ゆめうつつ

刀剣乱舞・文豪とアルケミスト関連の二次小説。主にコメディ中心。

再会 ~芥川・菊池~

 このほの暗い闇のほとりにどれくらい佇んでいることだろう。

 いつもと同じように床に就き、眠れぬからといつもよりも多くの睡眠薬を服用した。

 その夜の眠りはどこまでも深く、気づけばこの闇のほとりにただ一人立っていた。

 誰もいないこの場はとても静かだ。あれほど書き連ねるのに精力を傾けた文字の欠片すら見当たらぬ。

 静かすぎて己の意思ですら闇の中に消えかけそうになる。

 闇だけが広がるこの暗い場所にあれが現れたのはいつのことからか。

 か細く触れれば今にもちぎれそうな消えてしまいそうな糸が天上から垂れ下がっていた。上を見上げてもその先端は見えはしない。

 目の前にある糸を見ながら思いだした。

 そういえばかつて地獄に落ちた者を救うために天が細い蜘蛛の糸を差し伸べた話を書いたことがあったなと。

 だとすればこの糸は何のためにここに在るのだろう。

 何かを救うためか。だけどそれは僕ではない。

 なぜなら僕はこの闇の中から現実に目覚めようとは少しも思っていないからだ。

 背後でまた糸が一筋垂れ下がった。白いそれからは誰かの声が聞こえたような気がした。

 それでもまだ触れない。

 時を置いて糸は少しずつ増えていった。闇の地に波紋を広げ、それでもまだ糸は増え続ける。

 何のために、これは現れたのだろうか。

 死んでも死ななくても構わぬという心持ちで眠りについた自分はおそらくあまたの人を裏切っただろう。そんな人間を救う必要などどこにもないだろうね。

 ここは静かでいい。何も考えなくてもいいからだ。ただ残念なことは煙草がなくて口淋しいことくらいか。

 また傍らを糸が垂れ下がってくる。今度の糸は今までの白いばかりの糸とは違う。銀色できらきらとほのかな光を帯びていた。

 闇の中に取り残されて感情というものをどこかに無くしてしまったと思っていた心がそれを見て少しだけ動いた。ほの暗い闇の中に浮かび上がるどこまでも細い糸の輝きが美しいと、そう感動が無気力だった自分に宿った。

 気づけば触れようと指先をその糸に伸ばしていた。触れたら千切れて消えてしまうかもしれない。

 それでも触れずにはいられなかった。肉が落ちて痩せ細った指先が恐れながらも銀色の糸に触れた。

 ―――どこにいるんだ、いい加減出てこい。龍。

 糸に触れた瞬間に懐かしい声が耳に届いた。ただそれは自分が知っているよりもずっと若々しさにあふれた自信に満ちた声だった。

 幻聴だったのだろうか。視覚がおかしくなっていたというのに、今度は耳まで異常をきたすようになったのか。

 もう一度確かめるために、引っ込めた指先で再度それに触れた。

 糸の細い感覚が指に感じられた瞬間、その手首を誰かにつかまれた。

 突如あふれ出した光が彼を中心として闇を彼方へと消し去ってゆく。

 身体が浮かび上がる感覚を感じながら、もう一度あの声が聞こえた。

「やっと見つけたからな。もう逃がしはしないぜ」

 

 

「ここはどこかな」

 気づけば先ほどまでいた闇のほとりではない場所に立っていた。あたりを見回して周囲を確認する。

 手を伸ばしても届きそうにない高さの本棚に隙間なくびっしりと本が詰め込まれている。四方のどこを見ても本ばかり。ここは誰かの書庫のようなものだろうか。ただ個人が所有するにしてはかなり広かったが。

「久しぶりだな、龍」

 目の前に現れた男が腕を組みながら笑いかけてきた。自分のことを知っているようだがおぼろげな記憶の中にある誰の顔とも一致しない。だが自分の名を呼んだその響きが片隅にあったある人物を浮かび上がらせた。

「もしかして志賀さんですか。記憶とはだいぶ違っていたのですぐにはわかりませんでした。僕が知っている姿よりもだいぶ若返ってはいるのはどうしてでしょう。ああ、どうやら僕はまだ夢を見ているのですね」

