遊びをせんとや ~鶴丸国永~
現世はまこと面白き。
遥か昔に聞きし懐かしきその調べを知らず知らずのうちに口ずさむ。
――遊びをせんとや生まれけむ
審神者の力により本丸にこの身が刀より生じてから、人の身であるのは刀生にしてほんの瞬きに過ぎない。だが、館の奥深く、時には陽の光の届かぬ地の中に存った時よりも長く生きていると感じるのは偽りではない。
冷たき刀身のままであったころよりも、生身の自身の意思で動くことのできる今がどれほど驚きと楽しさに満ち溢れていることか。
だが、近頃は始まりの時よりもこの本丸が少しにぎやかしさが消えたようだ。
廊下ですれ違う刀の仲間たちの中にはその顔にかすかな陰りを見つけることが多くなってきた気がする。それはおそらく気のせいではない。
「鳴狐様のことですか? いえ、他の方々とお変わりありませんよ。むしろわれわれ粟田口の短刀には特に目をかけていただいていると思いますが」
向こうの廊下の角から誰かの声が耳に届く。よく通るはっきりとしたこの声は平野藤四郎。それに答える細くどこか自信のなさそうなこの声は。
「そうでしょうか。なんか僕には前よりちょっと遠くになってしまったような気がして」
平野と連れ立って現れたのは五虎退だ。修行より帰ってから儚げな印象は変わらずともどこか己の内の深い心に自分だけの大事な何かを通してきたのか、相手の眼をはっきりと見れるようになっていた。
その彼が考え悩むがごとく少し先の廊下に目線を落として、うつむいている。
部屋側の壁に背を預けている鶴丸は彼らから影になって見えていないのか、彼が会話に耳をそばだてているのにも気づかず話はなおも続いていく。
「それは気にしすぎだと思いますよ。出陣や内番などご一緒することはありますが、以前とお変わりの様子はないのでは」
「でも前はちょっとしたことでも笑ってくれて、もっと僕たちのそばにいてくれたような気がするんですけど。粟田口のみんなが増えた今はお話してても兄弟たちが来ると気付くと少し離れたところへ身を引くように行ってしまうんです」
壁をはさんですぐ後ろを粟田口の二振りが通り過ぎる。
もっとも近い場所で聞こえたその言葉。はっきりと突き刺さるように心へ届く。
「僕はただ鳴狐さんともっと仲良くなりたいんです」
どこかさびしさを隠した五虎退からこぼれた言葉に、一言二言何か平野が言っていた気もするがもう鶴丸の耳には入ってこなかった。
聞こうと思って聞いたわけではない。身を隠すためにここの陰に潜んでいたら会話を聞いてしまっただけだ。
瞠目して天を見上げるかのように頭を壁に預ける。伏せられた長いまつげが初春の穏やかな風に揺れた。
――戯れせんとや生まれけん
誰にも知られず悩みを抱える刀もいれば、悩みなど無縁と思える刀もいる。
日々己の鍛錬に励む彼らにはそんな心情など己の心を鍛えるのが足りないからだと、肉体だけでなく精神でも強くあろうとさらに励むだろう。
それでも彼らなりの不満がこぼれることはある。
「だいぶ体は作れてきたが、自分だけじゃわからねえな。できりゃ比べられる奴らと戦いに行きてえなあ」
こぶしを開いたり握りしめたりを繰り返して、その力強さを確かめていた同田貫が突然脈絡もなくこぼした。
同じ部屋で鍛錬していた筋肉増強仲間たちは体を動かす手を止めて、真剣な面持ちで自分の手を見つめる同田貫を眺めた。
「同田貫殿は何を望んでおるのだ?」
己のこぶし以上の大きさの鉄の玉がついた鉄亜鈴を片腕でやすやすと掲げたまま、山伏国広が怪訝な顔で尋ねた。
「決まってるじゃねえか。俺たちの中で誰が一番強ええか勝負すんだよ!」
上半身をむき出しにして鍛錬していた彼は汗が白い湯気となり立ち上る右腕を折り曲げる。鍛え上げられた上腕二頭筋がしなやかに盛り上がり見事な力瘤が現れた。
「おお、よい筋肉であるな。拙僧も負けてはおられぬ」
「待ってください、山伏殿。筋肉で張り合わないでください。そもそもここでの鍛錬は己の肉体と精神を鍛えることが目的のはず。それに主の命による出陣で我ら同士が対決するなど許されないのでは」
筋肉をうならせようと構えた山伏をたしなめつつ、蜻蛉切が同田貫に苦言を呈す。だが彼はそれを一笑に付す。
「めんどくせえなあ。なら敵をどれだけ倒したかにすりゃいいだろ。むしろ勝負してた方が速くやっつけられるんじゃねえか?」
「・・・何があっても勝負したいのですか」
「当たりめえだろ。こんな部屋の中で閉じこもって筋肉鍛えてるだけじゃあ、刀としても錆びついちまう。だけど俺たちだけじゃつまらねえな。もっと人数が欲しいぜ。長曽祢とか日本号とかにも声かけとくか」
