ゆめうつつ

刀剣乱舞・文豪とアルケミスト関連の二次小説。主にコメディ中心。

捕獲 ~後藤・信濃~

 日中は温かな日差しが差し込むようになり、庭につながる廊下側の障子は外の空気を入れようと開け放たれていた。強い風はなく、頬を撫でるくらいの心地よい早春の暖かさが部屋の中へ陽気を運んでくる。

 その審神者の部屋では自身の机に向かいながら、置かれた紙に向かって何やら難しい顔をして筆を構える主がいた。いまだ幼さの残る少年の主を頬杖をついて優しげに加州清光が見守る。

 紙を睨み付けその筆先がふるふると震えている。

「む・・・」

「そう力を入れてたらうまく描けないよ。ほら、貸してみてよ」

 横からさっと加州が紙を取り上げると、予備に机に置いてあった筆を手にしてさらさらと流れるような筆先で流暢に絵を描き始めた。

 何もなかった白い紙の上には瞬く間に陽だまりに丸まる猫の絵が浮かび上がった。いまにも起き上がって細い尻尾を優雅に振りながら、しなやかに歩き出しそうなくらい。細められたその眼は横目に流しながらもこちらをじっと見つめている。

 軽く手を叩いて主は感嘆の声をあげた。

「清光は絵も上手ですね。本物の猫みたいです」

「まーね。俺ってこういうのわりと得意みたい。主もあんまり考えずに描けばいいんじゃないかな。でもとりあえずこれ使ってみる?」

「はい、ではお言葉に甘えて」

 軽やかな音を立てて主は両の手を胸の前で合わせた。目をつぶり厳かに文言を唱え

る。最後に鳴り響かせた柏手の音が部屋の空気を一変させた。

 その音を合図に紙の中でそろりと猫の絵がうごめいた。猫は伸びをすると紙の中から飛び出してすとんと机の上に優雅に着地する。猫は真っ黒な毛並を舌でなめて毛づくろいし始めた。

 見上げる紅い双眸はいたずらの光をたたえながら主と加州をねめつける。

 加州は机の上に現れた猫を眺めながら、呆れた口調で言った。

「主ってば、こういう式神の術はできるのに、なんでいまだに本丸の結界はちゃんと張れないの?」

 この猫は当然本物ではない。主の術によって仮初めの命を与えられた式だ。

 審神者として選ばれた時から必要となる様々な術を習得するように政府から命じられている。だがなぜかこの主はその習得には極端に得手不得手があり、特に結界術はいまだ不完全なままだ。

「なんででしょうか・・・」

 あははと乾いた笑いを浮かべた主は恐る恐るといった手つきで目の前の猫に触れた。

「外での連絡でしたら鳥でもよかったのですが、室内戦が増えてきましたからね。他の動物も伝令に使えるように試してみたかったんですよ」

「でも猫じゃそんなに早く走れないよ? むしろ五虎の虎とか、鳴狐のお供の狐とかの方がよっぽど役に立つとおもけど?」

「それだと彼らがいない部隊は緊急の場合こちらと連絡ができないし・・・」

 触れる指先に喉を鳴らしていた猫が突然背筋を伸ばして立ち上がった。体をかがめて飛び上がると何かを追いかけて部屋中を走り回り始めた。

 ひらりひらりと舞う蝶を細い手を伸ばしながらとらえようと飛び跳ねる。

「なっ・・・部屋に入り込んできた蝶を追っかけてるのか」

「ああ、部屋を散らかしたら長谷部に怒られるからやめてください」

 蝶に夢中で飛び回る猫に審神者の部屋がみるみる散らかってゆく。加州と主がなんとか捕まえようとするが、猫の動きがすばやくて捕まえられない。

 棚の上に乗ったところを捕まえようと手を伸ばして飛び上がった主は畳の上へ散らばった紙にうっかり乗っかってしまい、そのまま足を滑らせた。思いっきり後ろへ崩れ落ちて、後頭部を思いっきり打ち付けた。

