ゆめうつつ

刀剣乱舞・文豪とアルケミスト関連の二次小説。主にコメディ中心。

登山 ~国広兄弟~

 岩の頂上に手をかけた。からりと小さな小石がすぐ横を落ちていく。

 零れ落ちた石は乾いた音を響かせながら、やがて崖の下へと見えなくなった。

 石を追っていた目線を再び上に向けた。登って行く先に一応足場はある。だが広くはない。少しでも足を踏み外せば、なすすべもなく下に落ちてゆくしかないだろう。

 山姥切は慎重に足を上へと動かした。頭上高く空を一羽、華麗に鳥が舞う。それにふと視線を取られた瞬間、足をかけた岩場が崩れ落ちた。

 支えをなくした身体の重みで、手が外れた。なすすべもなく宙へと投げ出される。

 足場を無くしてただ茫然と落ちると思った瞬間、大きな掌が彼の腕をつかんだ。

「どうした、兄弟。集中力がなくなっておるぞ」

 岩の上から覗き込んだ山伏国広が豪快に笑いながら落ちかけた山姥切の腕をつかんでいた。そのまま余裕の表情を浮かべたまま軽々と引き上げてしまう。

「ふむ、兄弟は軽すぎるな。もっと筋肉を付けたほうがいいのではないか?」

「助けてもらったことには礼を言う。だが、俺はたぶん兄弟のような筋肉はつかないと思うぞ」

「やってみなければわからぬ。初めから無理と断ずるのは問題があるな」

 つるされたまま仏頂面で答える山姥切に全く頓着せず、山伏はいつものように闊達に笑い続ける。そしてゆっくりと岩場の上に下ろされた。

「なんかおもしろいことでもありましたか?」

 岩場をシカが駆け上るように身軽な足取りで駆け上がってきた堀川国広が笑顔で尋ねてきた。

「兄弟で山に来れたことがかようにもうれしいのだ」

「それは僕も同じですよ。・・・兄弟もそうだよね」

 期待を込めて見つめられて、思わず頬が赤くなる。

「・・・ああ、俺もだ」

 かすれるような小さな声だったが、その言葉をしっかりと耳にした兄弟たちは自分に向けて最高の笑顔を浮かべた。

 

 