「ですが主が我々を一緒に同じ部隊にさせてくださいますかどうか」
「なんで最初からダメって決めつけんだよ。まずは直談判してからだろ。ダメだった時のことはそのあと考えりゃいいのさ」
同田貫らしい現実のみを直視した発言だ。蜻蛉切は下にため息を吐いたがそれ以上は止める言葉を続けようとはしなかった。
面白い奴らだと口が言葉なく動いた。鶴丸は障子の前で止めていた足を再び前へと進ませた。足取りは軽く、口元に手を当ててこぼれそうになる笑いをこらえていた。
ゆらりと白い袖口を優雅に空中へひるがえしながら、その場を後にした。
――遊ぶ子どもの声きけば
道場では今日も今日とて変わらず木刀を打ち付けあう激しい音が鳴り響いていた。
開いた胴を狙って打ち払った木刀はそれを待っていたかのごとく素早く振り下ろされた相手の木刀によって惜しくも防がれた。鈍いその衝撃が木刀を伝わって手にしびれを起こさせる。
じんじんと響く手に軽く顔をしかめた加州清光はすぐ何ともない顔に戻って木刀を握り締めた。
「ほんとお前と手合せやるとやりにくいよな。もしかして俺が胴を払うのわかってただろ」
「僕だって同じだよ。さっきからずっと清光に攻撃防がれてばっかだろ。同じ戦い方する清光と一緒にずっと手合せしても面白くもないよ」
軽く頬を膨らませて加州と対峙していた大和守安定は彼が相手だといつも遠慮なく文句をこぼす。それは加州とて同じだったから、いつもそれで口げんかにはなるがそれほど尾は引かない。
「そうだよな。ちょっと相手交代してくれないかな。和泉守でも堀川でもどっちでもいいからさ」
道場の壁際に座っていた土方組の二振りの方を向いて加州はけだるげに声をかけた。だが指名された和泉守もだらしなく壁に背をもたれていてまったくやる気はなさそうだ。
「またかよ。俺だっておめえらとやるのは飽きたぜ。さっき何本手合わせしてると思ってんだよ」
「それ言うなら僕だってできるなら嫌だもの。和泉守の打ち筋は力任せで想いっきり来られると手元が痛くなるからね。でも他に相手がいないから仕方ないだろ」
頼んでおいて大和守に文句まで言われた和泉守はかちんときたのか、口元を上にひきつらせて上体を威嚇するかのようにのめらせたまま片膝を立てた。
「いい度胸だな。その減らず口を叩けないぐらい叩きのめしてやるぜ」
「もう、兼さん。本気で喧嘩しないの。みっともないよ」
隣に座っていた堀川が和泉守の袖口をすばやく手で押さえながら諌めた。
堀川に止められて木刀ではなく刀に手をかけかけた和泉守の動きがぴたりと止まる。
床に木刀の切っ先を突き立てて、柄に顎を乗せながら大和守が愚痴をこぼす。
「ほんと新撰組の刀同士で手合わせばっかだよね。あーあ、外で思いっきり敵の首落としてきたいよ」
「安定、おまえそればっかだよな。こないだなんてたまたま通りかかった粟田口の短刀たちがおまえのその台詞聞いてびっくりしてただろ」
「だって本当のことだもん。しかたないだろ」
「でも出陣か。長曽根さんを隊長に新撰組のみんなで池田屋へ毎夜繰り出していた時が懐かしいよな。またみんな一緒に出陣できるのはいつだろうな・・・」
木刀を軽く振り下ろして、加州は道場から見える庭の遥か向こうを目を細めて見やった。外はまぶしい陽光が降り注ぎ、明るく照らしている。
縁側の暗がりの戸に背をもたせ掛けていた鶴丸は腕を組んだまま、上を向いていた顔を静かに前へ向きなおした。閉ざされていた瞳が薄く見開く。
思案するようにわずかに口を開き、すぐさま閉ざす。そしてゆったりと口角の端を上向かせた。
――わが身さへこそゆるがるれ
「加羅ちゃんには困ったよね。僕たちが言えば言うほど頑なに自分の意見を曲げなくなるから、どうすればいいんだか」
伊達の刀の集う部屋にいつの間にか戻ってきたのか、燭台切の声が耳に届いた。畳の上にだらしなく寝転がって目を閉じていた鶴丸は背を向けたまま気づかれぬように目を開ける。
「ああ、鶴さんいたんだね。でも寝てるのかな?」
どうやら起きていることには気づいていないらしい。そのまま起きていないことにして聞き耳を立てた。
「でも伊達にいた時から加羅ちゃんはあんな感じだったぜ」
この声は太鼓鐘だろう。本丸に来たばかりの彼はずっと待ち望んでいた燭台切が主に直訴して世話をかって出たために常に一緒にいる。
「確かにそうなんだけどでもたくさんの刀がいるこの本丸でいつまでも独りでいるっていうのもね。彼は他の刀たちと一緒に戦うこともあるから少しは僕たち以外の刀にも慣れてほしいんだ」
「だけどさ、俺たちにも慣れ合ってるわけじゃねえぜ。ごはんとおやつの時は来るけどさ、それ以外はどこにいるか知らねえもん」