「主、大丈夫!?」

 加州に上半身を抱えあげられて主はくらくらと頭を揺らす。

「いたい・・・頭を打った・・・」

 その隙に猫は部屋を抜け出して庭へと飛び出していった。

「まずい、外へ逃げた」

 追いかけようにも動けない主をこのままにしておけない。どうするかと迷いかけたちょうどその時、たまたま縁側の廊下を通りかかった者達に目を向けた。

「なんか大きな音がしたと思ったんですけど、何かありましたか?」

「うわ、部屋めちゃくちゃじゃん」

 審神者の部屋を覗き込んだ信濃藤四郎と後藤藤四郎に、加州は有無言わさぬ口調で叫んだ。

「ちょっとお前ら、今逃げた猫捕まえてこい! あれは主の式神だ、本丸の外へ出る前に絶対に捕まえろ! 捕まえたらきっと主がほめてくれるぞ!」

 さっと二振りの目つきが変わる。夜闇の中の戦いと同じ、とらえるべき獲物を見つけた時のまなざしに。

「了解!」

 叫ぶや否や、履物を吐いていないのも構わず同時に飛び出す。庭の片隅へ姿を消そうとするしなやかなその尻尾に視線を向けた。

 走りながら信濃が隣を同じ速度で走る後藤に笑いかけた。

「後藤には負けないからね。俺が捕まえて、主の懐へ入れてもらうんだ!」

「俺だって負けるかよ。かっこいいとこ見せてやるぜ!」

 並びながら駆けだして、どちらも負ける気はない。

「どこへ行くんだろう」

「あっちは・・・畑の方だよな」

 

 

 雪の気配はとうに消えてぬくみだした土からは先日蒔いた種が徐々に芽を出し始めていた。畑の畝へ一列に並ぶ双葉の芽を五虎退は微笑みながら見つめていた。

「かわいいですね。こんな小さな芽があんなに大きなきゃべつさんになるんですね。不思議です」

「ごこくん、きょうはじゃがいもうえるそうですよ。きてください」

 畑の向こうの方から今剣が手を振っている。

「はーい。行きますよ、虎くん」

 膝についた土をはたいて五虎退は立ち上がる。

 畝の間を芽を踏まないように慎重に進んでいると、後ろからまた名前を呼ばれたような気がして振り向いた。

 突然、彼の目の前を黒い猫が身軽に跳ね上がった。

「ね、猫さん?」

「五虎退、ちょうどいいとこに。そいつ捕まえてくれ!」

「え、え?」

 畑の向こうから急いでかけてくる後藤に突然そんなことを言われて、動き回る猫にも翻弄され、足下をもつれさせてしりもちをついた。ちょうど溝のところだったからキャベツの芽はつぶれなくてほっと息をつく。

 だが五虎退が攻撃されたと勘違いしたのか、虎が大口を開けて黒い猫を威嚇した。ぱっくりとあけられた虎の猫など一口で飲み込めるほど大きな口に黒い猫は驚いたのか、毛を逆立たせてあわてて別の方角へ逃げ去っていく。

「虎ににらまれたらそりゃ逃げるわ」

「あー、行っちゃったね。とにかく本丸の方へ追い込まないと」

 一緒に追いかけてきた信濃が足を止めて方向転換する。後藤は畑へしゃがみこんだままの五虎退に手を貸して立ち上がらせると、すぐさまその後を追った。

「ごめんな、あとで埋め合わせするから!」

 畑の間の細い畦道を猫が駆けてゆく。その後を必死に追いかける後藤と信濃

 そこへじゃがいもの種芋を籠に入れてこちらに向かってくる一期一振と鉢合わせした。細い畦道ゆえ、すれ違う隙間もほとんどない。 

「後藤に信濃ではないですか。そんなに急いでどこへ・・・」

 一期が抱えていたじゃがいもの上に猫が飛び乗って立ち止まった。

「うわっ!」

「よっしゃ! いち兄そのまま」

「動かないでくださいねっ!」

 同時に猫めがけて飛びかかった。だがその動きを予測していたのか、伸ばされた手が届く寸前にひらりと身をひるがえして猫は地面へと飛び降りた。

 信濃と後藤は飛びついた勢いそのままに、一期を巻き込んで地面へ崩れ落ちた。

 がばっと起き上がった後藤は急いで見失った猫の姿を探す。

「いてて、あの猫、なめやがって」

「ごめん、いち兄、大丈夫?」

 土まみれになって一期が額を抑えながら、起き上がった。周りにはばらばらに籠から零れ落ちた種芋が散らばっている。

 顔はまだ笑顔を残している。だが声を抑えていてもそこにはかすかに怒りがにじみ出ていた。いつもは温和な彼の口から低い声がこぼれる。

「・・・あなたたち、いったいこれは何の騒ぎですか?」

「えっと・・・」

 その間にも猫は逃げてその姿は小さくなっていく。彼らは視線を交わして頷きあうと、一期をそこに残して再び追いかけ始めた。

「ごめんなさい、説教ならあとでちゃんと聞くから!」

「今はあの猫追いかけなきゃいけないんだ!」

「話はまだ終わっていません、待ちなさい!」

 素早さでは練度を上げ切った短刀の二振りに勝てるわけもない。あっという間にその姿は遠くへ黒い点となって消えて行った。

 

 

 本丸の奥にある書庫は常に薄暗い。ほの暗いその部屋に目が慣れてみれば、そこには数多くの紐で綴られた帳簿類が収められているのに気付くだろう。ここにはこの本丸ができてからすべての出陣や財政状況などのありとあらゆる記録が収められている。

