修行 ~大倶利伽羅~
わざわざ正面の玄関から出る必要もない。
出陣する部隊の出入りが激しい本丸の母屋の入り口は常に誰かがいるだろう。もし誰かと会えばあいつらは必ず何をしているのかと話しかけてくる。そうなったら面倒だ。
話しかけるなと睨みつけても最近は誰もひるまずに親しげに話しかけてくる。それが癇に障る。
東の対屋より渡り廊下で続く離れは普段は誰も使っていないからか、明かりもともされず闇にまぎれてよく見えない。そこから庭伝いに建物の外側をまわっていけば過去の時代へつながる門へ出れるはずだ。
大倶利伽羅は足を止めて周囲に警戒の視線を走らせる。
本丸中を元気に走り回っている短刀の奴らもこの辺りにはいないようだ。
それでも足音を立てず、気配を殺しながら先へと進む。
木の葉が枯れて落ち丸裸となった木々ばかりの庭はどこかさびしげで、冬の凍てつく寒さを徐々にまといながらしんと沈黙が垂れ込める夜の闇に溶け込もうとしていた。
誰もいない。十分警戒はしていた。だが。
「貴様、どこへ行くつもりだ」
背後から怒気を含んだ声を投げかけられて、大倶利伽羅は足を止めた。
肩越しにゆっくり振り向くと眉間に険しいしわを寄せながらこちらを睨みているへし切長谷部が仁王立ちしていた。
「お前には関係ない」
大倶利伽羅は短くはねつけたが、それで許す長谷部ではなかった。大倶利伽羅の肩を掴み、逃がすまいと手に力を込める。
「貴様の勝手な行動をこの俺が見抜けないとでも思っていたか」
振りほどこうとしても長谷部の力は緩まない。逃げれないと分かった大倶利伽羅はかすかに俯き、顔をしかめて舌打ちをした。
「あれ、やっぱり黙ってここを出て行こうとしていたんだ。駄目だよ、加羅ちゃん。出て行く時は挨拶くらいちゃんとしないといけないって言ってるよね」
連絡を受けて呼び出された燭台切光忠はすでに状況を察していたのか、やっぱりねという顔をして驚くのではなく呆れた風情でたしなめた。
「燭台切、問題はそこではない」
先ほどからずっと顔をしかめたままの長谷部が腹の底から絞り出した低い声でねめつける。
「貴様、こいつが勝手に修行に旅立とうとしていたことを知っていたな?」
「うん、ここ数日、加羅ちゃんの様子がおかしかったからね。なにか企んでいるんだろうなって気はしたんだろうけど、聞いても自分のことは正直に答えてはくれないからね。だから一応動向には気を付けてたんだけど」
などとあっさりと白状する。だが気付いていても普段通りにして止めはしなかった。
燭台切を軽く睨みつけた長谷部が目線を横に向け、こちらとは一切視線を合わそうとはしない大倶利伽羅を見やる。
「おかしかったか? ついさっきまでいつものように無口で無愛想だったはずだが」
「まあ表情はそんなに変わらなかったけどね。ただ僕が話しかけても大体無視する加羅ちゃんがちゃんと返事をしてくれてたから」
「そうそう、いつもは邪魔だとか言う加羅が俺に遊んでやろうかとか言ってくるんだもんな。思わず早い雪かそれとも槍でも降るのかなーって空見上げちまったぜ」
燭台切の後ろにくっつくようにひょっこり顔をのぞかせた太鼓鐘貞宗が満面の笑顔で笑っている。
「他の奴らの前ではいつも通り無愛想に見えただったかもしれないが、古馴染みの伊達のところでは普段と違う顔を見せていたというわけだ。・・・ところで加羅坊、俺にはいつも以上に冷たかったが照れなくてもいいぜ。存分に甘えればいいだろ、ほらこいよ」
上機嫌でおいでおいでをする鶴丸を大倶利伽羅が視線だけで射抜けるほど鋭い眼力で睨みつけた。
「ふざけるのも大概にしろ」
「あー、鶴さんはいつも加羅ちゃんで遊んでいるからねえ」
「あんまりおちょくってからかうと、加羅が強くなって修行から帰ってきたら真っ先に日ごろの恨みって返り討ちにされるんじゃねえか?」
燭台切と太鼓鐘の支援を得られなかった鶴丸は金に濡れるその瞳を細めて妖艶な笑みを浮かべた。
「そういうつもりはねえぜ。俺は加羅坊ことが好きなだけさ。これは本当だぜ」
「しらじらしい台詞を」