「話しかけてもほとんど返事しないからね。まあ、内番とかの仕事や出陣は手抜かないところが加羅ちゃんのまじめでいいところなんだけど」
横になりながら鶴丸は寝ているように見せかけたまま、耳をそばだてている。
「彼は今は独りがいいんだろうね。でも仲間と一緒にいることで、独りでは得られないものがあるってことも知ってほしいんだよね」
「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや・・・」
誰もいない庭の一端にたたずみながら鶴丸は目を閉じた。
その身に覚えていたなつかしき調べを口にのせた。記憶のふちにおぼろに浮かぶその歌はかすかに聞き覚えたものながら、口に出せば自然とその響きがよみがえる。白き水干をまとった男装の白拍子が閉じた眼の裏に浮かび上がる。
ひらりひらりと金の扇をたゆたうかのように泳がせながら、なぜか顔の良く見えぬ白拍子はそのつややかな声にのせて優雅に舞う。
「おや、ずいぶんと懐かしき歌を歌っておるな。その声は鶴丸か」
口ずさんでいた歌を止めて、鶴丸は声の主へと振り返る。脳裏に浮かんでいた古の幻は瞬時に消えた。
生彩に満ちた微笑みを浮かべ、鶴丸は確信に満ちた声で問いかけた。
「三日月か。そうか、あんたならこの歌くらい知っているよな」
いつの間にそこにいたのか、濃青の直衣をまとった三日月宗近が穏やかな笑みを浮かべてこちらを見つめていた。千年の長き時を刻んだ刀ならばあの時代の古い歌を聞いたこともあるにちがいない。
目を伏せて三日月はゆったりとしたしぐさで軽く頷く。
「ああ、かつて俺のいた館の奥にも時折この歌は届いてきたな。いつの間にか聞かぬようになったが、よもや今生にこの身で甦ってから耳にするとは思わなんだ。しかしずいぶん良い声をしているではないか、鶴よ」
「さすがに本業の白拍子には負けるぜ。俺の歌声なんかじゃ塵を三日も舞い上がらせられないからな」
「あれはたとえだろう。人の身でそのようなことはありえぬよ」
三日月が庭に点々と埋められた踏み石を踏み近づいてくる。若葉の中にたたずむその凛とした立ち姿はまるで美しさを切り取った一枚の絵とも思えるほどだ。
不意に立ち止まり晴れゆく春の淡い空の色を仰ぎ見る三日月に、苦笑しつつ呆れ混じれの声をかける。
「あんたはいつもの散歩か? 毎日毎日あてどなく歩いて飽きないもんだな」
「少しも飽きぬよ。この本丸の庭の草木は日々変わりゆく。空を見上げれば雲は風に踊り移り変わる。季節に彩られた世界とはこのように美しきものであったとは刀の時分には知らなかった。せっかく人の身を得て自由に歩き回れるようになったのだ。存分に楽しまねばなあ」
「もう一年はここにいるじゃねえか」
「まだ一年しかたっておらぬよ。俺はまだ四季の移ろいを一巡りしか見ておらぬ」
空を見上げていた視線を戻した三日月はひたりと鶴丸に向ける。優しげに揺れる瞳の奥にのぞくのは金に輝く鋭利な三日月。
「さて、それではお主は何を楽しみに今生を生きているというのだ? よもや主のために戦うことだなどと長谷部のようなことは言うまい。近頃はそう、ここの刀たちの間を飛び回りさぞおかしきことを企んでいるようではないか」
先ほどより柔らかな笑顔を浮かべたままだが、こいつはたとえ笑っていようと油断はならない。問い詰めるでもなく、咎めるでもなく、ただ気になるから聞いているだけだろう。
あくまでなんとなくだ、そこにたいした意図はない。それほど他の刀に興味を持っているとは思えない。表面上は親しげにはしているが、その心の奥底まではどうか。
平安の御世より付き合いの長い鶴丸だからこそ気づける。彼と同じ刀派の他の三条の刀は近すぎてわからないかもしれないことも、彼から一歩引いた立場だからこそ分かる。
だが自ら踏み込んでいく気はない。関われば面倒事に巻き込まれるのは必定。問い詰めても本人からは笑ってはぐらかされるだけ。すべてが空回りして自分だけが骨折り損になるのは目に見えていた。
こいつのことは別の刀に任せればいい。俺はできれば深くは関わりたくはない。なぜか三日月に気に入られてしまったあの若い刀には気の毒だが、遥か昔より縁の糸がつながっていたとでも思ってあきらめてくれ。
ひたりと己に向けられたままの三日月の眼を少しもそらすことはなく、鶴丸はおかしげに笑ってみかえした。
「せっかく人の身を得たんだぜ。楽しく生きなけりゃ損だろ」
「真にお主らしい答えだが、この静かな本丸が今日はちと騒がしすぎはしないか。審神者の部屋に怒鳴り込んでいった者もおれば、先ほどは伊達の部屋に新撰組が御用改めでのり込んで行ったぞ。この騒動の発端はお主であろう?」
