ゆめうつつ

刀剣乱舞・文豪とアルケミスト関連の二次小説。主にコメディ中心。

極 ~初期刀組~

 目の前を小さい何かが横切る。

 足元からいたずらに風が庭先から本丸の廊下を駆け抜けた。

 再び横切ろうとしたそれを手のひらで捉える。目の前で広げて現れたのは一片の淡い紅色の花びらだった。

 すぐさまそれは乱れ吹く春のそよ風にかすめ取られる。

 庭の向こうの桜の木々に目を向けると花吹雪はもう終わりに近い。

 今年の桜の花はいつもよりも散るのが早かった。厳しい寒さが緩んだと思ったら待ちかねたように堅く閉ざされていた一斉に蕾が綻んだ。

 にぎやかなのを特に好む奴らが慌てて花見だ宴だとひとしきり騒いだ後は、もうこの花は散り始めていた。俺の今眼の先にある樹は花はほとんど散り去り、若い葉をその後からのぞかせ始めていた。

 雅などわからない俺であってもあの桜の花が咲き乱れるさまは名残惜しいと思う。だが人界にあっては季節は約束されたように幾度も違わず巡る。

 この本丸にあってもう四度目の春。

 それは同じようで違う。目に映る景色もどこか前と違う気がする。

 一年という刀の姿で在れば短いその時間も、人の身をなした今ではあったことを思い返すのがありすぎるほど長い。成すべきこともなく無為に過ごしていたとしても、この本丸で審神者と他の刀たちと生きてきた、ただそれだけでも俺の中で何かを少しずつ変えている。そういうことだろうか。

 人のすべてを理解するには、まだ俺はこの姿となって生きた時が短すぎる。

 強い風が吹く。枝にわずかに残っていた花びらが抗うことなく幾重も宙に舞って空へと消えてゆく。

 後ろへと翻りかけた布を片手で押さえて、山姥切国広はけぶるように淡い蒼の色に染まった春の空を物思いにふけりながらじっと見上げていた。

「こんなとこにいたんだ、山姥切。主が呼んでるよ」

 背後から名を呼ばれて振り返る。この本丸でも古参に近い加州清光が立っていた。

「主が?」

 珍しいなと思う。近侍の任を外れてからはこちらから用で出向くくらいであちらから直接呼びつけられたことはほとんどない。

 この本丸で初めて顕現した初期刀。だがその価値は今はもうないと思う。

 新参の審神者の近侍として補佐を務めていた本丸設立当初ならばともかく、数多の名刀が揃いに揃った今、写しの刀にもう自分でなくてはならないという役目はない。己の道を見つけるべく修行に出た刀たちが見出してきた力にかなうべくもなく、今の俺にできるのは留守役として本丸に留まり、任務に出陣する彼らを影ながら支えることくらいだ。

 刀のとしての本質。戦場で振るわれること。

 時々その血を求めるその本能にとらわれかけても奥底に押し殺す。戦場に出たいと望むのはこの本丸で俺だけではないことは分かってる。

 山姥切は目深に隠した布の下から目の前の加州をうかがうように見つめる。いつもと変わらずに笑っていたとしても俺と同じことを思っているはずだ。こいつだけじゃない、戦場で戦い続けて、力をつけてついには壁に突き当たった刀すべてがそうだろう。