「どうもまだ寝ぼけているみてえだが、夢じゃねえよ。鏡見てみろ、お前だって若返ってるぜ」

 後ろにあった鏡を振り向いた。終わらない眠りにつく前の、やつれた自分ではない。別人のようなその顔になぜか違和感を覚えた。鏡を見つめながら芥川は今まで心に抱いていた疑問を口にする。

「志賀さん、僕はなぜ生きているのですか」

 あきれ顔の志賀が乱暴に前髪をかきむしった。

「俺たちはある目的のために転生させられたんだよ。ここにいる文豪といわれる奴らは一度は死んで甦ってる。詳しい話は俺たちをここに引っ張り出した張本人の司書に聞くんだな」

「転生? なんだかおとぎ話のような話だね」

「さすがに信じられねえか。そうだよな。俺もここに呼び出された時はすぐに自分が生き返ったとは思えなかったが」

 「ここはずいぶん本がたくさんあるね。いったい何のためにあるんだい?」

「図書館、俺たちが書き上げたたくさんの本を後世の者達へ伝えるために残している場所だ。俺たちはその本を侵略者というやつらから守るために戦っているってわけだ」

「戦う・・・か。実感がわかないね」

「おまえも本の世界に行ってみればどういうことかわかるさ」

 自嘲気味に笑う志賀を芥川はぼんやりとしたまなざしで見つめる。その視線を後ろに流した。

「さっきから気になってはいたんだけど、後ろの赤い髪の彼は何で泣いているんだい?」

「ああ、太宰か。あいつはなあ」

 志賀の後ろでは悔しさを隠しもせずに滂沱の涙を流す太宰がしがみつきながら織田に慰められていた。

「うっ、なんであいつが先に芥川先生を見つけるんだ!」

「そりゃしゃあないわ。運ちゅうもんもあるんや。だが太宰君は頑張ったでえ、泣かんでもええやないか」

「そんなこといったって悔しいのは仕方ないだろ!」

 冷ややかに後ろを眺めて、再び顔を芥川の方に戻すと小さくため息をついた。

「いろいろと事情がな・・・」

 そんな志賀の言葉もうつろにどこかを見る芥川の耳には入っていないようだ。

 誰を見るでもなく、静かにぽつりと言葉を漏らす。

「僕は生きていていいのだろうか」

「なーに言ってんだよ。生き返ったばかりだっていうのにまだそんなこと言うのか」

 不意に志賀の眼が細くなる。薄く開かれた瞳の奥には有無を言わせぬ強い光が宿っていた。

「おまえがなんでそんなに自分を貶めようとするのか俺が知るわけじゃないが、ただ、これだけは言っておく。作家としてのお前にあこがれる者はたくさんにいるんだ。お前がいなくなったあともずっとな。その代表がこいつだ」

 後ろに手を伸ばすと、先ほどの赤い髪の彼の背中の首元をつかんで強引に引っ張ってきた。

「な、なにすんだ!」

「さっきからてめえもいつまでいじけてんだ。念願のあこがれの存在に会えたんだろ、ちゃんとあいさつしたのか!?」

 叫んで文句を言う口を黙らせると、彼は背中を押して芥川の目の前に押し出した。

「あ、う・・・」

 緊張のあまり言葉も出ないらしい。なぜか顔を真っ赤に染めている。

「ここにいるということはこの彼も文豪という存在なのかな」

「ああ、ただこいつはお前に傾倒しすぎて困りすぎるところがあるけどな。こいつは太宰治無頼派の作家だ」

 そうとつぶやいてから、一歩前に出て近づく。

「僕は芥川龍之介という。よろしく、太宰君」

 手を差し出すと、彼は一度その手に視線を落として戸惑うようにこちらを見上げた。ふわりと微笑みかけると、先ほどよりもさらに顔を真っ赤にして自分の手を握り返してきた。

「こ、こちらこそ先生に会うことができてうれしいです。あの、俺先生にずっと憧れてて・・・」

 手をばたつかせてうろたえる太宰の後ろで、見てられないとばかりに志賀が横を向いて目をそらした。

 自分に憧れているということは後輩にあたるのか。太宰と言った彼の自分を見つめるその眼は純粋にきらきらと輝いている。

(憧れるほどの存在なのだろうか、自分は)