 時は一日前にさかのぼる。

 仕事部屋で書き物をしていた山姥切は目を細めて筆を置いた。指先で目元を軽く押して軽くつまむ。。

 目がかすむ。毎日たくさんの書類に目を通し続けているせいか、疲れがたまっていた。かといってやるべき書類の仕事はまだたくさん溜まっている。

 向かい側に目をやると、先ほどから全く変わらぬ姿勢で長谷部が筆を動かし続けていた。

 物事には向き不向きというものがある。どう考えても山姥切は自分がこういった仕事に向いているとは思ってはいなかった。

「お二方ともおやつの時間だそうですよ。休憩しましょう」

 彼らの仕事部屋に主が顔を出した。

「ほら、旦那たち、茶でも飲んで休んだ休んだ」

 菓子の載った盆と茶瓶を手にした薬研がその後ろから姿を現した。机の上にそれらを置くと、素早く長谷部の見ていた書類をひったくった。

「適度な休息を取ったほうが業務効率は上がるんだぜ。大将は休めって言ったんだ、主命第一の旦那が逆らうわけねえよな?」

「主命であればしかたありません。だが貴様に言われたからではないぞ、薬研。主がそう望まれたからだ」

「はいはい、よくわかっているぜ」

 軽く肩をすくめて薬研は反対側の山姥切の方を向くと心配そうに覗き込んだ。

「こっちの旦那はだいぶお疲れのようだな。ちゃんと寝ているか?」

 薬研は顔を寄せて彼の目もとをまじまじと見つめてくる。

「・・・一応、睡眠はとっている」

 ただしっかり眠れているかというとわからない。目元に手を当てながら顔をしかめる山姥切を長谷部はあざけるように視線を投げた。

「これしきの量で音を上げるなどたるんでいるぞ。仕事は山積みなんだ、本来ならば寝る時間も惜しいくらいだ」

「あんたはいったいいつ寝ているんだ。深夜になってもあんたの部屋の明かりが消えていたためしがないんだが」

「ふん、他の者に寝顔など見せるわけないだろう」

 さも当然の顔をして威張る長谷部を山姥切は胡乱なまなざしで見やった。そのまま傍らでこれも呆れた顔をしている織田の短刀に低い声で声をかけた。

「薬研」

「わかってるって、うまいぐあいにやっておくよ」

 一時期織田で一緒だった薬研は長谷部の生真面目すぎる性格をよく知っている。仕事のために睡眠の時間を削る彼のやり方は当然見過ごせないだろう。

 本丸の薬師を自主的に務めている薬研はその証である白衣をひらめかせてにやりと笑う。黒い目を輝かせておそらく短刀の中でも切れる頭の中で企んでいるのだろう。今回はどのような薬が作られどのような結果をもたらすのか、それは神のみぞ知る。

 いつもの席に座った主が不安な表情で居心地悪そうにしている。薬研の手で彼らの手元に茶の入った湯呑と中央に大福の入った菓子盆を置く。

「そういえば切国たちは最後にちゃんと一日休みを取ったのはいつ? 年末年始は出陣以外ずっとこの部屋にいたような気がするのだけど」

 伺うような目を向けた主に問われてふと考える。前回の連隊戦は最初は毎日出陣していたが、交代してからは部隊の配置や指示などやることが山積みで目の回るような忙しさだった。だとしたらその前か。いや、秘宝の里も長谷部とずっと出陣していたような気がする。

 口元に手を当てて真剣に考え込んだ。

「いつだったか覚えていない・・・」

「完全なワーカーホリックというやつだな。働きすぎて休むのを忘れちまっている」

 お手上げだと言わんばかりに両手のひらを肩のあたりで上に掲げた。

 悄然とうなだれた主はうつむきながら山姥切たちに頭を下げる。

「他の刀たちの事に集中してて、私も指示する君たちのことを忘れてました。本来なら私から言わなければならないことなのに。・・・そうだ、こうしましょう。切国と長谷部はこれから三日間仕事をしないで休んでください」

 突然そんなことを言われて、山姥切たちは手にしたおやつの大福を仲良くそろって落とした。慌てて同時に体を乗り出して抗議の声をあげた。

「今からか! 急すぎるだろ!」

「待ってください、主。仕事がたまっているんです。これが終わらないと本丸の業務が滞ります」

 彼らの周りにたまっている書類の山を見渡して、主は小さくため息をついた。

「こんなにあるのではいつ終わるかわからないよ。仕事に関しては一期や加州とかできそうな刀に頼むから心配しないで。いい、君たちは今から三日間、一切仕事というものをしないことわかったね。これは主命だよ」

 問答無用の威圧を込めた笑顔で主はきっぱりと言い切った。

 

 

「いきなり休めと言われても・・・」

 追い出されるように仕事部屋から出された山姥切はいったん自室に引き下がることにした。長谷部は主命を持ち出されても何とか逃げ道を探そうと抵抗していたが、笑顔を浮かべた薬研に強引に連れて行かれた。