穿き捨てるように言い放った大倶利伽羅は以後一切鶴丸と視線を合わせようとはしなかった。動き回って視界に入ろうとするが、あえて無視する。
「鶴丸ほど言葉と行動が伴っていない奴はいないと思うがな。しかし、大倶利伽羅。なぜ貴様は主に断りもなく修行に出ようとしていた」
どうやら長谷部はそれが聞きたかったらしい。だがすぐそばまで詰め寄られても大倶利伽羅は冷ややかに視線を向けるだけで一向にその口を開こうとはしなかった。言いたくないことを言うつもりはない。
大倶利伽羅が何も言わず、無駄に時が過ぎていく。白々とした月の光を受けた長谷部の眉間のしわが深くなってゆく。
「いいかげんにしろ、貴様・・・」
「そういえばなんで長谷部君は加羅ちゃんが出て行こうとしていたのに気付いたのかな。あそこは普段誰も行かないでしょう?」
不思議そうに問いかける燭台切に長谷部はふんと鼻を鳴らす。
「愚問を。この本丸で主に不遜な態度を取る奴を俺が見逃すと思うか」
「うわあ、君は修行に出てからさらに主への忠誠心に磨きがかかったよね。主が何をやっているか逐一把握しているって本当? それに内番とかさぼっていてもすぐ見つかるって噂になっているんだけど。なんだか聞くことみんなすごすぎて、修行で何を極めてきたんだい」
「つまり本丸でうっかり主への文句でも言おうものなら長谷部がすっ飛んでくるっていうことか。こりゃ気をつけねえとな」
本気とも冗談ともいえない口調で鶴丸がからかい交じりに笑いながらこっそりつぶやく。
後ろ手に腕を組んで彼らを眺めていた太鼓鐘が絶賛不機嫌な大倶利伽羅の顔を覗き込んだ。
「なあ、加羅。お前にも思うところはあるんだろうけどさ、主に内緒で出て行くのはやっぱよくないと思うぜ。それに修行に出るならあれを着ないのはずるいだろ」
ほらと後ろを指さす。先ほどから彼らの会話を黙って聞いていた山姥切国広が両手に旅に出るための荷物を抱えて立っていた。いつからそこにいたのか、こいつらにはなるべく関わりたくないなとひきつった顔で暗がりに佇んでいる。
藍染めに白い縞模様の外套と荷物を入れるための藁編みの行李、そして旅路の日差しや風雪をしのぐための笠。丁寧に重ねられたそれら一式を山姥切は大倶利伽羅に差し出す。
「極の修行に出るならそれを着ないといけないんだよな、まんばちゃん」
「・・・太鼓鐘、その名で呼ぶなと何度言えば。まあいい、とにかく極への修行に出るのであればこれは必要なはずだ。主への通信に使う手紙は行李の中に収めてある」
差し出されたそれをじっと見つめていた大倶利伽羅は疲れたかのようにため息をつく。
「何が不服だ」
先ほどよりずっと不機嫌な長谷部が低くつぶやきさらに険悪な表情を浮かべる。
ぽんと拳を手のひらでうった太鼓鐘が何やら分かったのかぱっと表情を明るくした。
「あ、もしかしてこいつを着るのがいやだからっていうんだろ。そうだろうなー、ほんとださいよな。もうちょっとこう個性に合わせて格好よくしてほしかったんだけど、政府の決めた規則だから勝手に変えちゃ駄目だっていわれてさ。俺だって我慢して着たんだぜ、だから加羅も着るしかねえだろ。おまえだけ着ないなんて許さないからな!」
「それが理由ではないんだが」
勝手に怒って詰め寄る太鼓鐘を大倶利伽羅は何とか押し戻す。
手にしていた笠をじっと見つめていた山姥切が不意にこちらを見つめて言った。
「たしかにこれはあんたには似合わないかもしれないな」
「おいおい、山姥切。お前さんだってもうすぐそいつを着なけりゃならねえんだぜ。そうするとその布は邪魔だよなあ。どうするんだ?」
いたずらっぽく目を輝かせながら鶴丸が面白がる。だが山姥切は冷ややかな一瞥を投げただけだった。
「どうするもなにもこの上から着るだけだ。他にあるのか?」
「・・・待て、布をかぶったままか?」
「当たり前だ。俺は汚れているくらいでちょうどいいんだ。旅の塵にまみれて汚れるのであればなおのこと俺にはふさわしいだろうな」