 だが次から次へと増えていく帳簿類は最近では分類されて所定の位置に納めることもできず、床に山積みになっていた。その整理をへし切長谷部は誰も知られずに時間を見つけては黙々と行っていた。

「長谷部ー、ここしゃいるんか?」

 戸口からひょっこりと顔を出して博多藤四郎が呼びかけた。帳簿を書庫に納めながら長谷部が冷ややかに言葉を返す。

「何か用か?」

「今月の経費の件で話にきたばってん、長谷部だけでここ整理しよんか」

「そうだ。誰もやらないからな。整理していないければ探すときに余計手間がかかる」

 書庫に納められた帳簿には一つ一つ背表紙が付けられて、どのような帳簿かがわかりやすいように記されている。この几帳面な表示もすべて長谷部が行ったものだろう。

  彼の細かな仕事を感心したように博多が眺めていると、足元にそろりと何かの気配を感じて振り返った。書庫の暗がりに隠れるように潜んでいたそれはよく見れば闇に溶け込む黒い毛並をしている。猫の目が闇の中で妖しく煌めいた。

「猫ばい、長谷部」

「なんだと、どこから入り込んだんだ」

 眉間にしわを寄せて振り返る。見つめられているにもかかわらず、不敵にも逃げ出そうとしない猫を見て長谷部の眼が細められる。

 薄暗くてよく見えないがなぜだかその視線は知っている気がした。

「なんだかどこかで見たことのある猫だな」

 遠くから大きな足音が近づいてくる。どたどたと音を響かせながら、それは書庫の前で止まった。

「猫、どこだよっ!?」

 肩を上下させて荒く息を吐き出して叫んだのは信濃だった。急に騒がしくなったことにいらだった長谷部が怒鳴る。

信濃、何を騒いでいる!」

「猫ならそこしゃいるよ」

  博多が暗がりを指さす。

「やっと見つけた。もう逃がさないぞ、覚悟!」

 えいっととびかかった信濃を猫はひらりと交わす。とびかかった信濃の頭を足蹴にして、猫はさらに高い書庫の上へと飛び乗った。

「うわっ!」

「なにやってんだよ、今度は俺がつかまえてやるぜ!」

 後から現れた後藤が書庫の本棚を足掛かりにして猫のところへよじ登り始める。

「貴様ら、ここで遊ぶな!」

 だが猫に集中する二人には長谷部の警告も届かない。本棚はちゃんと床に固定されていないせいか、動くたびに揺れる。

 よじ登った後藤の手があと少しで猫に届きそうなところで足場が大きく揺れた。

「げ」

 背中から落ちた後藤はそのまま下に積みあがったままの帳簿の山に落下した。舞い上がる埃にそのにいた皆が咳き込む。

 猫は注意がそれたところで、床に降り立ち彼らを睥睨してから書庫の外へ逃げ去った。

 書庫はつみあがった帳簿が乱雑に崩れ落ちて目も当てられぬありさまだ。

「けほっ、逃げたみたいだよ」

「ちっ、すばしっこいな。また見失っちまう、急ぐぞ」

「あ、長谷部さん、こっちが終わったら片付けますからー」

 ごほごほと咳き込みながら、片づけもせずに猫を追いかけていく彼らの背中に長谷部は怒りを爆発させた。

「このままにしていく気か、貴様らーーーっ!」

 

 