「饅頭にちょっと仕掛けをしてみただけだったが、まさかここまで騒ぎになるとはなあ。というよりなんでお前が知っているんだ、三日月」
「ん? それはな、どこへ行くでもなくなんとなく本丸を歩いていたら歌仙と一期に行き会ってな。お主を見なかったかと怖い口調で聞かれたのだ。普段は穏やかな姿を装っている彼らをあそこまで怒らすとはなかなかできぬぞ。鶴は度胸があるな」
「あー、まだ探しているのか。これは本気でやばいな」
「歌仙などは刀も持っていたぞ。手打ちにするつもりではないか?」
三日月の言葉に鶴丸は額に手を当ててうめく。
「なんでうちの本丸の奴らはこうも血の気の多い奴らばかりなんだろうなあ」
困りきった鶴丸を見てからからと三日月は笑い声をあげた。ひたりと視線を合わせて三日月は相手の心の内を見透かすかのように覗き込む。
「自業自得というやつであろうな。まあ、お主のことだ、どうなるかを全てわかったうえでこの度の騒動を仕掛けたのだろう?」
「・・・さてねえ、どうかな」
肯定でも否定でもないあいまいな鶴丸の返答に、三日月もまたただ微笑むばかり。
足下を吹き抜けた春風に彼らの袂が揺れる。立ち止まっていた三日月が一歩足を踏み出す。彼の眼はもう鶴丸を見てはいない。
「さて俺は向こうの庭に行くのでな。そういえば紫陽花とやらはもう咲いている頃だったかな」
「おい、あの花の見ごろは梅雨時だぞ。今はまだ早い」
「そうであったか。ならば先々の愉しみにとっておこう」
何事もなかったかのように三日月は鶴丸のすぐそばをすり抜ける。そのまま振り返ることもなく、奥の庭へと消えて行った。
「・・・相変わらず何を考えているかよくわからねえ奴だな」
たまたまここを歩いていて行き会っただけか。それともここにいると最初からわかっていたうえで訪れたのか。
この広い本丸の中でも独りきりになれる場所は存外少ない。鶴丸は考え事がある時はここについ足が向く。今もその程度でここにいた。別に隠れているわけではないが、それでも三日月はここに鶴丸がいることに驚いたそぶりは欠片も見せなかった。
考えすぎかと口元を軽く笑ませたとき、鶴丸の背に低い声音が突き刺さった。
「こんなところにいたのか、国永」
静かな中に厳しさを秘めたその声がよく通る時は彼がかなり怒っている時だと知っている。顔を後ろに向けて体半分だけ振り返る。
褐色の肌に見事な竜の彫り物をのぞかせる伊達の刀。
「加羅坊か。わざわざ俺を探しに来たのか?」
おいそれと見つかるような場所でもない。平静を装っているが、わずかに肩を上下させたのを見て普段は愛想もない彼が自分をだいぶ探していたのだなとわかる。
「嬉しそうな顔をするな。俺はただあんたに聞きたいことがあるだけだ」
無造作に突き出された手の先につままれたそれを見て、鶴丸は目を軽く見開き首をかしげた。
「それはさっき饅頭の中に入れておいたこいんとかいうものだろう。加羅坊にあげたつもりだったから返さなくてもいいぞ」
「そういうことじゃない。なんのつもりでこれを入れたと聞いている。あんた、くじのように見せかけて狙ったやつにあたるように仕組んだろうが」
戦いに挑む時とはまた違う激しい目の光が睨みつける。
無口で誰とも自ら関わりあおうとしないくせに、こういう時だけは誰よりも勘がいい。関心のないフリをしていながらも、ちゃんと周りの奴らのことをわかっている。
それを気づいているのかいないのか。それも含めてこの倶利伽羅龍の刀らしいとは思うが。
「くじは神の託宣だ。その結果にいちゃもんをつけるとばちがあたるぜ」
「あれはただの饅頭だろう。その中にとんでもないものを仕込んでいたあんたが何を言う」
さらにきつく睨まれて鶴丸は逃げもせず笑って受け止めた。細く白い人差し指を大倶利伽羅が持っている金色のコインへ指し示す。
「そいつはな、幸運のお守りだそうだ。異国から流れてきたものらしくてな、それを当てた者は思わぬ幸運が舞い込むとか。まあ、ただの迷信かもしれないが」
「くだらん。たかが物にそこまでの力はないだろう」
「どうかな、俺たちだってもとをただせば鋼の塊から出来たただの刀だぜ」
「大事に持っていればいいだろ。そのくらいだったら邪魔になる物でもないだろうしな。それに、お前にとっての幸運が本当に訪れるかもしれないだろうが」
「・・・だから俺には必要ないと」
なおも強硬に突き返そうとした大倶利伽羅の言葉を遮るように、怒鳴り声が鳴り響いた。
「鶴丸国永! やっと見つけたぞ!」
庭の木に片手で体を支え荒く肩で息をしながら、山姥切国広が鶴丸を上目づかいに睨み付けていた。どこをどう探していたのか、体を覆う薄汚れた白布にはところどころに木の葉や枝がついている。