 突然休みを与えられてもすることがない。仕事をするなということはほかの内番を手伝うこともダメだろう。

 主からの通達はすでに本丸中に知れ渡っているはずだ。隠れてやっていてもすぐ見つかるだろう。

 しかも三日間だ。何をして過ごせばいいのか。これといった趣味のない山姥切には難しい事柄だ。それに誰かと目的もなく群れるのも好きではない。

 足を止めてしばし考え込む。そしてポツリとつぶやいた。

「することがなにもない・・・」

 愕然とした彼を、突然背中から誰かが激しく叩いた。あまりの力にそのまま前にのめる。

「たそがれておるな、兄弟。何を沈んでおる」

 聞きなれた声が頭上から聞こえた。加減を知らぬ馬鹿力をまともに受けてずきずきと痛む背中を抑え、山姥切は顔をしかめた。

「なんでも、ない」

「ほう、なにもなければそのような思いつめた憂い顔などせぬ。拙僧でよければ聞くぞ。話せば少しは気が楽になるであろう」

 見下ろすその瞳はいつもと変わらず温かい。その優しさがむず痒くて横に視線を泳がしてしまう。布をかき寄せて顔を隠しながら山姥切はつぶやいた。

「主から三日間休むように言われた。突然そんなことを言われても何をすればいいか思いつかないだけだ」

 この本丸に顕現した時からいつも戦場で戦い続けていた。練度が最高値になって第一部隊を退いても出陣部隊の作戦案件を常に考えている。だからそれらすべてを取り上げられて戸惑っているだけだ。

 何もしなくてよくなると、とたんにここにいてもいいという自分の存在理由が見えなくなる。

 自分を隠す布をさらにきつく握りしめた。しばし山姥切の言い分を黙って聞いていた山伏が重々しく頷いた。

「うむ、ならば奇遇だな。拙僧も今日から休みをもらったのだ」

「え?」

 思わず顔をあげた山姥切の肩にそっと手が乗せられる。

「拙僧だけではないぞ、ほら見よ」

「兄弟、ちゃんと言われたもの準備してきたよ」

 何やら大きな白い塊を抱えながら歩いてきたのは堀川だった。何もかも了解済みという顔をして堀川は笑顔でそれを胸に差し出だしてきた。

「なんだ、これは」

 戸惑う山姥切に首をかしげた堀川が山伏に問いかけた。

「あれ、まだ説明はしてないんですか?」

「兄弟がそろってからと思ってな」

 どうやら彼らの間では話がついているらしい。兄弟たちの会話に完全に置いてけぼりの山姥切が戸惑って問いかける。

「まってくれ、話がみえないんだが・・・」

「ああ、主さんから休みをもらったんですよ。堀川派のみんなで、ちょうど三日間」

「兄弟たちも、か?」

 展開について行けなくて言葉をなくした山姥切に向かって、腕を組みながら山伏が重々しく頷いた。

「戸惑うのも無理はない。突然だったゆえ、拙僧も驚いたからな。だがこの機会を逃す手はない。かねてより念願だった兄弟での修行に山へ行くぞ!」

 

 

「それでこの山伏装束か」

 けもの道どころではないむき出しの岩肌を登りながら、山姥切は悪態をついた。手足をしっかりと岸壁にしがみつかせながら何の支えもない崖をよじ登る。真横をからからと小石がもう見えぬ山底へと落ちていった。

「現代の山であれば普通の衣服でもなんとかなったんですけど。山伏兄さんはいつも昔の時代の山に登っているらしくて、そうすると修験道をしている山伏姿の方が誰かに見つかった時もごまかせて都合がいいんですって」