 外はぽかぽかと日が当たって雲一つないいい天気だ。

 温かな陽光に手をかざして、堀川が機嫌よく言う。

「洗濯日和のいい天気だよね。兼さんは歌仙さんと手合いの当番だし、山伏兄さんは出陣だったからね。今日は兄弟が手伝ってくれて助かったよ、ありがとう」 

  綺麗に洗いあがったたくさんの洗濯物を持ちながら、堀川は傍らを黙って歩く山姥切国広に礼を言った。こちらも負けないくらい多くの洗濯物の入った籠を抱えている。

 洗い場から外の物干し台まで彼らは並んで歩いていた。

「ここでは手の空いている者が助け合うのは当然だ。別に大したことじゃない」

 視線を前に向けたまま、堀川の方を見ないで無愛想に言葉を返す。

「でも今日は主さんの仕事が片付いたからひさびさに休みができたんでしょう? 僕の手伝いしないで休んだほうがよかったんじゃないかな」

 堀川の言葉にほんのわずかに視線が向けられた。無表情だったはずの彼の眼が揺れて細まった。

「・・・兄弟が忙しくしているのに、俺だけ休むなんてできない」

 ふいっと目線をそらし、うつむいてかぶっている布に目元を隠してしまった彼を堀川はじっと見つめた。

 いつものことだ。目を閉じて口元だけ軽く笑ませる。

「仕方ないなあ、兄弟は。じゃあ、終わったらあとで一緒に休憩しようか。燭台切さんが作ってくれたおやつがあるはずだからもちろん食べるでしょ?」

「食べる」

 庭を歩く彼らの足下をするりと何かが通り抜けた。黒くしなやかな動きをしたそれは庭の中央で立ち止まりこちらを振り向いた。

「黒い猫だね。あんな子、うちの本丸にいたかな」

 つややかな黒い毛並に細く長い尻尾を揺らして、悠然とこちらを見つめている。その瞳はなぜか紅い。

 山姥切はといえば、猫を凝視したまま目線を険しくして動かずにいた。

「猫の目が赤い・・・? あれは・・・」

 さわりと背中がざわめいた。神経を研ぎ澄ませて見つめる気配。振り向かずに背後に神経を集中させると誰かがこちらを見ているのがはっきりと分かった。

 感じれるか、感じられないかくらいにまで気配を隠してどこかの物陰に隠れている。その気配は一つじゃない、おそらく二つか。猫に注意を向けているために、まだどうやら背後には気づいていない山姥切に声をかけようと口を開きかけた。

 後ろの低木の樹木が揺れた。

 声をかけるよりも早く隠れていた気配の一つが飛び出す。一瞬にして白い布がひらりと広がって宙に舞いあがった。

「俺の布が!」

 一瞬のうちにかぶっていた布をはぎ取られた山姥切は焦った声を上げる。

「ごめんなさい、山姥切さん。ちょっとこれ借ります!」

 手にした布を大きく広げて、そのまま勢いよく信濃は庭にたたずむ黒い猫の上へかぶせた。猫は逃げる間もなく布の下に隠れてしまった。

 布の下で猫が暴れているのか、波打つように布がうごめいている。あっという間の見事な手並みだった。

 堀川は感嘆の意を込めて息を軽く吐き出した。

「はー、兄弟の布を一瞬で奪い取るなんて、いくら油断して隙をついたとはいえすごいな。僕も見習わないと」

「・・・兄弟、いったい何を見習うつもりだ」

 信濃の手練の見事さに本気で感心している堀川に対して、山姥切は胡乱な目を向けながら肩を震わせている。

 一方、布で捕獲した信濃は後藤の手を借りて布の下から猫を捕まえようと悪戦苦闘していた。

「こら、暴れるなって」

「往生際が悪いなあ。えっと、どこかな?」

 同時に押さえつけようにも、猫の動きは意外に素早かった。布にもつれながらも端までたどり着いた猫はするりとぬけだして一目散に駆け去ってしまった。

「あー、うまくいったと思ったのになあ」

「仕方ないよね。後藤は先に猫追いかけてて」

 後藤に猫を追わせて、信濃は奪い取った布を手に堀川たちの元へ戻ってきた。

「猫を捕まえるのに布を勝手にとってごめんなさい。あと、結構汚れてしまったんですけど・・・」

 庭の土の上で猫と格闘していたせいで、もともとそんなにきれいとは言えない山姥切の布はみごとに土まみれになっていた。頭を下げておそるおそる差し出されたそれを堀川が籠を抱えたまま片手で受け取る。

「あとで隙を見て洗うつもりだったからいいよ。はぎ取る手間も省けたし、むしろ僕がお礼を言いたいくらいかな」

「なにいってるんだ。だいたい別に洗わなくてもいいだろ。俺は汚れているくらいでいいといつも言っている・・・」

「だからってこんなに汚れているの着ていたら、歌仙さんに今度こそ本丸に出入り禁止にされるよ」

 いいかげんに観念してなよと、目で黙らせると、山姥切は不満げに口を曲げて抱えている洗濯物の山へ隠れるように顔をうずめてしまった。

「でも今度からは黙って取るのはだめだよ。わかったね」

「はい、どうもすみませんでした」

 礼儀正しく頭を下げると、信濃は急いで猫の逃げたほうへ駆け去って行った。見送ってから堀川は洗濯物の山から顔を上げようとしない兄弟に優しく声をかけた。

「ほら、大丈夫だよ。兄弟も布なら代わりのが・・・あれ?」

「代わりのがあるはずじゃないのか?」

 小さく震える声で顔を少し上げて山姥切が問いかける。その視線に堀川は思わず目をそらした。

「・・・ごめん、兄弟。代わりの布、全部洗濯しちゃったみたい」

 そういえば最近天気が悪くて思うように洗濯ができなかったので、今日まとめて洗い上げた中に代わりの布をすべて入れてしまったのを今思い出した。

「・・・!」

 それを聞いてこの世の終わりのような顔をして色を失った山姥切を、堀川はできる限りの笑顔で慰めた。

「でも今日は天気がいいからすぐ乾くよ。それまでちょっと我慢してね」

 

 