 だからこそだ。誰にも知られるわけにはいかない。願いは思うだけで空しい。だから、思わない、願わない。

 ただ過ぎ行く季節を見つめて乱れてさざめくこの心が静まる時を待つだけ。

「何ぼうっとしてるのさ。俺の話聞いている?」

 首を傾けた加州が不機嫌そうに口元を少し曲げながら、布の下に隠れた山姥切の顔を覗き込んでいた。

 ぼんやりと立ちすくんでいる山姥切の右の手首を乱暴に掴み取る。

「ほら、主を待たせるつもり? 呼んでいるのはお前だけじゃないんだから。俺もそう。あとは陸奥に蜂須賀、それと歌仙もいる」

「・・・なんであいつらと一緒に俺が?」

 山姥切の言葉を聞いて一瞬動きを止めた加州だったが、がっくりと頭を垂らして重い吐息を漏らした。

「お前、まだわからないの? 俺たち五振りが呼ばれた理由」

 山姥切の腕をつかんだまま、加州はくるりとこちらを振り返る。軽快に足をそろえてわずかに低いその眼が怪しい光をたたえて下からねめつけるように睨みあげた。

「さっき主に書状が届いてた。例の桜の印が押されている正式命令書のやつ。新しい修行許可が下りたみたいだよ。次に修行に行けるのは主に呼ばれた俺たち・・・もちろんお前も」

 加州の言った意味がすぐには分からなかった。頭の中でその言葉をもう一度反芻して、今度こそその意味することを悟る。目が大きく見開いて目の前の加州を凝視する。

 濡れたその鮮やかな色の眼が何か言いたげな光を帯びたが、何を言うこともなくすっと横に逸れる。

「さっさと行くよ。詳しいことは主が直接話すってさ」

 

 

 上質な和紙に細かい銀箔がちりばめられた一通の書状。封書から取り出した紙は折り目の波打つままで、主は膝先の畳の上に書面の内容が皆に見えるように指先で広げる。

 横に一列に、姿勢を正して居並んで控える者たちはそれぞれに違う思いを抱きながらその書状を見下ろしていた。

 どのような丁寧な言葉も、羅列された墨で書かれた流麗な文字も、関係はない。主の前で居並ぶ僕らが求めるのは政府が通達するその内容のみ。

 主の手が書状に触れる。その乾いた音を合図にして、落していた視線を皆が主に向け直す。

 薄青の着物を纏った主は膝をそろえ正座して背を伸ばした。伏せ目がちな目がゆっくりと開かれる。

「先に伝えた通り、あなた方の修行が政府によって決定いたしました」

 まだ変声期を迎えない少年の主はそう告げると静かにまっすぐ前を見据えた。

「ほんで主、わしはいつからじゃ。いつ行けるんじゃ」

「え、まだ時間や誰から行くかは未定で・・・」

 待ちきれないのか陸奥守吉行が身を乗り出すように主の話を遮るように言葉を発した。その礼を逸した振る舞いを真面目な蜂須賀虎鉄がひそかに咎める。

「落ち着かないか、陸奥守。まだ主が話している途中ではないか」

「それはすまんきに。じゃがやっとわしらの番が来たんじゃ。それをどれだけまっちょったか、おんしらもそうじゃろ」

「俺はいつもと変わらない」

 表情は硬く平然と言葉を返した蜂須賀だったが、反対側からひょこっと顔を出した加州があっさりそれを突き崩す。

「それはないよね。蜂須賀が主からの連絡を聞いた時、すごい嬉しそうな顔している見たけど。真面目なお前でも浮かれることってあるんだな」

「まて、加州。俺はそこまでは・・・!」

「じゃが蜂須賀、動揺しちょるっちゅうことは図星じゃろ。ほな照れんでもええぜよ。わしらみな嬉しいっちゅうのは同じじゃゆうことじゃ」

 ずっと待っとったからのう、と陸奥守が嬉しそうにほおを緩める。顔をこわばらせていた蜂須賀も指摘されて隠す意味がなくなったと思ったのか、強張りのとれた目元が少し嬉しそうだ。

 そんな彼らの様子を静かに眺めていた歌仙兼定もまたふっと口元に笑みを浮かべた。陸奥守たちのように表だって体で喜びはあらわさないが、その顔が和らいでいるのは誰の目にもわかるだろう。

(修行に行けるのを待ち望んでいたのは僕だけではないということだね。それは当然の事のはず・・・なんだろうけど)

