仮装 ~謙信景光~
「わー、似合う似合う。かわいいよ!」
手を叩いて乱藤四郎が満面の笑顔で喜んだ。
頭につけられた小さな角のような飾りを触りながら謙信景光は戸惑っていた。背中にはコウモリの形に似た小さな黒い翼をつけ、身体の後ろには先が矢印のようになった尻尾までのぞいている。
自身の姿を身体をひねって見渡すと周りにいる者たちにうかがうような視線を向けた。珍奇ともいえるこの格好にはどうも自信がない。
隣にいた加州清光と目が合ったのでおそるおそる聞いてみた。
「ほ、ほんとうか?」
「うん、よく似合ってるよ。やるじゃん、篭手切。今年の短刀たちの仮装、去年よりもずっといい感じに仕上がっているよ」
短刀たちに仮装用の化粧を施していた加州は残った衣装を片付けている篭手切江に向かって素直に賞賛の言葉を向けた。
「こういうことは遊びごととはいえ、やはりやるからにはせんすを見せないと。適当な衣装でごまかそうというのは事務所的に許せませんし」
鼻の上で眼鏡を上に押すと、きらりとレンズがあやしく光った。今年本丸に来たばかりの篭手切はその服装センスを加州たちに見込まれてこの行事での衣装係を任されていた。
加州は部屋で変身した姿にはしゃいでいる短刀たちを見渡して首を傾げる。今年の衣装は篭手切に任せたらどこから調達してきたのか全部新しいものを用意してきた。
「それにしてもこんな本格的な衣装はどうしたのさ。これだけちゃんとした衣装を買うと結構するよ。まさかあの長谷部がこの仮装にたくさん予算を出してくれたわけないよね」
「いえ、布地とか小物が買えるくらいの材料費だけしかくれませんでしたよ。この衣装は同じ脇差の堀川さんに手伝ってもらったんです。このようなかわいらしい衣装を前から作りたかったらしくて。僕は裁縫はお手の物だよって言っていましたが、彼のおかげで短時間で仕上げることができて感謝してます」
「手作りでこの出来、さすが堀川」
感嘆の声を上げて加州は残った一枚をひらりと目の前に掲げた。黒ずくめの魔法使いの衣装だ。普通だったら地味になりがちな仮装だがそこは堀川が腕を見せた。
マントをひるがえすとその後ろには濃い蒼の裏地に星を表した細かいビーズが縫い取られている。金具は金で統一されて宝石ではないが光にあてると綺麗な輝きを放つガラス玉がはめ込まれていた。
この衣装に篭手切がスカーフやアクセサリーなどの小物を合わせて衣装がさらに映える絶妙な組み合わせに仕上げていった。
胸元にチーフで形作った花を咲かせ、光沢の入った柔らかな朱色のリボンを首元で可愛らしく蝶々結びにする。
「今年のてーまは悪魔の宴でしたよね。これでいいでしょうか」
「違うよ。『お菓子をくれなきゃ小悪魔の魅力でめろめろにしちゃうぞ』だっていったでしょ。ちゃんと覚えてくれなきゃ困るよ」
横から乱が頬を膨らませて彼の間違いを訂正する。
「・・・えっとそれを完全に表現するのはちょっと難しいですね」
「真面目に考えなくていいよ。乱の理想は乱しかわからないからね。俺たちはなんとなくこんなものだろうってわかってればいいんじゃない? 少なくとも乱は篭手切の服選びのセンスはすごいって認めてるみたいだから心配しなくていいよ」
さらっと加州が気にしないでよと流すと、小さな悪魔に扮した謙信を見下ろした。
「謙信は今年が初めてだっけ」
「そうだ。だが、こんなかっこうをしてなにをするんだ?」
ここでそんな質問を想定してなかったのか、加州は危うく手にした化粧箱を取り落しそうになった。
「え、何も知らないで仮装してたの?」
「今剣にとてもたのしいことをするからいっしょにきませんかといわれたんだが」
事情を飲み込めたのか加州が何ともいえない顔でうなだれた。