 高い屋根の上に乗っかった猫を、信濃と後藤は難しい顔をして見上げていた。

「ずいぶん高いところに上がってくれたな。どうする信濃

「のぼるしかないよね。でもあそこまで高いとはしごが必要かな」

 困ったように知恵を絞る彼らを猫は勝気な目つきでじっと見下ろしている。あごをつんとあげて、ピンと立った尻尾を時折ぴしりと下に打ち付ける。

 猫を見上げながら信濃の眼が細く険しくなった。

「なんかさあ、どこかで見たことない? あの感じ」

「俺もさっきからそれ思ってた。俺たちをからかうみたいに翻弄する動き、誰かに似てねえか?」

「黒い毛並に、赤い目の猫か。あれってもしかして・・・」

 黒い猫はつんと澄ました顔をして眼下を一瞥すると、するりと身をひるがえして反対側の屋根へと姿を隠してしまった。

「もう、どこにいくのさ!」

 

 

 なんか誰かに噂された気がして加州は視線を宙に泳がせた。だが気のせいだろうとすぐ視線を元に戻す。

 冷たい水に浸した手拭いを絞り、そっと主の後頭部にのせた。

「加州清光、これはいったいなんの騒ぎだ」

 審神者の部屋に怒鳴り込んできた長谷部に向かって、加州は人差し指を立てて黙るように促した。

「ちょっと、主が頭を打って寝ているんだから静かにしてよね」

「なんだと! ・・・主、大丈夫ですか?」

 ひざを折って心配そうに覗き込む長谷部に、反対側にいて主の容体を見ていた薬研が鷹揚に肩をすくめた。

「心配ねえって。ちょっと頭を打ち付けてこぶができただけだ。念のため、冷やしてもらっているけどな」

「ちょっと転んだだけですから大丈夫ですよ。大したことはありません」

 庭の方を向いてうつぶせになった主がはにかみながら軽く手を振った。

「もしや加州、先ほどから信濃と後藤が暴れまわっているのと関係があるのではないのか?」

 急に睨み付けられて加州は少しだけ顔をしかめて視線を逸らした。主の事となると長谷部の勘は冴えわたる。

「あいつらには主の作り出した式神の猫が逃げたから追いかけてって頼んだんだけど・・・何かやった?」

「何かどころではない! 本丸中があいつらに引っ掻き回されているのだ。この始末どうしてくれる」

 さっきからなんか本丸中が騒がしい気がすると思ったらそういうことか。信濃と後藤はまじめに追いかけているつもりなんだろうが、けっこう派手にやっているみたいだ。

「そう言われたって主の式神が逃げたんだから野放しにはできないでしょ。外へ逃げて主の霊力を敵に利用されても問題だしさ。あの猫、命令を組み込んでない仮初めの式神だから主もうまく使役できないみたいなんだよ」

「だからといってあのままあいつらに追いかけまわさしていては本丸中がめちゃくちゃになるぞ!」

 どうにかしろと言われても、加州だってどうすればいいかわかるはずもない。うんざりした顔で長谷部をねめつける。

「それなら数集めて大捕り物するしかないでしょ。とりあえず今日非番の奴ら集めれば。そうだ、まんばはどうしたの。あいつが休みで俺が代わりに主の傍にいるんだけど。休みって言ったってどうせやることなくて暇しているはずだから、あいつに陣頭指揮とらせりゃいいじゃん」

 この本丸では初期刀の山姥切の方が総隊長として第一部隊を長く率いてきた経験上、なんだかんだ言いつつも多くの刀を同時に指揮するのに一番長けているはずだ。

 だが一向に不機嫌な顔のまま、盛大な舌打ちが長谷部の口から放たれた。

「山姥切の奴は今自室の押し入れに引きこもって出てこない。堀川曰く、かぶる布がなくなってしまったのでたぶん今日は出てこないかもしれません、だそうだ」

「・・・なにがあったんだよ、あいつ」

「役に立たない奴はこの際忘れろ。とにかく元凶であるその猫の式神というのを捕まえればいいんだな。そいつはどういう特徴をしている。さっきは暗くてよく見えなかったからな」

「えーっと、毛並は真っ黒で、尻尾が細長くて、そうそう目は確か赤かったかな」

「黒い猫で目は赤いだと・・・?」

 長谷部に胡乱な目で見つめられて、加州はむっとして目を細めた。

「なんだよ」

「・・・いや、確かに捕まえるのが面倒だなと思っただけだ」

 

 