 伏せた目元をそっと横に向ける。俯いたその姿、いつもより深くかぶったその布に遮られて彼の表情はまったくうかがえない。

 主が政府の決定を告げた時、他の者たちが一様に目を輝かせたのとは対照的に彼だけただ一振り、感情を表には見せなかった。頭からかぶる布が邪魔をしてということもあるが、この部屋にいる中で本丸に顕現してより誰よりも彼と付き合いのある歌仙としてはその抑え込もうとする気持ちも、内心に渦巻く葛藤も聞かずともわかる。

(どの時代、どの場所へ行くか。それは主にもわからない。それでは彼の心が乱れてもしかたないか)

 歌仙とて不安がないわけではない。おそらくあの時代へ行くのではないかと思う場所はある。だがそれはまた再びあの哀しい悲劇をその眼で見ることになることを意味するのだろう。

 数百の時を数える長い刃生だ。自分に関わる物語は無数に紡がれた。だがもっとも深く己の根源にかかわる時代に行かされる可能性は高い。

 それがこの修行へ旅立つ意味でもあるのだろうけど。

 歌仙は隣でうつむいたままの彼から視線を外し、主に目を移す。まだ大人にはなりきれない少年の主。年の割には体も小さく、直接刀を握り振るう力もない。外の人間から見れば頼りなく見えるだろうが、それでも僕らは知っている。その心がこの本丸の審神者であるに有り余るほど強いことを。

 主はもう幾振りもの刀を修行に旅立つのを見送り、この本丸で彼らが帰ってくる時をただじっと待ち続けた。

 不安もあるだろう。それは離れることへの恐れ。この主の心は人としては強いとはいえ、それでも見えない未来におびえることはある。

 僕らにその本音を漏らすことはないけれど、その伏せ目がちの黒曜の瞳で時折すがるような目線を送っていることに気付いているのだろうか。

(でもそれは心配しなくてもいい)

 歌仙は口元にかすかな微笑みをたたえたまま、主を見つめる。

 大丈夫だよ、主。

 主のいるこの本丸こそが今の僕らが帰ってくるべき場所。それは加州も、陸奥守も、蜂須賀も、そしてそこでうつむく山姥切ですらもわかっているはずだから。

 

 

「毎月一振りずつとは政府ものんびりじゃのう。みんなでいきゃあいいじゃろうに」

 主の部屋を出たところで陸奥守がやれやれと肩をすくめる。そのあとに続いた加州はぼやく彼をいさめるように言った。

「俺たちにはわからない難しい問題でもあるんじゃないの。今までだって修行に行くのは一振りずつだったし、いつかは行けるってことでしょ。自分の番が来るまでのんびり待っていればいいんじゃないの?」

「加州こそのんびりしちょるの。わしはすぐにでも行きたいぜよ。加州は違うのかの」

 話が終わると他の者たちはそれぞれに席を立った。加州も退出しようとしたところで陸奥守に話しかけられ、自然と一緒になる。

 最期に主の部屋から出た加州は後ろ手に入り口の障子を閉めると、表情をすっと消した。

「そんなことないかな」

 硬い声音が加州の口から洩れる。胸の奥底にしこりのようにのこる黒い靄をまとってそれはひどく冷たく響く。

 庭にそって伝う縁側の廊下を加州は足早に歩きだす。その少し後をあわてて陸奥守が追う。他の建物から離れたところにある主の居住から、刀たちの生活の拠点である本丸の母屋につながる廊下を無言で戻っていく。

  綺麗に磨かれた廊下は足を踏みしめると小気味よい音が鳴る。いつも朝方に短刀たちが競うように雑巾で拭き掃除をしているため、廊下の板張りも磨かれきって艶めいていた。

 どこからかはらりと落ちた花びらですらも廊下にその姿をうつす。

 加州は橋のように長く建物同士をつなぐ渡り廊下を半分ほど歩いたところで足を止めた。閉ざされた口は少し震えていた。それでも不意に湧き上がった動揺を陸奥守に気取られたくなくて、顔を見られないように決して後ろを振り向かない。