「今剣のやつ、相変わらず肝心なところ抜かして説明したんだな。ま、いっか。難しいものでもないし。とにかく謙信はこれを持って他の奴らについていけばいいから」
赤い爪紅の塗られた指先が取っ手を掴んだまま、それを謙信に手渡した。奇抜な橙色の入れ物をまじまじと見つめる。
「これはかぼちゃ、なのか?」
「そ。かぼちゃのおばけ。といってもこれはそれっぽくした作り物だけど。ほら、ここに目と口がくりぬかれて顔みたいだろ」
顔といわれた方を自分の方に向ける。逆三角の形をした鋭い眼とぎざぎざに刻まれた口で最初は怖いと思ったが、じっと見つめていると不思議とかわいいなと感じてきた。
「これから本丸を回って合言葉を唱えてお菓子をたくさんもらってくるんだよ。合言葉はトリックオアトリート」
「と、とりっく・・・おあ・・・?」
異国の言葉だろうか。聞きなれない響きにうまく口が回らない。
必死に口をパクパクさせる謙信を口元に手を当ててくすりと笑った加州は人差し指を口元に立てた。瞳の中にきらりと煌めく楽しげな企みの光。
「お菓子をくれなきゃいたずらするぞってことだよ」
「さあ、今年もお菓子をたくさんもらうぞー!」
こぶしを振り上げて包丁がいっとう大きな声を張り上げた。誰よりもお菓子大好きな包丁は自分の頭よりも大きなカボチャの入れ物を手に提げていた。
「うわー、ほうちょうくんのかぼちゃはとてもおおきいですね」
今剣が近づいてきて包丁のかぼちゃの入れ物に目を見張る。
「えっへぇん。この日のために大きな入れ物を作って来たんだよ。みてろぉ、今年こそ全員からお菓子をもらうからな!」
「たしかきょねんはしゅつじんしているかたながおおくてぜんいんからもらえませんでしたよね」
「だからだよ。今年はいっぱい本丸にいるはずだからね。このチャンス、逃す手はないだろ」
気合満々な包丁の背を朗らかな笑顔で平野が見つめていた。
「包丁はこの行事をずっと前から楽しみにしていましたからね」
「でも僕らも今日は楽しみましょう。大典太さんがこの行事のことを聞いたらしくて、どんなお菓子を用意したらいいか考えてくださっているみたいで」
「鶯丸さんもお茶によく合うお菓子を見繕っておこうとおっしゃってました。前田も大典太さんが今年はちゃんと用意してくれるそうですね。楽しみですか」
「ええもちろん。僕ら短刀たちだけではなくて、お菓子を用意される方々も楽しんでくれるならばそれはとても良いことだと思いますね、平野」
そう言いあうと仲の良い二振りはくすくすと笑いあう。
「いやー、弟たちが楽しそうで何よりだな。俺たちはあいつらが羽目を外しすぎないように見守っていないと」
腕を組んで偉そうに言ってのけた鯰尾藤四郎に、横からぼそりと骨喰藤四郎が鋭い言葉を返した。
「何を言っている。俺には兄弟が一番張り切っているように見えるが」
じとっと目を細めて骨喰は兄弟の衣装を眺め下ろした。
口に鋭い牙のつけ歯をして西洋の吸血鬼という魔物の姿になった鯰尾は衣装だけの仮装では飽き足らず、加州に頼んで口元に血に見えるように朱をつけてもらったり、禍々しさを出すために長いつけ爪にどくろやら蜘蛛の巣やらハロウィンらしい図柄の模様を描いてもらっていた。
疑いのまなざしを向けられて必死に鯰尾は弁明する。
「だ、だって付き添いも楽しまなきゃのりが悪いように見えるだろう!」
「この行事は短刀のためのもののはずだ。俺たちは脇差だろう。率先して仮装を愉しんでどうするんだ」
「いいだろ。そういう骨喰もしっかり仮装しているよね」
無表情な眼で骨喰は自身の姿を見下ろした。乱がせっかくだからと着せてきた衣装は全身真っ黒であったがもふもふしてなでればさわり心地がよさそうだ。
「兄弟ほどではないと思うが」