 姿が映るほど清められた道場の床を踏む足音が甲高く鳴り響く。

 木刀の切っ先をまっすぐ和泉守兼定に向け、視線もまたゆるぎなく余裕の笑みで歌仙は見つめていた。

「久々の手合せだが、どれくらい腕をあげたか見せてもらおうか」

「へっ、前のようにはいかねえよ、之定。実戦とかっこよさを兼ねそろえた剣法をみせてやる」

 不敵に笑って、和泉守は自身の刀を構えるときと同じように、両手をぴったりつけるように握り締めた。

 一見無造作ともいえるその構えを見て、歌仙は端正な眉を軽く跳ねあげた。

「その構え方といい、手段を選ばない戦い方といい、全く雅じゃないね」

「うるせえ、俺のやり方にけちつけるな」

 戦う前から言い争う彼らにうんざりして、大和守安定が間に立って両の手を広げた。

「はーい、もう始めていいかな」

「いいぜ、さっさとやれよ」

「じゃあいくよ、用意はいい? ・・・始め!」

 合図がかかるや否や、同時に足を踏み込む。ともに勢いよく振り払い木刀同士がぶつかり合う剣戟に、顔をしかめたのは歌仙の方だった。

「くっ、重いな」

「これでも実戦経験は積んできたんでね。こっちだって負けはしねえよ」

 力任せに組みつくのは得策ではないと、後ろに飛びのいて歌仙は間合いを測る。木刀を正面に構えたまま、和泉守は少しずつ回り込むように横へ動いて相手の隙を狙っていた。

 中段に構えていた歌仙の木刀が不意にわずかに下がる。それを隙ととらえて和泉守が無理やり踏み込んだ。それを待っていたのか、歌仙の眼がすっと冷ややかになった。

 放たれた太刀筋の下へくぐるように腰を低く落として足を振り払おうと構えたその時だった。

 彼らの間を黒い物体が突然割って入った。気をそがれて、思わず双方振り払おうとした腕が止まる。

「な、なんだあ?」

 慌てて足をこらえて立ち止まった和泉守が驚いた顔を浮かべて見送った。

 黒い猫は歌仙と和泉守の間で尻尾を優雅に一振りすると、今度は茫然としている大和守の胸元へ飛び乗った。思わず両手を差し出してその猫を抱きとった彼はじっと自分を見つめる猫に不思議な既視感を覚えた。

 くるりといたずらっぽく揺らめく赤い目に戸惑う自分の姿が映る。

「・・・清光?」

 彼の言葉に一鳴き、満足げな響きを鳴らすと、胸元に親しみを込めて軽く頭を撫でつけた。大和守がそっとその頭を撫でようとすると、手の間をすり抜けて軽快に彼のおでこを足蹴にして飛び上がった。

「ぐわっ!」

 大和守を踏み台にして、猫はあっという間に道場から逃げ去ってしまった。

「なんだ猫か。まったくどこからはいりこんだんだか」

「ん、なんかあっちの方からうるせえ声がきこえてこねえか?」

 何か耳にとらえたのか和泉守が道場の入り口の方に顔を向ける。残りの者達もそっちを見やった。

「待てーーーっ!」

 今度は必死の形相をした後藤と信濃が目の前を駆け抜けていった。

「ちょっと待て、君たち! 泥だらけの足で道場を走るんじゃない!」

 しかしそんな歌仙の叫びも急ぐ彼らに届くはずもなく、逃げた猫を追って道場から直接庭に飛び出して去って行ってしまった。

 彼らがいなくなった後にはきれいに磨かれたはずの道場の床に、点々と泥のついた足跡が残っている。

「なんなんだ、ありゃ」

 訳が分からんと呆れてつぶやく和泉守の後ろでは、行き場のない怒りを必死にこらえているのか歌仙がこぶしを握り締めて肩を震わせていた。

 「どうしてこの本丸はみんな雅じゃないんだ!」

 

  