 待って待って待ち続けたのは俺だって同じだ。本丸にいることも多くなって、刀を振るうのはだいたい道場ぐらいで。季節は変わっていくのに俺だけいつまでも変わらずにいて。

 仲間の背中だけをただ見守っているばかりだったかな。

 口元が変な形に曲がりそうになるのをあわてて笑ってごまかす。

新撰組のみんなが先に旅立っていくのを俺はずっと見送って来たんだからね。顕現が大体同じだった安定たちはともかく、俺よりずっと後に来た長曽根さんの方が先に行くことになった時はさすがにがっかりしたかなあ」

「あー、あいつか。そりゃわしもちっとはわかるぜよ」

 後頭部を無造作にかきながら陸奥守が神妙に頷く。

 新選組のみんなも俺をのぞいてみんな修行に旅立って帰ってきた。力だけではない強さを得てきたあいつらに何も思わないなんてことはどんなにこらえていても無理、だけど。

「でも決めるのは主だから。俺、主の考えに逆らうのはしたくないんだよね。だから俺からは主に何も言わない」

 風が吹く。若葉の萌えはじめた木々を無造作に吹き乱していく。こすれ合う葉の音が二人だけの空間の間に漂う静けさと物寂しさを際立たせる。

 頬を人差し指で掻いた陸奥守は物言いたげに加州を見つめていたが言葉までは返さなかった。そんな彼をちらりと見やった加州は日に日に緑の色彩を強めていく庭先に目を細める。

 桜の季節が過ぎた春。主の言った通りもうすぐ誰かが修行に出る。そして新しい月の訪れとともにまた一振りこの本丸を旅立っていく。

 いずれくる未来に加州はまだ己の姿を重ねることはできずにいた。どこへ行くのか、いつの時代へ降り立つのか、そのおぼろげな不安が知れず覚悟を鈍らせているのかもしれない。

 はやく修行に出たいくせに、加州の胸の内には深く根を張って引きはがすことのできない想いがあった。

 主の側を離れたくない。ずっとそばに居たい。でも強くなるには旅立たなければいけないってわかっている。でも頭と心はまだばらばらで気持ちの整理が追い付かない。

「あいつに偉そうなこと言ってたのに、俺もまだまだだよね」

 ぽつりとつぶやいた言葉は隣にいる陸奥守には聞こえない。自嘲の笑みをこぼし、ふっと目元に影を落とした加州だったが、きつく拳を握りしめると顎を上げて毅然と前を向いた。湧き上がったさまざまな想いを振り切るように加州は心もち声を張り上げる。

「俺はなんか最後の気がするんだけどね。ほら、真打は最後って決まってるし、かっこいいじゃない?」

「ほな、加州はそないな考えとるのか。わしゃいっとう最初がええのう。いまから愉しみでうずうずするぜよ」

 

 

 考え事をしながらぼんやりとややうつむき加減に歩いていた蜂須賀は廊下の途中で立ち止まり庭先を眺めている歌仙の姿を認めて顔を上げた。

 穏やかな顔で足元の草木を見つめていた彼もまた、蜂須賀の気配に気づいてゆっくりとこちらを振り向いた。

「やあ、どうしたんだい。少し表情が優れないようだけれど」

 柔らかな声が問いかける。どう答えていいのか、足を止めた蜂須賀が言葉に迷っていると、言わずとも何かを察した歌仙が先回りに言葉を述べた。

「やはり君も修行にいくことに戸惑う気持ちがあるみたいだね」

 蜂須賀は歌仙がわずかに強めた言葉に気付いて首をかしげた。

「君も、ということは他にも誰かがいるのかい」

「何を言っているんだ。あそこにいたみんながそうだろう。この僕も恥ずかしながら少し気持ちが揺れているくらいだ」

 胸に手を当ててはにかむ歌仙に意外な気持ちを抱く。

 他の者たちが何をしようと悠然と自分を崩さずに主の話にじっと耳を澄ませていた彼ですらそう思っていたのか。

「わざわざ隠すことでもないかな。未知のことに恐れを抱くのは人としての本能だ。僕らは顕現することによって人の身を与えられただろう。まだ見ぬ先を恐れることも、期待に胸を膨らませるのも僕らが人と変わらぬ思いを抱ける証拠ではないかな。刀から人の姿となった今、これが普通の事なんだろうね」