彼の姿を見たとたん余裕だった鶴丸に焦りの色が見えた。
「まずい、あいつも刀を持っているな。って問答無用で柄に手をかけるな! 本丸は抜刀禁止と決めたのはお前らだろうが」
鶴丸の制止の言葉も激昂している彼には届かない。おそらく主の傍にいる刀の役目としてすべての騒動の後始末をつけたのだろう。その元凶である鶴丸に対する怒りは本気だ。
いつものどこか己に自信ない姿からは程遠く、山姥切は戦場と同じ猛き闘志を秘めた瞳を狂暴に煌めかせていた。
「うるさい。まずはこれでお前をおとなしくさせてから主の元へ引きずり出す。あんた相手に俺だけで立ち向かうなら、得物がなければ難しいだろうが。その後で本丸の規則を破った咎は俺はいくらでも受けるつもりだ」
「・・・言い出したらきかない奴だな」
冷や汗をかきながら一歩後ろに下がる。あいにくと鶴丸は普段から本丸内では刀を携帯していない。その必要がないからだ。ここには敵はいない、常なれば。
そばにいる大倶利伽羅は醒めた目で鶴丸を見つめるだけで助けるそぶりなどかけらも見せなかった。彼の突き放す声が容赦なく追い打ちをかける。
「普段の行いが悪いからだろうが」
「同じ伊達の刀を見捨てるのか。昔のよしみを忘れたか、加羅坊」
「あんたの責任だ。俺は関係ない」
大倶利伽羅にきっぱりと拒絶された鶴丸は容赦ない殺気を放つ山姥切に直接対峙せざるを得なくなる。自分には得物もない、それにそもそもむやみに戦うこと自体が好きではないのだ。
こちらが丸腰だから本気で切りかかるつもりはないだろうが、峰うちであろうともおそらく容赦はしない。
刀に手をかけたまま、相手は間合いをゆっくり詰めてくる。鶴丸は左右に目線を走らせた。確実な逃げ場、逃走経路、そして使えそうなモノ。
近づいてくる山姥切に焦点を合わせたまま、目の端にそれを捕らえて鶴丸は口元をにやりと笑わせる。
刀の間合いまであと少しとなったところで立ち止まった山姥切の姿勢が腰から深く瞬時に沈む。来る、と悟った瞬間、地面をけり上げ鶴丸は横に飛んだ。
予想外の動きに目の前の山姥切の眼が大きく見開かれた。動きの止まったその隙に、鶴丸は油断していた大倶利伽羅の背を思いっきり突き飛ばした。
「なっ!!」
まさか仲間を盾に使うとは。
鶴丸の動きを予測していなかったのか、大倶利伽羅の身体が突き飛ばされた勢いのまま山姥切にぶつかる。体格的にも細い彼では支えきれるはずもなく、そのまま揃って地面に倒れこんだ。地面から土ぼこりが舞い上がる。
「逃げるな!」
先に上半身を起こして起き上がった大倶利伽羅が叫んだが、その時には事の張本人はもう遠くへと逃げ去っていった。
追っても届かない遥か彼方で片手をすまなそうにあげた鶴丸は大倶利伽羅達に向かって声を張り上げた。
「悪いな、まだやることがあるんでね。またな!」
鶴丸の声だけがむなしくそこに残る。まだ手にしたままだった鶴丸の金色の硬貨に一瞬目を落とし、手のひらで包み込んで握りしめた。
「逃げられたか・・・」
悔しげな低い声が下から響く。頭に手をやりながらようやっと山姥切も体を起こした。倒れこんだときどこか思いっきり打ち付けたのか、動きが鈍い。
なかなか立ち上がれない彼に気が咎めたのか、無言で手を差し出す。その手を驚いた顔で見るばかりでなかなか手を出そうとはしなかったが、軽く促すように大倶利伽羅が手を動かすとおとなしくそこへ自分の手を乗せた。
引っ張り上げながら大倶利伽羅から口を開いた。
「悪い。お前には迷惑をかけたな」
「大丈夫だ。それにさっきあんたが言っただろ。鶴丸のことだったらあんたが謝る必要はない」
身体をはたきながら山姥切が落ち着いた声音で返してくる。先ほどまでの殺気はもうおさまっていた。内に潜む激情に輝いていた翡翠色の眼は落ち着いた色に戻っている。
「また逃げられた。あいつは機動が俺より遅いはずなのにどうしていつも捕まえられないんだ」
「何かするたびに本丸の奴らから日々逃げ回っているようだからな。あいつほど逃げ方を熟知している奴はいない。捕まえられないのはおまえだけではないだろうが。だから落ち込むな」
「う、別に俺は落ち込んでなんか」
両手で布をつかんで顔を覆い隠そうとしながらも、口元は悔しげに歪んでいる。どうやら図星だったようだ。
うつむいて小さくなった背中を横目で見ながら、大倶利伽羅はおもむろに彼の頭に手を乗せた。大きな掌の感触を感じて、驚いて山姥切は勢いよく顔を跳ね上げる。
「なんだ」
「どういうつもりだ・・・」