 黒い猫は屋根の上で先ほどの騒動など忘れたようにくつろいでいた。手足を伸ばして下半身を上に持ち上げると、そのまま小さく欠伸をして温かな屋根の上に丸くなった。

 そこから少し離れた屋根の上にへばりつくように、信濃と後藤が気づかれないように猫を眺めている。

「これからどうする」

 小声で信濃が問うと、後藤が困った顔でうめいた。

「下手に近づいても逃げられそうだしな」

「ふーん、後藤にしては弱気だよね」

「じゃあ、お前にいい作戦でもあるのかよ」

 んー、と空を見上げてしばし考え込んでいたがすぐに後藤の方に顔を向けると無邪気に笑った。

「ないかな」

 盛大に頭を打ち付けそうになるのを後藤は必死にこらえた。

「たくよー、俺たちは短刀だぜ。練度だって出陣に出陣を重ねて結構上がっただろ。これ以上猫一匹に翻弄されてたまるかよ」

「まあね。いくらあの猫がいわくのありそうな感じでも、僕たちが本気を出せばどうなるかわかってもらわないとね」

 視線を絡ませて後藤と信濃は小さく頷いた。言葉を交わさずとも言いたい意味は分かる。彼らはそれぞれ左右に分かれて眠っている猫をはさむ位置に動き出した。

 猫はまだ気づかずに眠っている。

 気配を極限まで隠しながら信濃が小さく笑う。

 目の前にいる後藤に目を向けた。彼もまたかすかに親指を立てて無言で了解の意を返してくる。

 ひらりと猫の傍に一枚の葉が舞い落ちようとしていた。かすかな風に舞い、葉が音もなく彼らの目の前で屋根の上に落ちる。

 それを合図に両者は同時に飛び出した。屋根を音を立てずに軽やかに踏み込んで猫を挟み込む。

 不穏な気配を察したのか、手が届く前に猫が目を開けた。すぐさま状況を察すると急いで飛び上がる。

「逃がすか!」

 後藤と信濃の両手が逃げようとする猫の身体を捕まえるために伸びた。黒い毛並に指先が触れる。だが猫はその一瞬早く彼らの手の先を逃れて、屋根の上から宙に向けて飛び出した。

「とっ、信濃、押すな!」

「止まらないよ、うわあああ!」

 捕らえる目標を無くし、さらに飛び出した勢いを殺せずに、彼らは屋根の上から転げ落ちた。

 

 