「歌仙にも恐れるのものはあるのかい」

 意外だった。この本丸で表だって彼に逆らおうとする気概のあるものはあまりいない。本丸でも早くから顕現して事情をよく知っているということもあるが、おそらく一番の原因は皆の胃袋を握っているというのが現状だろう。

 彼が居ない頃のこの本丸の食事事情はかなり悲惨な状況であったと、もっとも古くからいる刀たちは遠い眼で語っていたことを聞いたことがある。

 その彼ですら恐れるもの、それに蜂須賀は興味を覚えた。問い返されたことに驚いたのか、軽く目を見開いた歌仙だったがすぐ口元に手を当てて小さく笑う。

「そんなに神妙に聞かないでほしいね。僕の場合はおそらく幾人もいる元主の誰かのところへ行くことになるだろう。過去をこの目で見つめ返して僕が何を得るのか、それは楽しみでもあり、怖さを感じることもある。あの頃のことは決して楽しいばかりではないからね。哀しくもつらい別れもある」

 細川の刀として伝えられた歌仙には自分とはまた違う刃生を歩んでいた。刀として抱く問題もまた違うと知る。

 蜂須賀は胸元にそっと手を添える。

 自分が過去に向かうとしたらそれはどこなのだろう。弟やあの刀の修行の話を伝え聞いてずっと考えてきた。

 刀として主の下で存在してきた時代か、それとも、虎鉄として打たれたその時か。

「今から気にすることもないだろうね。僕らには自分の行く先はどうにもできない」

 静かに告げた歌仙の言葉は事実を告げているだけに容赦はなく。だがよく考えてみればその言葉は心の奥にすんなりと収まってしまう。

「でもいたずらに恐れることはないと思うよ。短刀や脇差のみんなは旅立って行ってそれぞれに何かを得て帰って来ただろう。決して悪いものを僕らに与えるわけではない、そう思えば気が楽になるのではないかな?」

「俺が得るもの?」

 そのようなものは果たしてあるのだろうか。真正の虎鉄の刀である誇り、それ以上のものが。

 歌仙は口元を横に広げ、意味ありげにほほ笑むと目を細めて蜂須賀を眺めた。

「そこまでは僕には言えないね。それは君自身がこれから見つけることだろう?」

 でも君ならきっと気付いていなかった大切な何かを掴んでこられるだろうね、そう言い残して歌仙は去って行った。

 残された蜂須賀はもう一度自分自身に問い直す。俺は虎鉄の刀だ。それゆえにこの本丸に顕現したと思っている。修行に旅立てと言うことはその想いだけでは不足だと言うのだろうか。

 自分に足りないものがよく見いだせない。だからこそ俺はこの本丸から旅立つ必要があるということなのだろうか。

 蜂須賀は軒下から覗く空を見上げる。霞みがかった春の青空はどこまでも遠い。

 

 

「修行へ行けることになってさ、陸奥守はずっと楽しそうだけど嫌だなって思うことはないわけ?」

 加州の問いかけに陸奥守は心底不思議そうに首をかしげた。本丸内へ戻った二人だったが長い廊下には珍しく誰の姿もない。出陣やら遠征やらで多くの刀が出払っているせいだろう。

 板を踏みしめる彼らの足音だけが静かな廊下に大きく響く。

「いやないぜよ。なぜそぎゃんこと聞くがじゃ?」

「・・・お前に聞いた俺が馬鹿だったわ。陸奥守はあんまり悩み事引きずらなさそうっていうか、そもそも悩みなんてあんの?」

「それはちいと失礼っちゅうもんじゃな。わしだって悩み事くらいあるぜよ。修行先で黒船にでおうたら乗れるか考えちょるし、龍馬にわしの正体がばれんようにする方法も必要ぎゃき。たくさんありすぎて頭の中は忙しすぎるぜよ」

