ゆめうつつ

刀剣乱舞・文豪とアルケミスト関連の二次小説。主にコメディ中心。

留守組 ~山姥切・三日月~

 中庭に堂々とそびえたつ鳥居の内が淡い光を放ちながら歪んでゆく。

 準備が整うまでその場にじっと居並んでいた者たちへ一際背の高い者が何やら声をかけたらしい。何を言っているかは遠くてここまでは届かない。だがその顔が戦場へと向かうために高揚しているであろうことは見えずともわかっていた。

 先鋒を務める子供の姿をした短刀たちがまず鳥居の中へ飛び込んでゆく。

 ここではない過去の時代につながる門の中へ、一つ、また一つと姿が消えてゆく。長い黒髪を総髪に結った背の高い刀が傍らにごく自然に寄り添う相棒に顔を向ける。ごく自然に視線を絡ませた彼らは互いに静かに頷くと短刀たちの後を追って鳥居の中へと飛び込み、時空をゆがめた淡い光は消えた。

 鳥居より見えない位置にある本丸の母屋の屋根の上に立っていた山姥切国広は彼らの出立をじっと独り見送ると、音もなく重いため息をついて曇天を見上げた。

 空は黒く垂れ込めている。黒い雲は地上を暗く覆いつくし、空気は徐々に凍えるような冷気を帯びてゆく。

 腰に差した己の本体である刀の柄に手をかけ、知らず力を込める。

 この寒さでは今夜は雪になるかもしれない。年の瀬を前にして普段は温暖な相模国としては雪は早い方だろう。しかしこの本丸は実際の相模国とは空間の違う場所にあるというからこれが普通なのか。

 吐く息は白い。外気に晒した指先もいつもよりひどい寒さのせいで幾分動きが鈍くなっている。

 熱を得ようと指先を握りしめて手のひらの内側にこすりあわせる。足元をさらうように吹き抜けた寒風が身を包み込む布をさっと巻き上げた。

 隠された顔が一瞬裾の薄汚れた布の間から垣間見えた。

「このような場所で見送りか?」

 背後から不意に発せられたその声に顔を険しくしてゆっくりと振り向く。刀に触れる手とは反対の手で浮かび上がった布を掴んで押さえつける。

 言葉は発さずただ屋根の上を悠然とこちらに歩み寄る三日月宗近を目を細め凝視した。山姥切の他とは容易に慣れぬその性質を知っているはずの彼はただ穏やかな笑顔を浮かべたままその傍らに立つ。

 乾いた風が彼らの間を吹き抜ける。冷たく凍てつくその空気が見えぬ間に潜む断絶の裂け目を象徴する。

「何の用だ」

 厳しい声音のその問いに三日月はただ一瞥を投げただけで、流れるように眼下に広がる本丸の眺望に目を向けた。山姥切は最も美しいとされた本体の刀身にも負けぬその端麗な横顔を目深にかぶった布の下からじっと見つめている。

 そんな山姥切の視線を知っているにもかかわらず、しばし黙って冬空の下の眺望を眺めていた三日月は鷹揚と言葉を発した。

「なに、いつものようにただの散歩で通りかかっただけだ」

「散歩で屋根の上を歩くのか、あんたは」

 つねよりこの気まぐれな天下五剣に振り回されている山姥切はもう今更そんな戯言を真に受けることはない。

 とぼけたことを言ってどう考えてもあんたのは確信的だろう。なぜ冬空の寒い中、冷たい風が吹きすさぶ屋根の上を歩こうなんて思うんだ。

 胸の内にいくらでも言いたいことは湧き上がってきたが、口に出すことまではできなかった。いくら俺が言ったところで三日月相手ではうまい具合に丸め込まれてしまう。そして向こうの言い分を無理やり聞かされる羽目になるのは今までの経験上知っていた。

 千年を超える悠久の時を在りつづけた三条刀と口で渡り合える奴などこの本丸には数えるほどしかいない。他人と話すこともままならない自分には相手に勝る巧みな話術など高度な技術を要しているはずもなく、当然目の前にいる三日月に口で勝つことなどできないと分かりきっていた。