片手を顔付近まで上げて手首を前に下ろし、首を傾げた。全く笑っていないのが逆に可愛さを引き立たせていた。それを見て鯰尾が頭に手を当てて悶えている。
「猫耳つけた格好で言われてもなあ」
「骨喰兄の衣装は黒猫だよね。無意識だからあんな仕草をしてもぜんぜんあざとくみえないんだよね。俺も負けられないな!」
包帯ぐるぐる巻きのミイラになった後藤藤四郎と三角帽子をかぶった魔女の姿になっている信濃藤四郎が柱の影からこっそりのぞいて勝手なことを言っていた。
それぞれに楽しそうに会話をする短刀たちを少し離れたところから謙信は見つめていた。来たばかりでまだこの本丸には馴染めていないから自分がその中に入っていいものかもわからない。
寂しげに見つめるその背を誰かがぽんと優しく叩いた。
振り向くと昔なじみの五虎退が後ろに大きな虎を従えてこちらを見つめて微笑んでいた。虎の銀色の耳とふさふさの豊かな尻尾が宙でそよいだ。
「謙信君は初めてですよね。僕は何度かはろうぃんをやっているんですけれども、まだちょっと慣れなくて。だから今日は一緒に回りませんか」
差し出された手に謙信は戸惑いながらもそっと触れた。謙信の手が触れるとふわりと柔らかな陽光のように五虎退は微笑んだ。
「懐かしいですね。僕たち上杉の家ではよく一緒にいましたよね」
つながれた手のひらはとても温かくぎゅっと握りしめると安心する。五虎退の言うとおり上杉の家では僕らは十に大事にされていた。まだ刀の身であったため、今のように触れ合うことはなかったけれども互いの存在は何となく知っていた。同じ蔵に収められ、同じ上杉の至宝として長い時間を共に過ごしてきた。
白馬にまたがり理想を掲げ刀身である彼らをその身に戦場を駆け抜けた軍神。気高きかつての主を想い、ただ時を重ねたあの日々。
「ずいぶんととおいむかしのようにおもえるな。またきみとあえるとはおもわなかった」
「僕もです。今の主様の下でまた謙信君に会うことができてとてもうれしいです」
嘘偽りなど何もないその純粋な笑顔に、慣れない本丸での生活に緊張でこわばっていた謙信の心は春の雪解けのごとく優しくほぐされていった。
「トリックオアトリート!」
「お菓子をくれなきゃ悪戯するぞー!」
かわいらしい悪魔の格好をした短刀たちに囲まれて三日月宗近は困ったような仕草をするくせに、どう見てもそんなに困っていないのがばればれな笑顔を浮かべていた。
「このようなかわいらしい者たちにいたずらされてはじじいはかなわぬな。ほれ、菓子をやるから許してはくれぬか」
用意よく懐から小さな包みに入った飴玉を囲んでいる短刀たちに配ってゆく。
「ありがとー、三日月さん」
「かまわぬぞ。うむ、まだもらってない者は・・・おや、謙信景光か。お主にはまだあげておらなんだな」
ほれと飴玉の小袋をその掌にのせられる。青く透明な飴玉を見てすっと視線を上げた。じっと見られているような気がして見上げると、やはりというべきか三日月がじっと謙信を見下ろしていた。すっと彼が膝をつくとその距離は覗き込めるぐらいぐっと近づいた。
至近距離で彼の目を見つめていると、その虹彩の中に金色の光を帯びた細い三日月が映っているのに気付く。
「めのなかにつきがあるぞ」
謙信は素直に見た通りのまま言った。本当に綺麗だった、吸い込まれるように見つめていると突然三日月が謙信を脇から抱え上げた。
「これは俺の本体である刀のうちのけを映し出しているのだろうな。お主はこの眼が珍しいのか」
「こんなきれいなのはみたことがない」
とても美しい刀だ。顕現したばかりの謙信はまだ三日月と戦場を共にしたことがない。でもわかる。麗しい月夜を映し出した人身にふさわしく、きっとその元となる刀身も同じく優美で華麗な刀に違いないだろう。