「どう考えても幸せそうな悩みにしか聞こえないけどね。でもさ、俺たち元の主に使われたからこそ見出された刀じゃん。他の奴らみたいに名のある刀匠に打たれたわけでもないし、特別な銘があるわけでもない。だとしたら俺たち刀として所縁の深いところへ行かされる時代はきっと幕末しかないよね。しかも元主のところ」

 目元が翳り色を濃くした紅の双眸がじっと探るように陸奥守を見上げている。

「俺は沖田くん。陸奥守は・・・」

「龍馬のところっちゅうことか」

「たぶんねー。新撰組のみんなはだいたい元主のところへ行ったみたいだし、俺たちもそうじゃないの? そうするとさ、見ることになるよね」

 すっと加州の目の奥に影がさして濃さを増す。陸奥守もまた浮かべていた笑みをすべて消して真剣なまなざしでその言葉の続きを待つ。

 朱をさした艶のある唇が妖しくその言葉を紡ぐ。

「最後。俺たちが刀としての役目を終えるところ。その覚悟はできてるの?」

 感情を見せずただ見上げる加州のまなざしを、陸奥守は逸らすことなく受け止める。

 加州の言わんとしていることはわかった。刀としての最後。加州であればあの池田屋で主の手の内で切っ先を折ったあの時。自分は刀身が抜かれることなく敵の刃にかかる主を守れなかったあの時。忘れるはずもない、じゃが。

「覚悟なんぞその時にならんとできちょるかはわからん。じゃがそれは歴史の一つじゃろ。わしらがどうにかしようっちゅうのは今の主の志を裏切ることになる、それは駄目じゃ」

「わかってはいるんだね」

「あたりまえじゃ。それよりもわしはおんしのほうが心配ぜよ。池田屋へ出陣しちょる時はいつも新撰組の奴らと一緒じゃったろ。今度はおんしだけじゃ。ほんに大丈夫なんか?」

 陸奥守の言葉に加州の眼がわずかに見開かれる。彼の方が心配されるなど思ってもみなかったのだろう。軽く握りしめていたはずの手がだらりと力なく下がる。

 その様子にさすがに言った方も不安を覚えずにはいられない。

(ちいとばかしわしに対する口数が多いのが気になったんじゃが、やっぱりじゃな)

 不安を抱いている時の加州は黙るよりもむしろ他のことを気にかけて紛らわそうとする。自分のことはうまく隠してなかなかそれを見せようとはしない。加州の人当たりの良い笑顔で騙される奴らもいるが、浅からぬ因縁と付き合いの長い陸奥守にはそれは通用しなかった。

 くせで毛先が元気に四方に乱れる頭を苛立たしげに掻く。

(加州の事じゃから新撰組の奴らには不安の本音を言えんのじゃろうなあ。仲がええちゅうことは逆に心配させのうとするもんじゃからなあ。その気持ちはわからにゃあでもないが)

 自分に覚悟ができてるかと問いかけたその真意はまだ自分がその場に立つ覚悟を定めきれていないからではないだろうか。確か池田屋ではその主もまた血を吐いたはず。

 その光景を再び近くで目の当たりにする可能性は極めて高い。それを己だけで見届ける覚悟は並大抵のことでは難しい。

 それでもじゃ、と陸奥守はうつむいて言葉をなくした加州の肩を正面から強く掴みあげた。突然掴まれて彼は驚きの表情を浮かべて目の前の陸奥守を見上げる。

 陸奥守は腹の底から声を張り上げた。

「ええか、加州。おんしは強い刀じゃ。今の主もそれをようわかっちょる。おんしを誰よりも信じちょるのは誰じゃ。今の主じゃろ。だから修行へ行かせようとしちょるのじゃ。どがな過去じゃろうとこの本丸で戦って強うなったおんしじゃったら乗り越えられると信じちゅうから送り出すんじゃ。それを忘れてはいかんきに」