 それを三日月も知っているからこうやって誰もいない時に自分を巧みに誘って試してくる。その挑発に乗ってはいけないと分かっている、だが。

「こんな屋根の上の何もないところで俺のような写しといても面白くもないだろう。下の屋敷か庭木の植えられた庭園の方へでも行った方がいいんじゃないか?」

「つれぬな。わざわざお主に会いに来たと言ったならばどうする?」

 早暁の夜空にも似た瞳が双つ、ひたりと山姥切の顔に据えられた。濃紺から徐々に薄く明けてゆく空をうつしたその瞳の奥に浮かぶ金の三日月が鮮やかに目に飛び込んでくる。

 何を言っている。そう拒絶の言葉を告げたくてもなぜか喉から声が出ない。言葉は胸の内に引っかかって表に出るのを拒んでいる。

 何も言えずに俯く山姥切を上から見下ろしていた三日月はふっと口元を緩めると、再び視線を前方に向ける。

「昨年の暮れはお主も俺も共に部隊を率いてあの鳥居をくぐったな」

 三日月の見つめているのは先ほどまで山姥切が彼らを見送ったあの朱塗りの鳥居。つられるようにそちらの方を見下ろした。

 憶えているかと、懐かしげなまなざしで三日月は遠いようで早い一年前の思い出を述懐する。

「お主が第一部隊で、俺が第二部隊であったか。昼の戦だけであった俺たちの部隊とは違い、お主と短刀たちの子らの第一部隊は昼と夜とを交互に潜り抜ける各部隊の中でももっとも戦場数が多い戦陣であったはずだ。それでも隊長を務めていたお主は次に控える俺の前ではけっして疲れているところを見せてはくれなんだな。少しくらい俺の前で弱音くらい漏らしてもらってもかまわなかったのだが、それだけが少々残念だ」

「あたりまえだ。あんたの前で無様な姿をさらすわけにはいかないだろう」

 あの戦場で一番危険に身をさらしていたのは敵の懐へ飛び込む戦い方をする短刀たちだ。夜目の効く夜戦であろうとも、敵の一撃がまともに入ればあいつらは致命傷を免れない。

 短刀が敵陣を切り開くその先を見定めるのが隊長であった俺の役目。敵の布陣を見切り時には道を作るために敵の注意をこちらに引きつける。

 だから部隊の士気を鼓舞しなければならない隊長の俺が弱音を吐くなんてするはずもないだろう。

 憮然とした山姥切を三日月はちらりと横目に見る。そして何がおかしいのか口角を薄く笑みの形へと広げた。

「普段は油断すればすぐ卑屈になってしまうお主が、戦場でだけは刀派の傑作であるというその誇りを穢すのは許さぬと凛とするのだからな。初めて会った時よりそれだけは変わらぬなあ」

「わかった、三日月。あんた実は俺に喧嘩を売りに来ただけだろう」

 低く唸るように睨まれて、三日月は手を胸に広げてからからと朗らかに笑い越えを上げる。

「気を悪くしたなら謝る。俺は何事もつい口に出してしまう性分ゆえなあ」

「嘘をつけ。あんたが分かってて言っていることはこっちだってとっくに知っているんだからな。だからいい加減とぼけるのは・・・」

 なおも苦情を言おうとして口を開きかけた時、目の前にすっと一本の長いひとさし指が言葉を止めるように差し出された。

「戦場に行きたいのであろう、山姥切国広。俺は知っているぞ」

 三日月の突然の問いに思わず言いかけた言葉が呑み込まれ、一瞬だけ息が止まりかける。

「何を言っているんだ?」

 返す言葉はわずかに語尾が震える。胸の奥の鼓動がいやに大きく鳴り響いて耳に届く。

 すべてお見通しよ、と三日月は目の奥の月を妖しく輝かせながらこちらをひたりと見下ろしている。

「昨年まではいかなる時も第一部隊を率いて戦場を駆け抜けていたお主が、練度が達してからというもの戦場から引き離されこの本丸に詰めてばかりだろう。戦国の乱世に生まれた刀が一度その身に覚えた戦いの高揚を容易に忘れられるはずもない。そら、今もその胸の内では音に聞こえずとも戦に出たいと荒れ狂っておるのではないか?」