 庭をのんびり歩いていた三日月は突然落ちてきた何かに目の前をふさがれた。何やら暖かく、そしてふわふわしている。

 両手でそれをはがしてみると、それは毛並の整った見事な黒猫だった。

「これはこれは。お主はどこから来たのだ?」

 だが猫は抱き上げられたのが嫌なのか、手足をばたつかせて暴れまわる。

「おお、元気な猫だな」

 今度は目の前に今度は後藤と信濃が庭に転げ落ちてきた。盛大に地面へと叩きつけられる。

「おや、この本丸では最近は屋根の上から落ちるのが流行りか?」

 とぼけたことをいう三日月に、地面から顔をあげた後藤が腰に手を当てながらうめいた。

「そんなわけないだろ。あ、三日月さん、その猫を俺に渡して!」

「あ、抜け駆けはずるいよ、後藤。僕にお願いします!」

「けっこう痛い目見たんだ、俺だろ」

「それ言うなら僕だって結構頑張ったよ」

 にらみ合って一歩も引かない彼らを三日月は困った眼で眺めた。

「ふむ、さて困ったな。お主はどちらへ行きたいかな」

 黒い猫は問いかけに答えるわけもなく、まだ暴れているが三日月の手の中からは逃れられずにいる。その元気な様子を眺めていると、何かに気づいたのか口角を軽く上げた。

「まこと夜闇にいるのが似合いそうな猫だ。黒き闇色に鮮やかな紅の色か。ほう、どこか知った気配が残っておるな・・・」

 首をかしげる三日月の目の前に後藤がずいっと両手を差し出した。

「お願いします、三日月さん」

 負けじと信濃も両手を組んでお願いのしぐさをする。

「どうしてもその猫が必要なんです。僕に渡してください」

 両方から迫られて三日月は猫を抱えたままただ微笑むしかなかった。

「・・・これは困ったな」

  不意に後藤の身体がかげった。不穏な気配をはっしながらそれは背後に仁王立ちして睨み付けている。

「貴様、こんなところにいたか!」

 服を首根っこからつかまれて持ち上げられた後藤は、後ろを振り向くと盛大に冷や汗を噴出した。

「げっ、長谷部・・・さん」

「ほう、いいご挨拶だな。後藤、貴様らはずいぶん本丸中をにぎやかに走り回ってくれたみたいではないか。特に盛大に散らかされた書庫の後始末どうしてくれる!」

 一方、信濃の方は背後から誰かに肩に手を置かれて振り向いたところで、顔をこわばらせて硬直していた。

「い、いち兄・・・」

 その満面の笑顔が怖い。いつも兄弟には甘い彼らの長兄がこのように笑っている時は明らかに怒っている時でしかありえない。

 肩に置かれた手にぐっと力が込められた。

信濃。この騒ぎ、いったいどういうことか説明してくれるかな?」

「あ、その・・・」

「あなたたちは我ら誇り高き粟田口の刀としてふさわしい行動をしたと胸を張って言えますか?」

「ごめんなさい・・・」

 笑顔で問い詰められて言い返せない信濃はがっくりうなだれた。

 後藤を抱えたまま、長谷部は険しい顔のまま言い放つ。

「こいつらにはこの騒ぎの後始末をしっかりやってもらう。説教はその後だ」

「申し訳ありません、長谷部殿。弟たちには私からもよく言い聞かせておきますゆえ」

「ああ、説教はきつく頼む。それと加州、貴様もだぞ。貴様が後先考えずに描いた絵を主の式神にさせるからこうなったんだ。今後は面倒なものをつくらせないようにしろ!」

 彼らの後ろでいつのまにか控えていた加州がうんざりとした顔でため息をついた。

「結局俺のせいになるの? わかった、気を付ければいいんでしょ。それと三日月、その猫、聞いてたと思うけど主の式神なんだ。返してもらえる?」

「なるほど、それで必死になってほしがったというわけか」

 差し出された加州の手にそっと暴れる猫を乗せた。不思議なことに加州の腕に抱かれたとたん猫はおとなしく丸まった。

「お主が描いた絵から生まれた猫か。確かによう似ているわけだ。たやすく誰かになつくでもなく、気まぐれに、気づけばするりと夜の闇の中へ消えてしまいそうなところがな」

「ずいぶんな感想どうもありがと」

 加州の腕の中でもう猫は逃げようとはしなかった。すっかり安心しきって眠るその寝顔を半ば呆れながら苦笑して見つめた。

 

 

「ほら、もっと腰を入れて拭かないと汚れ取れないよー。ちゃっちゃと体を動かす!」

 腰に両腕を当てながら大和守が道場の汚れた床を拭いている後藤と信濃に指示を与えていた。

 長谷部と一期につかまってから、一連の騒ぎで汚した場所を順々に彼らだけでそうじしていた。そしてこれが終われば確実に説教が待っている。床を磨く手も自然と重くならざるを得ない。

 ごしごしと泥を雑巾で拭っていた信濃が手は動かしながらぼやき始めた。

「なんでこうなるのかなあ、俺たちそんなに悪いことした?」

「少なくとも本丸中を汚したのは事実だしなあ。いち兄は本気で怒っているし、ちゃんと掃除はしておいた方がいいと思うぜ」

「あーあ、大将の懐入りたかったなあ」

「今は無理だろうけど、全部終わってから行けばきっとあの大将の事だ。ほめてくれるんじゃねえの?」

「そうか、大将、俺たち短刀には怒らないし優しいもんね。よし、じゃあさっさと終わらせて大将のところへ行こうよ」

「その前に長谷部さんといち兄の説教が待ってるけどな」

「うー、お説教は短いといいなあ・・・」

 

 

 廊下から両手にたっぷりと水の入った桶を持ってきた加州が、本気で疲れ切った顔で桶を床に置いた。

「俺、こういう力仕事苦手なんだけどなー」

「仕方ないじゃん。聞いたよ、清光が描いた絵が原因なんだって? 自分のせいなんだから文句言わずにさっさとやる」

 相方に冷たくされて加州ははいはいと雑巾を組んできた桶に浸した。上から見下ろしていた大和守は何を思いついたのか、とつぜんにやりと不気味に笑った。

「それにしてもあの猫はかわいかったよね。ぽーんと僕の腕の中に飛び込んできてさ、頬を摺り寄せてかわいく鳴いたんだよ。ほんと、誰かさんとは大違いだ」

「おまえ、喧嘩売ってる?」

 加州は手にした雑巾をきつく握りしめた。ふいっとそっぽを向いて大和守はつんと澄ました顔をする。

「僕は別に清光と比べてるなんて一言も言ってないけど」

「俺の前でそういうこと言うってことが嫌味なんじゃないの!?」

「さー、どうだろうね」

 むっとしている加州はまだ言い足りなさそうな顔をしていたが、それ以上言うのはあきらめて汚れた床をやや乱暴な手つきで吹き始めた。それを黙って眺めていた大和守はあのしなやかな猫の姿を思い出した。

(あの猫を見て、一目で僕は清光だって思ったんだよね)

 あの不敵な目で、いたずらな光をたたえて、それでいて何も言わなくてもわかると僕を見つめたあの猫。間違えるはずなんてない。

 背中合わせに敵に立ち向かいながら、じゃあ行くよと先陣を切るときに楽しそうに笑いかけるときと同じ目だった。

「なーににやにや笑っちゃってるの。なんかうれしいことでもあった?」

 手を止めて加州が不思議そうに見上げている。その声に空想が破られる。

 沖田の刀の片割れはくすっと笑って、もう一振りの片割れに向けて笑顔を向けた。

「別に、清光は知らなくてもいいんだよ。ほら、掃除さっさと終わらせてよね!」

 

 

 信濃と後藤の追っかけっこの話をかいていたはずなのに、いつの間にか主役は沖田組に? 

 でもうちの本丸の日常をちょっとえがけたのでよかったかな。

 信濃と後藤は大体同じくらいのスピードで育ててたから、大将組のなかでもお互いに競い合っているイメージです。

 しかしこれを書いている最中に、後藤君、修行から帰ってきちゃったよ・・・。

 

 短刀 後藤藤四郎 練度最高値到達 二〇一七年三月六日

 短刀 信濃藤四郎 練度最高値到達 二〇一七年三月十日

 

                = TOP =