 眩しすぎるそのまなざしが耐えられなくなって、まぶたをゆっくりと閉じかけた時だった。

 壊れるかと思うほど勢いよく扉を開けた激しい物音に驚いて、そこにいた全員が入り口を振り向く。

「芥川が来たって本当なのか!」

 懐かしいその声に細い芥川の眼が見開かれた。

(君もここにいたのか、室生)

 背の低いのはあの時と変わらないらしい。

 飛び込んできた室生は息を荒げて肩を大きく上下させると、厳しい視線を部屋の中心にいた芥川にむけた。そのまま大股で近づいてくる。

 グイッ胸元をつかまれた。

「ちょっと、先生。乱暴はあきまへんで」

 止めようとする織田の手を払って、室生は至近距離で芥川の顔を見つめた。

 胸の服を握り締めたまま、動かなかった彼の顔が急にぐしゃりとゆがんだ。

「・・・生きてる。またお前に会えるなんて」

 両目から涙をあふれさせて声を詰まらせる。

「ごめん。あの時、俺がお前に会えなかったせいで。もし俺が家にいてお前と会うことができたらきっと、止められたかもって。不安だったお前の心を少しでも楽にさせてあげられなくて、すまなかった」

 そこまで言うと、芥川をつかんだまま室生は声を震えさせて泣き出した。

「そんなに泣くことはないし、謝る必要もないよ。あの時は君と約束していたわけでもなかった。それが最後の機会だったとしても、君が思い悩む必要はない。悪いのは僕だ」

 芥川の言葉に室生が大きく首を振る。

「そんなこと言わないでくれ。だけど、悪いと思うのならもう、俺たちの前から勝手にいなくならないでくれ・・・」

 絞り出すような悲痛な声は透明な矢になって心へと突き刺さった。

 

 