「かっかっか、よく似合っておるぞ」

 先頭をゆく山伏が振り向きながら笑っていた。その横を何ともない顔で堀川が飛ぶように登ってゆく。

 兄弟たちはまだ余裕らしい。自分だけ少し遅れ気味になるのはやはり部屋仕事続きで体がなまっているせいか。いや、ただの登山ならばこんな崖を登って行かないだろう。

 頂上から吹き下りる冷たい風が頬を撫でる。額に浮かんだ汗が頬を伝って顎に落ちた。季節は冬なのに岩山登りなどして激しく動かしているせいか体の芯から火照って熱くなる。

「うむ、もうすぐだ。頑張るのだ、兄弟」

「言われなくたって、わかってる!」

 怒鳴り返して岩肌をつかんだ手に力を入れた。

 先をゆく兄弟たちが崖の上に消える。もう登りきったのか。

「おお、なかなか良い眺めだぞ。早く来るがよい」

 上から山伏の声が降り注ぐ。続けて堀川が激励の言葉をかけてきた。

「兄弟、頂上に着いたらお弁当にするからね! あと少しだからがんばってください」

 何のこだわりもなく自分にかけられる言葉に、こわばっていた顔の力がほどけた。自然と口元が緩む。

 笑い声と応援とにぎやかな声が彼らだけしかいない山の頂に響き渡る。その声援を受けながら、やっと頂に手をかけた。

「やっと、ついた・・・」

 ぜいぜいと息をしながら体を引き上げるとそのまま地面に倒れこんだ。

「ご苦労様、でも倒れる前に景色を見たほうがいいよ。ほら」

 堀川に促されて、のろのろと体を持ち上げる。指差されて見たその先にはここでなければ見えない光景が広がっていた。

 ただ目を見開いてその世界に目を奪われる。

 空は一面の青だ。どこまでも澄み渡り、手を伸ばそうとも届きそうにない。鮮やかな蒼穹を背に聳え立つ山々は頂上に雪をかぶり、陽光にきらめいている。

 四方を見渡してもそんな雄大な景色に自分は囲まれている。長い月日が経とうとも、この光景はかわらないのだろう。

「ああ・・・」

 思わず口から感嘆の声が漏れる。美しいとか、すばらしいとかそんな安易な言葉では言い表せない。呆然と立ち尽くすのみ。

「すごいよね。こんな気持ちになれるのはきっと自分たちの力だけでここまでたどり着いたからなんだろうね。頑張ったご褒美みたいなものでしょうか」

「拙僧が見せたかったのはこの景色なのだ。己の力で成し遂げたとき、世界は違ったように見えるであろう。己の力はここまでできると、さらに大きなことができると信じられるようになる。この雄大な世界を前にして己の悩みなど小さくて吹き飛んでしまうであろう」

「その論理、結構力技ですよ。山伏兄さん」

「そうか、だがにゅあんすとやらが伝わればいいのではないか?」

 冷たい風が火照った頬をひんやりと冷やしてゆく。その心地よさに思わず笑みがこぼれる。

 何も考えずにただひたすら兄弟の後を追って山を登っていただけだ。体は疲れ切っていて頭はとっくにからっぽだ。だが不思議と体を動かして酷使した後の疲労は嫌じゃない。

「俺をここに連れてきてくれてありがとう、兄弟」

 山姥切の素直な礼に、思わず顔を見合わせた山伏たちだったが、すぐ笑顔になって肩を寄せ合った。

「礼などいらぬ。兄弟ではないか」

「そうですよ、助け合うのは当たり前ですから」

 どちらもうれしそうだ。

 ずっと心配をかけていたのだろう。それなのに自分が自分で抱え込んでなかなか助けを求めなかったから。

 返す言葉が見つからない。ただ山姥切は彼らの腕を取って真ん中で顔をうずめた。

 

 

