから考えがかてえんだよ、お前は。俺は可能性の一つを言っただけだ。だけどな、物事ってのは思ってるよりも意外と単純だったりするんだぜ?」
山姥切は背に彼の身体が触れた。背中越しに伝わる緊迫した感情、言葉とは裏腹にソハヤも敵への注意を怠ってはいない。
険しい目つきのまま山姥切は刀を引き抜いて目の前に構えた。
「やつらがどう考えていようと関係ない。俺たちは奴らを倒すだけだ」
「相変わらず戦闘になると切り替えが早えぜ。ま、あいつらに目的なんか聞きだすのも時間の無駄だからな。さっさと倒しちまった方がいいよな!」
背中合わせの二人は同時に地を蹴った。すすきの影に隠れていた黒いよどみを同時に一閃する。敵に情けなどいらない。迷えばこちらがやられる。
月光に照らされたすすきの白い穂の上に赤い血が飛び散った。
「どこにいるんだ、うさぎは! 出てくるのは敵ばかりだぞ」
肩で荒く息をしながら山姥切は足元でまだわずかに動いている敵の喉元に容赦なくとどめの一撃を突き立てた。他の者たちもなんとか戦闘を終えて、刀についた血を払い落としている。
刀を振り払って鞘に収めた堀川があたりを見回しながら近づいてきた。他の刀の助けに回ったりする脇差は戦場でも動き回ることが多く、堀川もさすがに疲れたのか肩を上下させていた。
「うーん、どこにいるんだろうねえ」
「かっかっか、これしきの事で根をあげてはならぬぞ」
いつもの調子で豪快な笑い声を上げる山伏に、山姥切はいぶかしげな目を向けた。
「さっきから聞きたかったんだが、なんで兄弟だけ元気なんだ? 俺も堀川も疲労しているのに、誉を取ってないあんたが疲れていないのはどう考えてもおかしいだろ」
腕を組んで仁王立ちしている山伏は疲れなどひとかけらも見せていない。不公平だとつぶやいた山姥切の肩を力いっぱい叩く。
「拙僧は常に修行を怠らぬからな。これも日々の鍛錬の賜物であろう。そうだ、兄弟たちも拙僧と山籠もりをすればさらなる精神の強化ができようぞ」
「そうか、疲労も山籠もりで防げるようになるんだ。ねえ、僕たちも帰ったら一緒に山籠もりに行かない?」
本気で山伏の言葉に納得した堀川を山姥切はさらに疲れた顔で止めた。
「待て。そんなわけないだろう。兄弟の言葉を真に受けるな。あれはただ自分が山に修行に行きたいだけだ」
戦場でも仲の良い彼らを遠くからにやにやと面白がりながら眺めていたソハヤの側に最期まで敵を追いかけていた信濃が近寄ってきた。軽やかに足を止めて、ふうと一息つく。
「なんかここ疲れるね。早く本丸に帰りたいなあ」
「確かにな。いつもの戦場とは霊力の流れが違う気がするぜ」
空を見上げると大きな月が空にかかっていた。今にも落ちてきそうなほど月は地上近くまで感じられる。本丸で見た月はあんなに近かっただろうか。
訝しげに月を見上げていたソハヤの裾をちょいちょいと誰かが引っ張っていた。下を向けばふんわりとした白銀の髪が風にゆらゆらと揺れている。
「あ、なんだ。五虎退か。どうした」
「あの、僕、戦っている時見たんですけど、あっちで時間遡行軍がうさぎさんを追いかけていたんです。その敵は僕が倒したんですけど、ちょっと目を離した間にうさぎさん見えなくなってしまって」
申し訳なさそうに五虎退が首をすくめて報告した。それを聞いてソハヤは呆れた声を出した。
「時間遡行軍の奴ら、マジでうさぎ追いかけてんのか?」
時間を修正するとか言った目的はどうした。まさかうさぎを食うためじゃないだろうな。
「あれ? いまあっちのすすきの向こうで何か動かなかった?」
信濃が右の茂みを向いてつぶやいた。
「あ、どこだ」
「えっと、あっちかな」
指さしたそちらに目を向ける。そよぐすすきの白い穂の後ろに見える黒い影。目を細めてじっと見つめていたソハヤは影が長い耳を持っているのに気付く。
見開いた赤い双眸と視線が合う。
「いたぞ、あっちだ!」
「よおし、さっさと捕まえてご褒美に大将の懐に入れてもらうんだ!」
「ま、待ってください。信濃兄さん!」
俄然やる気の出した信濃がまず飛び出すと、そのすぐ後をあわてて五虎退がお供の虎と追いかける。
一歩出遅れたかたちとなったソハヤは一瞬自分はどうするか迷った。あのうさぎの駆ける速さだと今から追いかけても追いつけるかどうか。
くるりと後ろを振り返ってソハヤはニッと笑った。
「山姥切、あとは頼んだ」
「まて、なんで俺が!」
「お前、打刀の中では無駄に足はええからな。いけるだろ」
「あんたこそ太刀では速い方だろ!」
文句を言ってもすぐさま事態を把握して動きは素早かった。