 口の前にかかげられた人差し指がそっと下へと滑り落ちて、とん、と軽く心の臓のある胸元を指し示す。触れられた瞬間、その場所が激しい熱を帯びる。

 ほんの少し触られただけなのに、どうして体の奥の奥まで熱くなるのか。

 封じていた。気付かないふりをして、何も感じていないと思いこませて。

 誰にも言ったこともない。その叶わぬ密やかな想いを三日月はいともたやすく暴き立ててきた。無条件に心を許せる兄弟たちにさえこれだけは言っていないのに。

 審神者の言葉を座して聞いた冬の始まりのあの日の事を思い出す。

 今年の最後を飾る連隊戦は修行より帰ってきた極の刀たちで行かせる。

 その主命は何となく予想はしていた。だからこそ感情を表に出すこともなく静かに受け入れられた。

 それゆえに審神者に告げられた時より心の奥に自分のわがままな願望は閉じ込めてきた。戦場へと向かう彼らを見送る時も、何も表に出さずにいられたはずだ。

 だが知らず知らずの内にひび割れた隙間からにじみ出てしまっていのだろうか。例えば戦場へと向かう彼らの背を見送った、布の陰で切なげに細めたその眼の奥に。

 望むことすらいけないと、自分でも忘れようと必死に努めたその想いをどうして三日月が気付けたのか。

 ごくりとつばを飲み込んで、山姥切は平静を取り戻そうと努める。かまをかけているのかもしれない。三日月は妙に勘がいい。証拠などなくただの勘だけならばまだ誤魔化せる。

「俺が本丸の留守を預かるのは審神者の命だからだ。戦場は極となったあいつらに任せればいい、俺の力など今更不要だろう」

 薄い笑みを顔に張り付かせ自嘲を込めて言う。そう、俺なんか必要としていない。この本丸にはもう数多の名剣名刀がいる。いまさら写しの俺などがでしゃばる必要などないはずだ。

 刀も増えて大きくなった本丸にはもう必要ないのではないか。写しなどこの刀身が朽ちたとしても、構わないと。

「本当に嘘の付けぬ刀だな、お主は」

 ぽつりとつぶやかれた言葉に、うつむきかけた顔を思わず上げてしまう。おそるおそる見上げた三日月はどこか哀しげな色合いのまなざしで静かにほほ笑んでいた。

「ならばなぜそのように切なげな顔をして己を偽る。他を騙すのであればお主はもっと自分を偽らねば騙せぬよ。そら、そのような眼をしていては本当は違うと言っているようなものではないか」

 三日月は俺に何を見ているんだ。自分の顔なんて見えるはずもない。そもそも鏡で己の姿をうつすことすら俺は厭っているというのに。鏡に映る自分の姿に、本科であるあいつの姿を見て写しであると思い知ってしまうから。

 だが今は無性に自分の顔が気になっていた。俺はいったい三日月にどんな表情をさらしているんだ。

 言葉も出せず目を見開く山姥切に諭すように三日月は言葉を続ける。

「主に物申してみればよいではないか、山姥切の。普段はねだるごとなどせぬお主の願いであればあの主は叶えてくれるやもしれぬぞ」

 だがその魅惑的な誘いも山姥切は頑なに首を振って拒む。

「そんな自分勝手なわがままなんか皆に迷惑をかけるだけだ。俺が黙って堪えていればそれで済むんだ」

「山姥切」

「それ以上言うな、三日月宗近!」

 誘惑をすべて遮るように叫ぶと、さすがの三日月も口を閉ざす。

 山姥切もまたこれ以上言うことはないと口を引き結び、きつく歯を食いしばった。余りにも強く噛み締めたためか、口の中にかすかに血の味がした。

  うるさい、うるさい。それは俺の勝手な願望だ。いらないととっくに切り捨てたものだ。それを今更あんたが拾ってどうしようと言うんだ。

 いつものようにからかって遊んでいるつもりならば受けて立つ。毅然と強い光を帯びた眼で三日月を睨みつけようと顔を上げた。

 だが見上げたその先にある顔を見て、驚きを隠せずに動きを止める。いつものように悠然とした態度を崩さないと思っていた三日月が呆然とこちらを見つめていたからだ。

「なんであんたがそんな顔をするんだ」

 失望とは違う、あまりに寂しげなその顔、まるでこちらが悪いことをしたようではないか。いつも自信ありげで、相手の裏の裏まで見通すあんたがなんでそんな目で俺を見るんだ。