「いつ見ても見事な景色よ」

 昼食のおにぎりを頬張って、山伏は辺りを眺め渡した。

 上空に広がる空は晴れ渡り、彼らの立つ山の頂の下にはいつのまにか雲海が広がっていた。

「ここに来ないと見れないってことは結構贅沢ですよね」

 堀川が差し出したお茶のコップを山姥切は素直に受け取る。

「来ないと見れない、か」

 つぶやいて考え込むと、突然懐をあさりだした。

「何しているの?」

「確かこの中に・・・あった」

 山姥切が取り出したのは真四角の白い一枚の紙。裏返すとそこには墨で不思議な文様と文字が書かれている。

 携帯用の矢立から筆を手にして、勢いよく筆を滑らせる。一気に書き上げたそれを見た堀川が驚いて思わず手を叩いた。

 「すごーい、何も見ないで描くなんて。これは鷹かな?」

「ああ、さっき空を飛んでいた奴を描いてみた」

 筆を仕舞ってから山姥切は紙を地面に置き、飛ばされないように石を置いてから手を合わせる。

相模国審神者の式よ、今ここにその雄姿を現せ」

 清らかな柏手が二度鳴り響く。すると目の前の紙が瞬く間に描かれた鷹の姿へと変化する。鷹の式は雄々しく羽ばたくと、そのまま空へと舞いあがった。

「おお、式神の術か。兄弟はいつの間にこのような術を使えるようになったのだ?」

「これは俺の力じゃない。俺には霊力などないからな。主がこの紙に式の力を封じ込めたものだ。絵を描けばその動物の姿で式が顕現するようになっている」

「便利ですね。誰でも絵を描けば使えるのかな」

「いや、そうでもないらしい。鶴丸の奴が絵を描いたが式は現れなかった。どうも下手な絵だとダメらしく、あと主との相性もあるらしい」

「なるほど。兄弟は主殿の初期刀ゆえその絆も深い。だからいともたやすく式をだせるのであるな」

「なっ、そういうわけじゃない!」

「それであの鷹はどうするんですか?」

 空を見上げていた堀川が上を指さして尋ねてきた。

「この景色を記憶させている。主に俺たちがいる場所を見せてやりたい」

 目を動かして何か考え込んだ堀川が、不意ににこっと笑った。

「そうですね、主さんきっと喜びますよ」

「・・・違う、現状報告で送るんだ。俺たちがいつまでに帰る予定かを記した事務連絡も一緒にな」

「もう、そんな照れ隠しなことを言わなくてもいいですよ。隠し事をしても僕たちにはすぐわかるっていつも言ってるじゃないですか」

 大空を幾度もまわって辺りを見渡していた鷹の式は翼をはためかせると、一路本丸目指して飛び去った。

 

 

 「外は大変な吹雪になってきましたよ。途中でこんな小屋があってラッキーでしたね」

 てきぱきと囲炉裏に火をつけながら堀川がのんびりと言った。

「・・・遭難しかけて幸運なんてあるもんか」

 恨めし気に山姥切は堀川をにらむ。

 あまりの寒さに手がかじかむ。みすぼらしい小屋だが雪からは守られている。ただところどころにある隙間から寒風が入り込んでいて、気温はおそらく外と変わりない。それでも風が遮られているだけましか。

 激しい雪交じりの風が叩きつけるように小屋を揺らす。これ以上風が強くなったらこんな古い小屋など吹き飛ばされるのではないだろうか。

 山を登ったまではよかったが、下山途中で突然天候が悪化し吹雪になったのだ。山伏がこのあたりに小屋があると知らなければどうなっていたか。

「雪がやむまでここで待つしかないな。ほれ、鍋があったぞ。これで汁物でも作れば体も温まるだろう」

「ああ、いいですね。僕、いいものを持ってきているのですぐ作りますね」

 てきぱきと準備をしだした彼らを見て、山姥切も腰を浮かせた。

「俺も手伝う・・・」

「ダメ、兄弟は休んでて」

 手を広げて堀川がきっぱりと断る。

「息も帰りも僕たちの中で一番進むのが遅れていたでしょう。我慢してたって疲れているのわかっているよ。おとなしくそこで座ってて」

「う・・・」

 言い当てられて返す言葉もない。膝を抱えてうずくまる。

 手先が震える。刀の姿であればこのような寒さなど関係なかった。人の姿を与えられたからこそ、寒さに震え、自分を縛り付ける余計な想いに囚われる。

 人の姿とならなければよかったのか。刀のままでいればよかったのか。だがそうしたら箱の奥に大事にしまわれて、誰とも会うこともないまま月日を重ねていただろう。

 誰かと比較される声を聞くこともなく、閉ざされたまま。

 だがそれでいいのか。こうやって兄弟ともともに過ごすこともできない。言葉を交わすこともない。そしてあの主に選ばれることも。

 突然頭から大きな布がかぶせられた。驚いて見上げると山伏が何かの獣の毛皮を頭の上から広げたようだ。どこにこんなかさばるものを持っていたというのか。

「火がつくまで寒いであろう。それをかぶるといい」

「兄弟たちは・・・」

「拙僧どもは動いておるゆえ寒さなど感じぬ。そなたは顔から血の気がなくなっておるぞ。ここには我ら国広の兄弟だけだ。兄弟の間であれば兄弟も気を張る必要はなかろう。疲れているなら気にせずに眠るとよい」