忌々しげに盛大に舌打ちを残して、山姥切は先に飛び出した短刀たちの後を追いかける。あっという間にあんなに離れたところまで遠ざかっていた。
(あいつもかなり疲労しているだろうに、それでもあれだけ速く駆けれるなんて元気だな。さすが脳筋といわれる堀川派の一振り)
しばらくすすき野に立って待っていると、それぞれにウサギを抱えた山姥切たちが戻ってきた。短刀たちは優しく抱え込んでウサギも落ち着いているようだが、山姥切が脇に抱えたウサギだけは自分を捕まえている者の異様な気配を感じているのか身を縮めて小さく身を震わせていた。
「そいつめっちゃ怯えてるぜ、山姥切」
「うるさい。こいつが逃げ回るからいけないんだろう。こっちも本気で全力を出さないと捕まえられなかったんだ。兄弟、主の言っていた団子はこれのことか?」
山姥切は空いた手に持っていた小さな笹の葉の包みを堀川に手渡した。開いてみるとそこには真っ白な真ん丸の団子が一つ入っていた。
「多分これのことだね。見る限り普通の団子にしか見えないけれど」
いくら眺めても堀川にはごくありきたりの団子にしか思えなかった。それぞれ胸にウサギを抱えた五虎退と信濃も見つけた団子を手渡した。
「僕たちも持ってますよ。うさぎさんたちが一つずつ持ってました」
「大将に見せればなんだかわかるのかな、これ」
抱えていたもふもふの毛皮のうさぎを信濃はギュッと抱きしめた。ふんわりとした白い毛に顔をうずめて心地よさそうだ。
「すごいい触りごちだね。俺、基本的に懐に入りたい方だけど、このうさぎだと懐へ入れたいってなんか思っちゃうな」
「わかります。うさぎさん、すごくかわいいですよね」
「でもよ、本丸までは連れていけねえぜ。ここで放してやりな」
ソハヤにウサギを連れていくのは無理だと言われて、二振りは目に見えてがっかりした。
「せっかく苦労して捕まえたのにな。いち兄や兄弟たちにもみせたかった」
「こいつらを持って行くのは駄目なのか?」
抱えたウサギを逃げ出さないようにしっかりと抱えていた山姥切もまた驚いてソハヤを振り返った。
「当たり前だろ。ここに存在する生き物は持って帰らねえほうがいい。ちょっとしたことでも歴史が変わりかねないからな。それよりお前もウサギを持って帰りたいなんて言うなんてな。まさかお前に限って可愛いとかって理由じゃねえよな」
「そんなわけあるか。こいつらは貴重な食料だ。鍋の具にいいと思ったんだが」
食料といわれて、同じくウサギを抱えて撫でていた五虎退と信濃が硬直する。
「おい、お前の発言のせいで後ろの短刀たちが固まってるぜ」
「なぜだ? 野にいるウサギを狩りで捕獲したらあとは食べるものだと決まっているだろう。ウサギ狩りとは本来そういうものじゃないのか」
当たり前のように言う山姥切にソハヤは急に頭が痛くなって指を額に当てた。
「そういやお前は戦国生まれだったな。あの時代だったら、まあそうなるよな」
戦乱の繰り広げられたあの時代は昨日の味方は今日の敵とばかりに人びとは警戒を怠ることができなかった。戦いに巻き込まれれば言えも何もかも焼き討ちされる。その中で最も急務だったのは日々の食糧確保。
生きることに精一杯だったその時代の人間たちにとって山で飛び跳ねる元気なウサギ格好の栄養源だった。だから愛玩動物にするなど思いもよらないだろう。
しかしソハヤは引っ掛かりを憶えて首をかしげた。
「ん? でも猫や犬なんかは撫でたりするよな。本丸の庭でお前が猫たちを撫でているの見たぜ」
「あれは人が飼う動物だろう。たまに野生のやつもいるが」
「じゃ、うさぎは」
「貴重な食べ物だ。違うのか」
山姥切らしい線引きだ。はっきりとしていていっそ潔い。食べれるか、食べれないかそれだけか。
真剣表情で問い返した山姥切の肩を横から堀川がいさめるように軽く叩いた。
「でも兄弟、食料にするにしても本丸にもっていくのは駄目だよ。ここで放していくしかないからね」
「そうか・・・」
本気で残念そうにウサギを抱え上げて見つめると、そっと野に放した。五虎退と信濃も抱えていたウサギを解放する。
その時信濃がみんなに聞こえないように駆け去ってゆくウサギに向けてつぶやいた。
「ちゃんと逃げろよー。今度つかまったらきっと鍋にされちゃうからなー」
その声はウサギの耳に届いているのかどうか。ふと立ち止まった一匹のウサギが彼らの方をちらりと振り返ると、長い耳をわずかにそよがせてすすきの海の中へと姿を消していった。
2017年 兎追いし団子の里
第四部隊(兎捕獲部隊第一陣)
隊長 五虎退
山姥切国広
山伏国広
ソハヤノツルキ
信濃藤四郎