「なに、少しな。なんというか」

 いつになく自信を無くしたような三日月に胸の奥が締め付けられる。

「俺に失望したと言う訳か」

「いやお主にそのような想いはかけらも抱いてはおらぬぞ。むしろ俺のここがぽっかりと虚ろになってしまったようでな」

 三日月は掌でそっと己の胸の上を抑えた。

「お主がそこまでかたくなに拒むのであれば、俺が望んでいたことは叶わぬなあと思ったまでよ。そこまで決心を固めているのであれば無理にとは言えまい」

「あんたの望み?」

 意味が分からずただ見上げていると、突然利き腕の方の腕を取られる。強く握りしめられているでもないのに、上手く掴まれて胸のあたりまで上げられた。

 上にかかげられた掌にもう一つ大きな掌が重ねられる。

「覚えているだろう。あの時、幾度となくこの手のひらを重ねあわせたではないか」

 包み込むように大きく、触れた時はひんやりとしていながらも触れているとほのかにその奥から内にたぎる熱が感じられた。

 知っている。幾度も、この感触を知ることになった。

 その手のひらから伝わるぬくもりに時間を引き戻される。

 どんなに敵味方の血で汚れていようともこの手は俺を待ち続けてくれた。敵のあふれる戦場を駆け抜けてきた俺と、動じず悠然と戦場へ向かうあんたがすれ違うその一瞬に鳴り響くその手の高鳴りを。

 幾度となく、重ねられたその音を、一瞬のうちに伝わるその熱を。

(忘れられるわけないじゃないか)

 重ねさせられたその手を見つめ、引き離すこともできるはずもなく苦しげに口元をゆがめる。

 三日月宗近というその刀が望むもの。俺のうぬぼれでなければ、たぶんそれは。

 しかし口についた言葉は少し違う。はっきりと言うにはまだ自分に自信がない。

「あんたが戦いたかったのか。あの時と、昨年の連隊戦と同じように隊を率いる刀として」

「それは少し違うな、国広。もうわかっているだろう。俺はこの戦いでは隊長であるお主と対等な存在として共に戦いたかっただけだ。お主が隊長でなければ意味はない」

 やはり気付かれている。どうしてあんたは俺の心の内を見抜ける。

 だが暴かれれば暴かれるほど、自分の中の卑小な想いが膨れ上がってゆく。

「それは別に俺が隊長じゃなくてもいいはずだろう。それにあんたはもう俺なんかと比べられないくらい遥かに強い」

 あんたというその存在が後ろに控えていると分かっているから、俺はあの時後を気にすることもなく存分に戦うことができた。己の刃を研ぎ澄ませるそのぎりぎりの瞬間まで気を高ぶらせて、傷つくこともためらわず敵に切り込んだ。

 どんな状況に陥ろうともその手さえ重ねれば必ず残した敵の討伐をやり遂げてくれると分かっていた。

 戦場での圧倒的な安心感は三日月宗近というその存在にあり、俺なんか足元に及びもつかない。だから、この手を重ねるのは俺なんかじゃなくてもいいとだんだん思うようになっていた。

 写しの俺があんたのような名刀と対等に立てるなんてありえないだろう。

 触れあっているのが気恥ずかしくなって離そうと後ろに引きかけた時、手首を強く握りしめられ引き留められた。その力は強く、逃がさぬとばかりに捉えられる。

「そうではないと言っておるだろう。国広。まだわからぬか」

 穏やかな口調の三日月が珍しく声を荒げる。

 わかっている。わかっているから気付かないふりをする。

 空から舞い落ちてきた白い破片が頬を冷たく撫でた。頬を走るその冷たさに、高ぶった心が冷えて落ち着いてゆく。

 惑わされたのはほんのわずかな心の迷いのせい。叶わない願望。そう、口にしなければなにも終わることもない。

 一片、また一片と鈍い灰銀色の空より零れ落ちてゆく。この本丸もやがては白銀の世界へと包み込まれることになるだろう。この世の憂いもすべて覆い隠してしまうかのように。

「下された主命に異議を申し立てるつもりはない。俺はこの連隊戦の間は本丸の留守を預かるだけだ」

 とうに決めた意志を変えるつもりはない。たとえ三日月が訴えようとも心を曲げる気はなかった。

 三日月の眼が哀しげに細められてその色が暗く沈んだ。

「ほんに強情だな、お主は」

 残念さをにじませながら力なく微笑む三日月に、胸の奥がわずかに軋む。

 俺は、と口に仕掛けてあわてて唇を引き結んだ。

 掴まれた腕から力が消えた。熱を失った腕は降りゆく雪に体温を奪われ瞬く間に冷たくなってゆく。

 手のひらから消えていったその名残に、言葉は出さずとも心の内でいつかは今一度と願っていた。この想いは誰にも言えない。言うことはない。

 空から落ちて溶けてゆく雪のかけらのように、誰にも知られず消えてしまえばいい。