「別に意味はない。あんたが頑張っていることは他の奴らもしっかり見ている。だが少しは気を抜け。そう張りつめてばかりではお前自身が持たないだろう」
普段はめったに口を利かない大倶利伽羅が実はちゃんと自分のことを見ていたのだというのに気付いて驚いたのだろう。かすかに口を半開きにさせて、言葉を失っている。
しばしぽかんと見上げていたが、はっと何かに気づいて急いで布を目深に引き下げて再びうつむいてしまった。
大倶利伽羅の方もそれ以上言葉をかけるわけでもない。立ち去ることもなく、ただその場に黙って佇んでいた。
「どこにもいないな」
「そうですね。どこへ隠れているのでしょうか。本丸の中はだいぶ探したのですが」
本丸の離れへの渡り廊下で歌仙兼定と一期一振は気を張り詰めたままあたりをうかがっていた。白いものを見れば体がそれと反応する。だが狙う鶴丸本人はどうしても見つからない。
二人だけで探すのにはやはりこの本丸は広い。しかたなく一期が提案する。
「弟たちにも手伝ってもらいましょうか」
「いや、そこまで大事にするつもりはないよ。大体君の弟たちは夜戦で忙しいだろう。疲れているだろうしこのような雑事に手を貸してもらうのは申し訳ないよ」
「歌仙殿のお気遣いいたみいります。弟たちも夜戦帰りに置かれている夜食は格別においしいと楽しみにしているみたいですよ」
「食べてもらって喜んでもらうことが作り手にとって何よりの誉れだね。・・・それに引き替え、あの鶴丸は」
突然、声音が低くなり歌仙の眼がすわる。普段から食べもので遊ぶなといい、食に関しては何よりも手厳しい彼にとって鶴丸のあの所業は到底許せるものではない。
「なんのつもりか知らないがこの僕が食べもののありがたみをきっちりと教え込まないと気がすまな・・・」
言葉途中に肩を同時に叩かれる。何事かと思わず振り返った彼らの眼先に大量の鳥が飛んできた。騒々しい羽ばたきと鳴き声に状況が全く分からない。
「な・・・!」
「これは鳩か!?」
顔面に向かってくる鳩を腕でよけながら、つぶっていた目を見開く。そこにいたのは満面の笑顔を浮かべた鶴丸国永だった。
「よっ、どうだ。驚いたか?」
鳩が飛び去って顔をかばっていた腕を下ろした一期がまず非難の声を上げた。
「鶴丸殿、先ほどといい、いったい何の真似ですか」
「どこから鳩を出したんだね、君は」
鳩の襲来に幾分よろめきながら歌仙が厳しい声で問う。
「どこってここだ。飴を出す手妻とやらを主がやっていただろう。俺も真似をしてみようと思ったんだが」
鶴丸が指差したのは自分の着物の懐だ。袂から大量の鳩を詰め込んで放出したと思われる。彼の着物についた鳩の羽毛を見て、歌仙が眉をしかめる。
「君の着物は白いだろう。鳩なんかそこに入れたら汚れるに決まっているじゃないか。無駄に洗い物を増やさないでくれ!」
「・・・歌仙殿、怒るところはそこですか?」
焦点のずれた怒りに一期が戸惑いながら苦笑いを浮かべる。
「うーむ、どうも受けないみたいだなあ」
顎に手を当てながら鶴丸は真剣に悩むそぶりを見せた。まったく反省の色も見せない彼に歌仙の我慢も限界に達した。細まったその眼の色が剣呑な輝きを増す。
「当たり前じゃないか! いいかい、これ以上ふざけた真似をするなら僕も容赦しないよ」
「君はいつだって容赦したためしがないだろう。・・・わかった、降参だ。煮るなり焼くなり好きにしてくれ」
歌仙の怒りが爆発する前に、鶴丸はお手上げだと手を挙げた。いつものごとくはぐらかされるのを覚悟していた彼らは拍子抜けしたように立ち尽くした。
「本当ですか。また戯言で我々をたぶらかそうなどと・・・」
「おいおい、一期。俺はそんなに信用ないかよ。降参だって言ってるだろ」
「いや、油断ならないね。まず縄で体を縛りつけて逃げないようにしよう。縄抜けぐらいするかもしれないが、やらないよりはいいからね」
「・・・俺はそんなに信用ないのか」
警戒を解かない歌仙の言葉にうんざりした顔で鶴丸はため息をつく。
「当たり前です。今までの所業を思い出してください。ですが歌仙殿、この場にちょうどいい縄はないので私が彼の腕を捕まえておきましょう。私の力であればいかに鶴丸殿とて逃げることはできないはずです」
にっこり笑いながら一期が鶴丸の腕をつかむ。己の腕を締め付ける容赦ないその力に鶴丸は笑いながらも顔をしかめた。
「これは・・・逃がすつもりはねえみたいだな」
いつもと変わらぬ満面の笑顔で一期は穏やかに言う。
「当然です。一連の騒ぎの責任を取ってもらって鶴丸殿には私と歌仙殿の監督下で罰当番をしていただきます。歌仙殿の方は厨での下働き、私の方は畑で開墾作業を手伝ってもらいましょう。最低でも一か月はみっちりやっていただきますよ」