 与えられた毛皮をぎゅっと握りしめる。山伏も、堀川も、自分を見つめる目はどこまでも温かい。同じ刀派としてこの世に生み出された絆は人間たちの言う血の絆となんら遜色はない。

 安心すると瞼が重くなり、眠気が襲ってくる。

「少しだけ、少しだけ眠ってもいいだろうか・・・」

 「ああ、ゆっくり休むがよいぞ」

 

 

「まだ雪がやみませんね。やむまでどれだけ積もるかなあ」

 囲炉裏を囲みながら堀川が相変わらず笑顔でそんなことを暢気に言っている。

 椀を持ちながら、山姥切が目を細めた。

「それは困る。本来だったらもうとっくに下山している予定だ。これでは主の就任祝いに間に合わなくなる。遅刻なんてしたら長谷部の奴にどんな嫌味を言われるか・・・」

「嫌味は手ぬるいですね。きっと僕たちまとめて締め上げられるのは確実だと思いますよ」

 堀川は山伏の椀におかわりをよそって渡した。

「他人事のように言うな」

「だって今焦ってもどうにもならないことは外見ればわかるでしょう。ほら、兄弟もおかわりするよね。一杯だけで足りるわけないのは知ってるよ。からっぽになった椀をかして」

 囲炉裏の鍋にはありあわせの材料で作った雑炊が入っている。堀川が乾燥させて軽量化したという携帯食料を持ってきたおかげで、この吹雪に閉じ込められても食べ物に困ることはなかった。必要なものはあらかた堀川が荷物から出してくる。

 だが堀川はどこまで緊急事態を想定して荷物を持ってきているのか。さほど大きいとは思えぬあの荷物の中身が気になった。

 ゆっくりと食べていた山伏が箸をおいて山姥切を見つめた。

「あわてなくてもよい。天は我らの行いを見てくれているであろう。これ以上悪くなることはあるまい」

「・・・よくそんな根拠のないことを自信持って言えるな、あんたは」

「ほら、山伏兄さんですから。でもそういわれるとそんな気がするのは不思議ですよね」

「ずいぶん兄弟に影響されたもんだな。前は現実的なことしか認めなくて、そんなこと言わなかったぞ」

「えー、そうでしたっけ?」

 

 

 雪は幸いにしてそれから数刻してやんだ。徐々に晴れ渡る空の下を急いで下山する。だがさすがに降り積もった雪に足を取られて思うように早くは帰れなかった。

 案の定、本丸にたどり着いた時にはすでに始まろうとしていた。

 彼らを迎えたのは安堵の表情で微笑む主と、鬼のような形相をした長谷部だった。

 ひとしきり絞られた後、着替えてこいと言われて広間を後にする。戸口のところで主の方を見た

 黒い着物の正装の主は手にした鳥の式を大事に抱いていた。それを見て口元が思わず緩む。

「よかったですね。主さん、喜んでますよ」

 外に出たところで不意打ちに後ろから声をかけられて、心がはねた。振り返ると堀川がうれしそうに微笑んでいる。

「そ、そんなつもりはないと言ったはずだ」

「かかか! 照れるでない、顔が真っ赤だぞ」

 兄弟たちに言われて恥ずかしくて顔を隠す。

 自分が心を揺さぶられた光景を見せてあげたかった。きっとあの主はあの頂に立つことはできないだろうから。

 この本丸でほとんどを過ごすしかない主のささやかでもなぐさめになればと。

「大丈夫ですよ、きっと主さんに兄弟の気持ちはちゃんと伝わっています」

「主殿も兄弟のことを気にかけておる。よかったであるな」

 ひそかに悩んでいたことを完全に見抜かれている。たぶん修行に誘う前から気づかれていたのだろう。

 もうどんな顔をしていいかわからない。顔をあげることができないまま、ただひたすら廊下を歩き続けた。

 

 

 勢いと流れだけの話になってしまった。

 就任祝いの裏側、国広兄弟がどうしてたかの話。

 主に自分の気持ちを伝えられなくて、遠回りな表現方法でしか示せない山姥切です。

 そんな彼を兄弟たちはほほえましく見守り応援してます。

 

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