「主が・・・そっか、そうだよね」

 主というその言葉に加州の強張っていた表情が動く。

 陸奥守の激しい叫びと肩を掴む力の強さに、現実を見つめられずにいそうになった加州の眼の色が変わった。鮮やかな紅の瞳のある顔にいつもの可愛げが戻ってくる。

 まだ肩をつかむ力を緩めない陸奥守の手に加州はため息交じりにそっと添えた。

「いいかげんにやめてくんない。痛いんだけど」

「おお、すまんの」

 緩んだその手からするりと抜けて加州は少し後ろへ離れる。だがその顔は嫌がっているでもなく、ただおかしげに笑っていた。先ほどまでも悲壮感をにじませた堅い表情ではもうどこにもない。

「ありがとね、陸奥守。俺はもう平気だからさ」

 声音ももういつもの加州だ。

「おお、ほならよいが」

 そう言ったところでじっと加州がこちらを見上げているのに気付く。目をそらすこともせずただ黙って見つめられているだけなのにその視線は妙に緊張感を抱かせる。

「な、なんじゃ」

「俺はさ、陸奥守のそういう余裕なところがうらやましいっていうか、たまにむかつくんだけど」

 口先をむっと上げて不機嫌そうな顔をつくる。そのくせ眼はおかしそうにわらってはいたから本気で気を悪くしているわけではなさそうだ。

 下から徐々に迫ってくる加州を陸奥守はあわてて手を上げて遮る。

「わしがちいと口うるさいことゆうたから怒っちゅうかえ?」

「まあそれもちょっとあるかなー。でもそれよりも聞きたいことがあるんだけど。真面目な話、陸奥守は修行に行ったら何をしたい?」

「加州はなぜにほがなことを聞くんじゃ?」

「別に。単なる興味かな。陸奥守ってさ、俺と考え方結構違うじゃん。だから聞いてみたら面白そうだなって思ってさ」

 単なる興味と言われてさてなんと答えるか。腕組みをして天井を見上げた陸奥守は唸り声を上げて本気で考え込んだ。

「そうじゃな。わしはいっぺんこの人の身体で龍馬の隣に立ってみたいの。他には何もいらんきに」

「は? それだけ? もっとさ、別のことあるんじゃないの?」

 自分の予想とはまるっきり違う答えだったのか、加州は無欲すぎないと呆れたようにつぶやいた。だが陸奥守は自信満々で首を振る。

「わしはそばにおるだけでええんじゃ。同じ目線で龍馬と同じものを見ちょって、龍馬の描く夢をこの耳で聞ければそれでええんじゃきに。決まった未来を変えてはいかんのじゃろ。ほならわしは許される限り近くで龍馬が全力で駆けぬけた人生をもう一度確かめたいんじゃ」

 それはいけんのかのと尋ねると、加州は困ったように目を逸らしたが口元に手を当てるとくすりと小さく笑った。

「なんか聞いてたら陸奥守らしいっていうか。わかるな、それ。俺も旅先で幕末へ行くことができて元気な沖田君の側に行くことができたら、やっぱり嬉しいかな」

 あ、でも今は主が一番だからねと慌てたように付け足す。その様子も加州らしいと陸奥守も思う。

「もうすぐじゃな。わしらの番は。修行で強うなって主の下へ帰ってくるぜよ」

「それは俺もわかってるよ。お前には負けないからね。新選組の刀が維新刀のお前に負けたら様にならないでしょ」

 意地悪げに加州が不敵な笑みを向ける。それを受けた陸奥守も目を輝かせながら自信を込めて見つめ返した。

「それはこっちの台詞じゃ。おんしらには絶対に負けんきな」

 顔を突き合わせてにらみ合ったが、すぐさまどちらからか口から息を吹き出す音が漏れるとこらえきれなくなったのかお互いに声を上げて盛大に笑い出した。

 

 

2018年4月3日 初期刀極 実装発表

 

 旅立つ君たちへ、審神者からのあらんかぎりの祝福を込めて