抱き上げられたままこんな至近距離で見つめられると胸がどきどきしてしまう。
「お主のような可愛らしい子に誉めてくれるとはこのじじいもうれしいぞ」
「おーい、謙信次に行くぞー」
どう答えてよいかわからずに戸惑っていると、廊下の向こうから声をかけられた。戦利品のお菓子をもらってご満悦な包丁が遠くで手を振っている。
口元をかすかに上げた三日月は謙信を床に下ろす。
「行くがよい。皆から菓子をもらうのであろう」
笑顔を絶やさぬ三日月に促され、謙信は少し名残惜しげにその場を後にした。
「越後の龍の守り刀か。また懐かしい刀が来たものだ。まだ顕現も浅く頼りなくはあるが、さて、あれは天を駆け昇る龍と化けるかどうか楽しみだな」
口元をほころばせると楽しみなものよとつぶやいてまたどこへゆくともなくふらりと歩き出した。
仮装した短刀たちに囲まれた髭切は困った振りをして楽しげに迷っていた。
「いたずらか、お菓子か。どちらを選んでも面白そうだね」
「兄者、菓子ならば俺が用意してあるが」
戦場では鬼神のごとき働きをするのに、日常生活ではぼんやりとして頼りない兄のために膝丸はきちんと人数分の菓子を兄の分までしっかり用意していた。弟の睨んだ通り、この日になるまですっかりこの行事を忘れていた髭切は当然菓子など一つも手元に持ってはいない。
「どっちでもいいですよ! いたずらも楽しいですよ!」
短刀たちもただお菓子をもらうだけではつまらない。もちろん髭切もそうだ。いたずらどうぞと言われたらのってみた方が面白そうだ。退屈な本丸で待機する間の暇つぶしにもなる。
「楽しいのかい。そっちでも面白そうだな」
「兄者!」
弟が止めるのもきかず、髭切はふわりと庭に降り立った。履物もはかずに降り立つと足裏につたわる草地の感触に髭切はくすぐったそうな表情を浮かべる。
独り庭に立つ髭切のまわりを音もなくかわいらしい仮装をした短刀たちがすぐさま取り囲む。自分のまわりの仮装のいたずら者たちの数と力を素早く計ってざっと見渡した。いち、にい、さん、全部で四振り。陽の光の下であればこのくらいでいい勝負になるだろう。だがそれでは少し物足りない。
彼は本丸の建物の端で興味深い眼でこちらを観察している脇差二振りにも気軽げに声をかけた。
「ほら、君たちもおいでよ。いまさら数が増えたところで僕は構わないよ」
まさか呼ばれるとは思ってもいなかったのだろう。傍観者然として見守っていた鯰尾が驚いて目を見開いたが、すぐにっと笑って返す。
「そんな余裕なこと言ってどうなっても知りませんよー。弟たちはいたずらすると決めたら戦と同様に本気でやりますからね。そうなったら僕らなんてお呼びじゃないですよ」
弟たちをはじめとする短刀たちが羽目を外さないようにと見守りのため離れたところから傍観の構えを取る鯰尾と骨喰であったが、もちろん最初から止めるつもりはない。
右手を胸にあてて余裕の表情で髭切は柔らかに笑って首を少し右に傾げる。
「大丈夫、僕はそう簡単にはやられないよ。そうだ、僕から一本取った子は明日の僕のおやつをあげてもいいよ。あ、弟の菓子丸を狙っても構わないかな。あっちは弟のおやつが景品だ」
本丸のおやつは厨当番の彼らが毎日工夫を凝らす特製の一品だ。食べ盛りの短刀たちからすれば一つでは物足りないだろう。それを自分を倒せばくれると言えば、ああ、目の色が変わったね。
「ほんとうにおやつくれるの?」
ざっと冷たい北風が庭の草を低く吹き抜けた。
髭切の申し出に囲んでいる短刀たちの気配が変わる。お遊びという戯れなどない、欲しかったものはこの本気だ。髭切は口の中で密やかに唇を舐める。
勝手に自分まで餌にされた膝丸が廊下から慌てて身を乗り出す。