「ああ、君も我々もおそらくしばらく出陣はないだろう。ありあまる暇も潰せてちょうどいいじゃないか。その前にこの騒ぎを起こした件について話を聞かせてもらう。では主のところへ戻ろうか」
一期に引っ張られるような形で鶴丸は連行されていく。しぶしぶと廊下を歩きながら鶴丸は少し先をゆく一期の背に声をかけた。
「そういえば五虎はどうしている。元気か?」
「五虎退ですか? あの子なら先ほど鳴狐殿の出陣部隊に入ることが決まってとても喜んでおりましたが、それがどうかいたしましたか?」
「ん、だったらいい。気にしないでくれ」
顔を下げて鶴丸は彼らから見えない角度で満足そうに口元を笑ませた。
どこからともなく、歌が聴こえる。知らず知らずその調べを口の中で謡う。
――遊びをせんとや
霧に包まれた戦場を一陣の風が駆け抜ける。大きな白い獣をひきつれて敵の大将に踊りかかった五虎退は一刀のもとに敵の中心を刺し貫く。
手ごたえはあった。すぐさま飛び退り、地面に降り立った彼の目の前で敵の巨大な身体は轟音を立てて崩れ落ちた。
「やりました、僕。見ていてくれましたか」
いつの間にかすぐ後ろに近づいていた部隊長の鳴狐に笑顔で声をかける。彼の方に乗った狐がうれしげにそれに答えた。
「おお、さすが五虎退殿。上杉の刀であればさすがでございまするな。見事な一撃でしたぞ」
「うん、そうだね」
はっとして五虎退は顔を上にあげた。彼自身がしゃべったのだ、どれくらいぶりだろう。自分に向けて声をかけてくれたのは。
鳴狐はその手を柔らかな五虎退の髪の上にのせた。わしゃわしゃと不器用に撫でられた。でもその手つきは慣れてないだけでどこまでも温かく優しい。
長兄とは違う、その彼なりの愛情表現を五虎退は素直に受け止める。顔は自然と笑顔が浮かんでくる。
「なでてくれてありがとうございます。嬉しいです」
――戯れせんとや
「よっしゃあ、これで十体目だぜ!」
豪快に敵をなぎ倒して同田貫は叫んだ。あたりにはもう動かなくなった敵の残骸が転がっていた。
やがて濃くなる霧がそれらすべてを覆い隠す。何事もなかったかのように。
「さすが同田貫殿であるな。これは我らも負けておられぬなあ」
「戦場と鍛錬は違いますな。我らの本性からすれば戦場の方が血がたぎります」
山伏と蜻蛉切の言葉に同田貫がたりめえだろとこぼした。
「俺たちは刀なんだよ。実戦で振るわれてこそ俺たちの力が出せるんだろ。きれいに磨かれて大事に飾られてるだけじゃもの足りねえんだよ」
「なんか野蛮な会話しているみたいだけどさ、なんであたいがあんたたちと一緒にされんのさ。納得いかないんだけど」
巨大な刀を収めた鞘を地面に突き立てて、次郎太刀がねめつけた。
「まだ言ってんのか、誰がどう見たってあんたは同類だろ。あれだけ一撃で敵を吹っ飛ばしておいて何言ってんだ」
「そうであるぞ、次郎殿の力ある剣技を見習って精進せねばなあ」
同田貫も山伏も本音をそのまま言っただけで全く悪気はない。だがその言い方が問題だった。
ふるふると体を震わせて、次郎は己の刀をきつく握りしめた。
「へえ、あんたたち。どうやらあたいを本気で怒らせたいみたいだねえ」
「こら仲間内で言い争ってどうするのだ。先はまだ長いのだからな」
一触即発の雰囲気を察した蜻蛉切が呆れながらも事態を収めようと仲裁を始めた。
――遊ぶ子どもの
「へえ、新撰組のみんなでそろって並ぶとカッコいいじゃん。見直したよ」
一振り配置された太太刀の蛍丸が戦装備で居並ぶ彼らを見上げ感嘆の声を上げた。
「たりめえだろ。俺たちは京の街に名をとどろかせた新撰組の刀だぜ」
自信満々に胸を張って応えた和泉守の横で水を差すように大和守が疑問を口に出す。
「でもさ、最後の見直したって何?」
「だって君たちいつも道場とか本丸で大暴れしてるじゃん。だからあいつらは子供みたいだねって言ってたよ。俺けっこういろんな刀から聞いたよ」
蛍丸の屈託のない答えにその場にいた新撰組の刀たちの表情が固まる。
「長曽根さん、どうしましょう」
堀川の困惑した声に長曽祢はこめかみをひきつらせた。
「いまさらこいつらにおとなしくしろと言っても無駄かもしれんな」
「ちょっと待ってよ、もしかして俺も? こいつらと一緒にしてほしくないんだけど!」
和泉守と大和守の方を指さして加州が抗議を上げる。彼らに巻き込まれるかたちの多い加州としては納得がいかないかもしれないが、結果的に騒動の渦の中心で暴れているは間違いない。
「えー、清光ったら自分だけ違うっていうの? ずるいや。君だって暴れるときは楽しんでるだろ」
「それはおまえが勝手に俺を巻き込むからだろ。俺の意思じゃないし」