 ベランダへ通じるガラスのはめ込まれた開き戸を開けると、夕暮れのひんやりとした冷気がさらされた肌に触れた。

 空は見事な茜色に染まっていた。ふわりと浮かぶ雲も灰色の影となり鮮やかな赤に陰影を添える。

 視線を投じると、ベランダの手すりのあたりに一人の先客がいた。

 遠くからでも一目でわかるその後ろ姿に疲れのにじんだ芥川の顔へつかのま笑顔が浮かぶ。

 来ている気配はとっくに気づいていたのだろう。軽快な声を上げてその者は振り返った。

「よう、たつ。遅かったじゃねえか」

「寛は全く変わってないみたいだね」

 彼は菊池寛、芥川とは学生時代からの長い付き合いだ。のんびりとした声も、けだるげなそのしぐさも何も変わってはいない。

 だが菊池は顔をしかめて口にくわえた煙草を離した。

「いや、これでも年寄りくさくなったぜ。太宰や織田みたいな無頼派のような無謀な若さはねえなあ」

「でもその落ち着いた感じが僕を安心させてくれるけどね」

 芥川はすっと菊池に向けて指を差し出した。彼はふっと笑うと上着の隠しから煙草の箱を取り出して差し出された指に挟んでやる。

 手慣れた様子でその煙草にライターで火をつけた。

「再会を祝して、俺からのささやかな贈り物だ」

「ありがとう、僕には何よりうれしいものだよ」

 あの暗いほとりでは口にすることはなかった。軽く息を吸い込むと体の中へ煙草の煙が染み渡った。なじみのあるその香りと味わいに芥川の眼が軽く見開かれる。

「これは君が好きな銘柄じゃない、この味は僕がよく吸っていたものだ」

「ああ、お前がいつ来るか思って用意してたのさ。けどまあ、ずいぶん長かったな。おかげで何箱か湿気ちまった」

 ベランダにもたれかけながら、菊池も煙草をくわえたまま夕日の沈んだ遠くの山を見つめていた。

 あくまで自然な感じを崩さない旧友に芥川は煙草を手にしたまま、重いまぶたを閉じた。

「君も、他の人たちも、何も責めないんだね。僕が死を選んだことに」

「たりめえだろ。今更とやかく言ったって、起こっちまったことは変えられねえんだ。俺たちができるのはただそいつが同じ過ちをしないようにそばにいることだけさ」

 手すりに手をかけたまま、くるりと身をひるがえして菊池は好奇心を秘めた目をこちらに向けた。

「で、誰に泣かれた」

「君にはそちらもお見通しなんだね。最初に室生、辰ちゃん。それに夏目先生まで涙を流されたのを見た時はさすがに堪えた」

「先生もか。それはきついな。夏目先生は俺たちよりも先に亡くなられたが、ここにきてお前のことについて知ってしまったみたいでな。しばらく落ち込んでおられたよ」

 短くなっていく煙草に視線を落とした。薄くたなびく煙が夕暮れの光をなくして藍色に暗くなってゆく空へと消えて行った。

 それに目を向けたまま、芥川は静かに問う。

「僕は地獄に落ちるべきだというほど罪を犯した。それなのに君たちは僕を責めずに涙を流してくれる。それがどこかむずがゆく、いたたまれない。誰も死を選んだ僕を怒らない。ここにきて怒られたのは、司書とかいう人に館内では煙草を吸えるのかと聞いた時くらいだ」 

「そりゃ怒られるさ。ここにはたくさんの本があるんだ。俺たちの本も、それ以外の奴らの本も。万が一失火でもしたら目にも当てられねえだろ。吸いたくなったらここに来な。この季節はまだ少し夜は寒いが、ここでだったら万が一煙草の火が落ちたとしても問題はないしな」

「寒いのはつらいけど、しかたがないね。煙草が吸えないほうがもっと耐えられない」

「それはいいけどよ、さすがに一日180本はまずいぜ。少しは抑えろよ」

「煙草を吸いながら将棋を指して、夢中になりすぎて服も座布団も焼き穴だらけにしていた寛には言われたくないな」

「そういわれると俺がなにもいえねえじゃねえか」

 手すりの傍にあった灰皿に短くなった煙草を押し付けた。燃えさしの火が消えて、煙だけがたなびく。

 この灰皿もこの菊池が用意したものなのだろうか。灰皿にあるたばこの銘柄はどれも同じだ。彼はどれだけ長い間、ここで一人煙草を吸い続けていたのだろう。

 傍らにたたずむ友人に、芥川はそっと語りかける。

「ねえ、寛。僕たちはあとどれくらいここでともに煙草を吸うことができるのだろうね」

「さあなあ。本が奴らに穢されなくなるまでだろうが、いつになることやら。でもこれだけは確かだな。お前はもう勝手には死なねえよ。俺たちがお前を絶対に死なせないってのもあるだろうが、ここに居たらお前自身がきっと死を選ぼうなどとは思わなくなるはずだぜ」

 自信を持って言う菊池の言葉に、芥川は瞠目して何も答えられずにいる。

 彼のその強い言葉は彼自身の願いであり、同時に自分を縛る呪でもある。先に言われてしまったらもう、できないではないだろうか。

 陽の落ちた山は夜闇にのまれ、遥か頭上には星が瞬き始めている。

 煙草を吸い終えた菊池が腕を上にあげて体を思いっきり伸ばした。

「さて、暗くなっちまったな。もう夕食の時間になるな。今日はたつの歓迎会だ。主賓が遅れたら大変だろ、さっさと行かないとな」

「歓迎会? ずいぶんにぎやかなこともするようだね」

「お前はどんだけ俺たちを待たせたかわかってねえからな。覚悟しとけよ。ほかの奴らはそう簡単にお前を開放してはくれねえだろうからな。さあ、行くぞ」

 背を押されながら芥川はベランダから中に押し込まれた。

 もうそこには誰の人影もない。遠くの食堂からにぎやかな声が風に乗って時折漏れ聞こえるばかりだ。

 庭をほのかに照らす外燈がまもなく花開かせようと膨らみ始めた桜の木の枝を照らしていた。

 

 

 太宰と志賀の芥川チャレンジ。数か月に及ぶ戦いは志賀の勝利でした。

 なんとなくそんな気はしたのですが。

 次は鏡花さんを目指して紅葉先生と秋声が挑みます。

 図書館の広いベランダでは芥川と菊池の二人がいつも煙草を吸っていると思われます。ただ嵐の日はどうするんだ。そのうちヘビースモーカーの文豪たちが集まる場所になるんだろうなあ。

 

 新思潮派 芥川龍之介 二〇一七年三月一九日 転生

 

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