「兄者、勝手にそんな約束をしないでくれ。それと俺の名前は膝丸だ!」
縁側から吠える弟にごめんごめんと、全く悪びれなく謝る。
「細かいことは気にしなくていいだろう。それに僕はそう簡単にはやられないよ、あげ丸」
「だから俺はそんな変な名前ではないぞ、兄者!」
「外はずいぶんにぎやかだねえ」
厨房まで聞こえる声は楽しげだ。夕食に使う予定の野菜を洗っていた手を止めて燭台切は窓の外に視線を投げる。
大根の皮を包丁で向いている歌仙兼定の表情はいささか険しい。
「僕にはわからないね。あんな珍妙な衣装を着る異国の風習をする意味が」
たしかに風雅を愛する歌仙からすると異国の宗教から派生したこの行事は受け入れられないところもあるだろう。真っ赤なトマトを手に燭台切は少し上を見上げて考え込む。
「歌仙君の美意識からすると気に入らないかもしれないけれど、短刀の子たちが楽しんでいるからいいんじゃないかな。だけどそんなことを言ってるけど君もちゃんとお菓子を用意しているよね。たしか厨房の戸棚の奥にあったお菓子の袋は歌仙君のでしょう?」
するするとなめらかに動いていた包丁がぴたりと止まる。薄くむかれた大根の帯が途切れて下に落ちた。
和食の達人である歌仙が包丁さばきを謝るなど動揺している証拠だ。
慌ててこちらを向いた歌仙の顔がほんの少し朱に染まる。
「そ、それは彼らを落胆させたくないだけだよ。主にも用意するように頼まれたからね。決して僕自身が楽しんでいるわけでは」
「はいはい、分かっているよ」
それだけだったら動物の形を模した菓子を一つ一つ丁寧に包んで飾ったりはしないだろうにと燭台切は思ったが口には出さない。
そろそろ僕も用意しておかないとねと踵を返した時、厨房の入り口でこちらをうかがう視線に気づいた。
誰だろうとそちらに顔を向けたが、目が合うと驚いてぱっと姿を隠してしまう。だが柱の向こうには気配がちゃんと残っている。
こそこそと隠れて相談し合う声が耳に届く。
「隠れちゃだめですよ。ほら勇気を出しましょう」
「で、でも」
「大丈夫です。燭台切さんはとっても優しい方ですから。同じ長船ですからきっと・・・」
さて僕はどうするべきか。この向こうに誰がいるのかはわかっていた。だけどこちらから顔を出しても頑張ろうとする彼の自尊心を気付つけてしまいそうな気がする。
実はまだ打ち解けていない。同じ長船とはいえ、生み出した刀匠も違うし、一緒にいたという記憶もない。あとにこの世に生まれた彼からすればどうやら僕は近寄りがたい刀らしい。
こちらのやり取りに気付いた歌仙が背後からちらりと視線を投げてきた。どうしたらいいと目線で訴えたが彼は気付かないふりをして再び調理に戻ってしまった。厨房の相方に見捨てられた燭台切はどうしたものかと自分だけで悩むしかない。
入り口の柱に細く小さな手がかけられた。こんな華奢な手で刀を握れるのかなといらぬ心配をしてしまう。
おそるおそる中をうかがうように謙信が顔をのぞかせた。燭台切がすぐ近くにいるのに気付くとまた反射的に隠れそうになったが、ぐっと手に力を入れて踏みとどまったようだ。
黒々とした双眸は幼いその姿に反して意思は強く感じられる。見上げるその眼は緊張で強張っているが決して僕を恐れているわけではなさそうだ。
僕らは長船という刀派のくくりにされているが、この本丸にいる他の刀派のみんなのように兄弟という訳でもない。長船という刀鍛冶の系譜から手繰られた細いつながりだ。だけど僕らは本体である刀身に同じ系譜の証をそこに刻んでいるんだよ。
燭台切は黙って穏やかな笑顔を浮かべるだけだ。余計なことを言わなくても君ならわかってくれそうな気がする。
(僕らはちゃんとつながっているのを君もわかっているだろう?)