「ちょっと待ってよ、それって全部僕が悪いってこと!?」
互いに激しい口争いを始めた沖田組の刀を眺めていた長曽祢はあきらめに満ちた顔で瞠目した。
堀川は自身の相棒に満面の笑顔を浮かべた。
「兼さんはもっと立派な刀らしく振舞わないといけないね。すぐ頭に血をのぼらせて他の刀の部屋へ御用改めに行ったり、手合いでむきになって勝てるまで相手に挑んだりそういう子供っぽいところ直さないとね」
「国広、お前は本当に俺に対して容赦ねえよな」
「だって僕は兼さんにはいつも誰もが憧れるかっこいい刀でいてほしいんだ。だからその兼さんが土方さんが心血注いで築き上げた新撰組に泥を塗るようなまねしちゃダメだよね」
「う、だからその笑顔が一番怖えんだよ」
どこまでも騒々しい新撰組の面々を眺めながら蛍丸がポツリとつぶやく。
「子供みたいだからあいつらはいつだって楽しそうなんだって誰か言ってたけど、ほんとだよね。彼らの過去みたいにどんなにつらい戦いを経験しても、それを乗り越えて笑っていられるようでなければダメなんだよね」
――我が身さへこそ・・・
出陣を前にして隊長を務める大倶利伽羅は今度の戦場での注意事項を受けていた。
朗々とよどみなく書面を読み上げる山姥切は普段の物静かな印象からはどこか違っていた。己に与えられた職務を忠実に遂行しようとしている。おそらく根はどこまでも真面目なのだろう。
ただ顔を隠して表情が見えないのは相変わらずだったが。
「怪我は帰還すれば回復するから問題ないが、それよりも疲労がたまっていないか注意してくれ。特に遠戦用の刀装を装備できない太刀勢はたまりやすいからな。注意事項はこれくらいか、あと他に質問はないか」
「特にはない」
「この秘宝の里の特別任務で隊長を務めるのは初めてかもしれないが、あんたなら問題ないだろ。隊の奴らも心強いはずだ」
さりげなく言われて聞き流しかけたが、大倶利伽羅の心の片隅でどこかに引っかかった。書面に目を落として言洩らしたことがないか確認している山姥切に思わず声をかける。
「おい、それはどういう意味だ」
「ああ、あんたはいい奴だからな」
思いもかけずあっけらかんとした言葉が返ってきた。大倶利伽羅の顔が怪訝な面持ちになり、疑いのまなざしで目を細めた。
答えが理由になっていない。こいつはよく自分の中で何かを勝手に納得したのか、他人にはわからない論理でよくものを言うときがある。
さすがに大倶利伽羅の表情から伝わっていないと察したのだろう。どう言うべきか逡巡する様子が顔に浮かんだが、思い切ったのか先ほどよりもやや声を抑えめに話し出した。覆う布と長い前髪で目元を隠した顔がこちらを見上げる。
「前は俺もあんたは他の奴らと自分から関わりを持とうとしないから関心もないんだろうなと思っていた。だけどそれは違うと最近気付いた。独りでいる時間でも周りをよく見ているみたいだからな。虎鉄の兄弟を組み合わせたこともそうだし、鶴丸が引き起こす騒動も気にしていないふりをしているがちゃんと見ているだろう」
「そんなことは特別なことではない。他の奴らだって感づいている」
「そうか? 普段無口だからこそだろうな、あんたの言葉はたとえ同じ意味だろうとも重く突き刺さる。いつもの通りの冷静さで周りを見極め、他の奴らにを絶えず気を配れる。そのあんたが部隊長となれば同じ隊の奴らも心置きなく戦えるだろう。俺なんかよりもずっとうまくやれるだろうな」
自嘲気味にいいながら山姥切はまとう白い布をひるがえして背を向けた。
「俺からはこれだけだ。出陣は準備ができ次第になるだろう」
「おい、おまえ・・・」
静かに聞いていたはずの大倶利伽羅があるところから突然不機嫌に顔をしかめていた。ただこいつのその言いざまになぜか無性に腹が立つ。
苛立ったまま山姥切の背に呼び止めたが、聞こえているのかいないのか振り返らなかったからわからない。
ただ独り言のような言葉だけがかすかに耳に届く。
「あんたが背を守っていればきっと心強いだろうな」
「・・・ゆるがるれ」
笑う、ただ笑う。その調べを口ずさみ終えた鶴丸は穏やかな日常を刻むこの本丸を愛おしげに見渡す。
この現世に人の身体をもって舞い降りたその意味は、歴史を改変しようとする時間遡行軍と戦うだけではなく。
おそらく自分と同じ宿命を持ってここに顕現した刀の者達の住まうこの場所を、彼らがただ何の憂いもなく笑っていられるよう、守るために。
梁塵秘抄のこの歌は鶴丸によく似合うだろうと。そのイメージで使いました。
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