つまりあのてるてる坊主のような布をかぶった状態で縦じまの外套をまとい、笠をかぶるつもりなのか。逆にそれは周囲から浮いて人目を引きまくって目立つのではないかと鶴丸は思ったが、そこまでは気付いてないだろうから後の愉しみとしてここは黙って置くつもりらしく、薄く笑ってそれ以上何も言わなかった。
「自分を押し通そうとするのはお前さんもだな。修行に出た後どうなるか今から考えても怖いぜ」
眉間に指先を当てて鶴丸は顔をしかめて呻いた。
口元に手を当てて長谷部がひときわ大きな咳払いをした。脱線しまくる会話を強制的に打ち切らせる。
「とにかくまずは主へひとときの暇乞いをするのが最優先だ。異論は許さん。さっさと行くぞ」
どんな手段を取ろうとも長谷部は大倶利伽羅を主の下へ連れて行こうとするだろう。
まつ毛の長いその瞳を伏せて軽く舌打ちをする。
「挨拶はちゃんとしないとね。主さんも心配しているよ」
「ほらいつまでもすねるなよ。さっさと行って来ればいいだろ」
片手を上げて手のひらをひらひらさせて燭台切たちが見送る。腕を組んで廊下の柱に背を持たれかけさせていた鶴丸が少し首を傾げて微笑む。
「素直じゃないからな、加羅坊は」
「さすがに大倶利伽羅もあんたにだけは言われたくはないだろうな」
鶴丸の発言に反論する山姥切の声が幾分とがって聞こえるのは気のせいか。立ち去る背に届く声は遠ざかるごとに小さくなってゆく。
廊下の角を曲がりきるその時、最後に聞こえた声は。
「加羅ちゃんはちゃんと帰ってくるよ、誰よりも強くなってね」
きしりと心が軋む。心配、信頼、迷い、奴らと話せば話すほど様々な感情が押し付けられる。独りであれば決して自分が揺らぐことはなかった。
自分で心を決めたならば後ろに引き止めようとするそれらはわずらわしく面倒なだけだ。
だから俺は、誰にも言わずに旅立とうとした。
しかしそうはいかないのがこの本丸だ。ここは世話を焼きたがる奴らが多すぎる。俺は独りでできると言っているにもかかわらず、何かできることはないかと声をかけてくる。
特に伊達の奴らはなぜあそこまで俺を構う。
関わるなといっても聞きもしないで何かとまとわりつく。正直、うるさいと思うことがほとんどだ。
(だから黙って出て行こうとしたんだが)
そこまで考えて大倶利伽羅は軽く舌打ちをした。先を行く長谷部はちらりとこちらに意味ありげな視線を投げかけた。
「今回の所業は貴様らしいと言えば貴様らしいが、思い違いはするな」
「何のことだ?」
大倶利伽羅の問いかけに長谷部はしばし黙り込むと、前に視線を向けて背中越しに答えを返す。
「俺たちは刀だ。所詮はそれだけの存在だと分かっているな?」
「当たり前だ。今更何を」
「どうだか、今の貴様が考えていることと、俺が旅の果てで気づいたことは違う。貴様が修行に出て答えを見つけたとしても根底では決して俺と同じ考えにはならないだろうな」
だがと長谷部はさらに続ける。
「これから行く時代の先で貴様が何を見てくるか俺には知ったことではないが、これだけは忘れるな。俺たちが今この時代に呼び出された理由、そして今の主が誰であるかだ」
それだけ言うと長谷部はある部屋の少し手前で足を止めた。障子が閉めきられてはいたが紙に透けて中では明かりがほの照らされているのが分かった。
それ以上もはや長谷部は余計なことを言うつもりはないようだった。
「早く行け、主が待っている」
厳しい声でうながされて大倶利伽羅は仕方がないと障子の取っ手に手をかけた。
ここに来てより幾度聞いたことか。部屋の内より自分の名を呼ぶ幼さのにじむ声が耳に届く。
修行に行けるようになった回想が出た時、ちょうど長谷部が近侍やってたのできっと彼につかまったんだろうななんて思ってしまった。なんてタイムリーな近侍。
彼が修行に行っている間、大阪城周回で次々とドロップするわ、帰ってくる日にちゃんとログインボイスを聞かせてくれるわ、本当に慣れあわないって思っているのかと疑問を覚えましたが。
本来ならば我が本丸の初太刀であった彼の新たなる成長を祈りつつ、これからがっつり練度上げします。
打刀 大倶利伽羅 二〇一七年十二月九日 極修行帰還