じっと慈愛を込めて見つめられて謙信も少しはこちらの気持ちをわかってくれたのだろうか。貝のように閉ざされていた口が少しずつ開かれていく。
「あ、あの・・・」
「なんだい?」
「とりっくおあとりーと、です。・・・光忠・・・おじいさま」
それを聞くなり差し伸べかけた手が途中で止まった。背後では勢いよく吹き出したかと思うとくぐもった笑い声がとぎれとぎれに聞こえてきた。
口元を少しひきつらせながらも、燭台切はけなげにこちらを見上げる短刀に懸命に笑顔を向け続けた。
「謙信君、確かに君から見たら僕はそうかもしれないけれど。ちょっとそれは。あと歌仙君も笑わない!」
「いいじゃないか。かわいい孫ができて君も本心ではうれしいだろう」
いつの間にそこにいたのか柱に腕をもたれかけた鶴丸国永がにやにやと意味ありげな顔で楽しげにこちらを見つめていた。燭台切はすっと目を細めると伊達の同胞を恨めし気にねめつけた。
「鶴さん、もしかして謙信君に何か余計なことを吹き込んだかい?」
「おっと、これは俺じゃねえぜ。恨むなら三日月と鶯丸の奴に文句を言ってくれ。あいつらが刀匠が祖父と孫なら作られた刀も同じだなとか教えてたぜ」
「・・・ああ、そっちだったんだね。僕はまだそのつもりはないって言っているんだけどな」
額に手をやって燭台切はどうしたものかとため息をつく。これだと思ったら彼らは言葉巧みに外堀から埋めていくから厄介だ。
だが平安生まれの刀の彼らに比べたら、自分などまだ若いはずだ。まだ彼らほど年月を達観した境地には至ってないつもりなんだけれど。
そんな燭台切の心情を見切った鶴丸はあきらめろと肩を叩いてくる。
「あいつらに見込まれたら逃げられねえって」
「・・・でも鶴さん」
「めいわくだったか?」
傍らから少し気落ちした声をかけられて燭台切はぐっとつまる。
「謙信君は長船が誇る立派な刀だ。僕は君がここに来てくれて嬉しいし、ずっと待っていたんだ。僕のことは他の刀たちなんか気にしないで君が呼びたいように呼んでくれていいんだからね!」
熱く語る燭台切から遠く離れると、冷めた目で見た鶴丸がポツリとつぶやく。
「貞坊といい、加羅坊といい、あいつは結局身内を甘やかすんだよな。謙信におじいさまと呼ばれて普通に笑顔で返事をするようになるのも時間の問題だな」
「まったく。身内に強く出れない燭台切にも困ったものだよ。また好物を入れてくれと僕と食事の品目で揉めるのは目に見えているよ」
いささか乱暴気味に天ぷらのタネをかきまぜる歌仙に、鶴丸はからからと笑いかけた。
「それが燭台切らしいところじゃねえか? 俺が言うのもなんだがあいつの好きにさせてやってくれないか。会えて嬉しいから精一杯自分のできることをしてやりたいって思ってるだけだ。仲間思いの優しい奴だろう?」
「・・・燭台切には君が一番甘やかしているんじゃないかと疑っているんだけどね。伊達で一番の年長者であるなら君がもっと厳しくしてくれないととは思っているけど・・・まず無駄だろうね。わかっているよ」
個人のわがままを通すのは最初だけだからね、あとは駄目だと歌仙は言い放つ。
厳しいことを言っててもみんなからなんだかんだとせがまれて結局歌仙がしぶしぶ要求を受け入れるのもいつものことなんだがそれは武士の情けで言わないでおく。下手につっこめばこちらが手打ちにされかねない。
腕を組んだまま鶴丸は膝をついて目線を合わせて話を聞いている燭台切に視線を向ける。
少しずつ打ち解けて話せるようになった謙信を見つめる燭台切の眼はどこまでも穏やかで優しい。冬に向かうこの季節にまるでそこだけ春の陽があたるっているかのようだ。
誰に対しても心からの気遣いを忘れないのはきっとあいつが一度はすべてを手放したその過去のせいかもしれない。今一度、出会えることこそ奇跡なのだと、それをひとときたりとも後悔したくはないと。
これはすべて憶測だ。尋ねたこともないし、今更聞くことはこれからもないだろう。
だが自分の刀派の祖に打たれた憧れの刀を前にして頬を紅潮させている謙信の顔を見ればその感情の高揚は手に取るようにわかる。目じりを下げている燭台切も負けてはいない。
そんな彼らの姿に呆れて目を閉じた鶴丸は軽く吐息をこぼす。
「おいおい、慕われて嬉しいのはわかるがいいかげん顔がたるみすぎだぜ」
短刀 謙信景光 二〇一七年九月六日 顕現