ゆめうつつ

刀剣乱舞・文豪とアルケミスト関連の二次小説。主にコメディ中心。

側仕え ~巴形薙刀~

「なんだ、こいつは」

 一目見るなりこちらへの敵意を全く隠さないその者は大股で近づくと、手をかけて乱暴に俺と主を引き離そうとした。

「なにをする。俺は主の傍に使えるのが役目だ。下がれ」

「それは俺の役目だ。貴様こそ離れろ」

 邪魔だなと手にしていた薙刀を構えようとしたが、その動きを察知した主にそれはだめですと目で訴えられる。きつく柄を握りしめると、しぶしぶとその手を下ろした。

 涼やかな黒目を自分と長谷部に向けた主の凛とした声が響く。

「どうか仲良くしてください、お二方とも。私からのお願いです」

 主の言葉に強引に引き離そうとしていた手の動きが止まり離れた。軽く舌打ちすると、忌々しげにこちらを睨みつけてくる。

 なんとか離れたのを確認してから主はなぜかそいつに笑顔を向けて語りかけた。

「長谷部、この方は新しい私たちの仲間です。巴形薙刀、先ほど初めて鍛刀に成功したのですよ」

 まなじりを下げてうれしさを隠せない様子で主は自分を長谷部と呼ばれた不機嫌な男に紹介する。いや、人間ではないな。その身に抑えきれぬほど鋭利な霊力を感じた。どうやら自分と同じ気配がする。

「それはおめでとうございます、主」

 にこやかな表情を作って長谷部が主に一礼する。だがこちらへ一瞥を向けた時に投げつけられた敵意は少しも緩むことはない。

 なぜだろう。どうもこの者は気に入らない。

 自分と主の後ろからついてきた活発そうな少年とどこか陰のある青年がひそひそと言葉を交わしている。

 数歩離れたところから彼らはやっぱりなという目で成り行きを見守っていた。

「だからこうなると思ったんだよ。長谷部からしたら自分の居場所に割り込んでくる奴なんて初めてだからな。あーあ、あんなにすげえ目で睨んでるぜ。ここは戦場じゃねえんだからさあ」

 両手を頭の後ろで組んで小柄な少年の方が肩をすくめた。もう一人の頭から布をかぶった細身の青年がどこか暗い表情でうんざりと言葉を返す。

「加州や小狐丸なんかも主の傍にいたがるが、あいつみたいにはっきりと自分は主の傍に仕える存在という奴はいなかったからな。最初に長谷部と出会った時、俺が主の側に使える近侍だと知った瞬間と同じだな、あの眼は」

 自分の後ろで一歩引きながら傍観して言葉をかわしている彼ら。

 少年の方が厚藤四郎、青年が山姥切国広と名乗ったか。二振りともこの本丸ができた時より顕現していた刀だと聞いたが、古くから主の側にいるゆえにそれだけ絆が深いということだ。現に目の前の主も彼らには特に信頼を置いているらしい。

 時折彼らに向けていた主の信を込めたまなざしはゆるぎなく、無意識の内に彼らに対して安心しきっているのは見て取れた。

 果たして自分はあのような眼を主に向けてもらえるのか。いや、向けさせて見せよう。心のうちに在る忠誠心だけは誰にも負けぬ。

 厚が自分の黒髪をがしがしと掻きながら困った顔でつぶやく。

「主は喜んでるんだけどな。新しい奴をめずらしく鍛刀で迎え入れられたから。ただ今までけなげに主の傍で仕えてた長谷部の気持ちを考えるとちょっとなあ」

 心配する厚の言葉を受けて、山姥切がうんざりとした様子で肩を落した。

「俺たちまであいつらの争いに巻き込まないでくれればいいが」

「ま、大将が仲良くしろって言ったから、目の前で大げんかはできねえだろうし大丈夫じゃね?」

 その根拠のない自信はどこから来ると言いたげに睨みつける山姥切の視線をどこ吹く風といった感じで厚は受け流した。

 依然にらみ合う二振りに挟まれている主は、巴形と長谷部とを交互に見つめて再度なだめようとにっこりとほほ笑んだ。

「仲良く、お願いしますね」

 ことさらに仲良くを強調して主は自分たちに言い含めた。柔らかなもの言いながら、その言葉は審神者であるがゆえに強い言霊が込められ無意識に言の呪を発動する。

 主に心から言われれば争うことは許されない。

 だが、と巴形は目の前の長谷部を冷ややかに見つめる。主のために表向きは事を荒立てぬようにしよう。だが己の心を曲げてこいつに主の側を譲るつもりは毛頭ない。

 自分はただ主の傍にあるために生れ出た存在だ。

 己を睨みつけてくるそのまなざしもまた決して緩むことはなかったが。

 

 

  主の仕事とやらは尽きぬようだ。机の上に貯められた書類を一枚一枚丁寧に眺めて必要があれば印を押す。手伝おうと申し出たいがまだ人の形にも慣れぬ身の上なので、今は後ろに控えて眺めながら学ぶしかない。

 主の坐る机の左右には長谷部と山姥切の二振りが難しい顔をして無言で紙に書き付けをしている。誰も口を開かずただ黙々と作業を続けていた。

 重い沈黙の垂れ込める審神者の部屋に誰かが音もなく入り口の襖を滑らせて入ってきた。

「入るよ、主。少し休憩をしたらどうだい」

 盆を片手に部屋に入ってきたのはまた見知らぬ者。面識のない巴形に目を向けると彼はしばしこちらを見つめていたが不意に目元をふっと和らげた。

「久々の新しい仲間とは喜ばしいね。苦手な鍛刀が成功するとはよかったじゃないか。今回は頑張ると気合を入れていたからね。せっかくの祝い事だ、今日は夕餉にささやかで申し訳ないが祝いの品を用意するとしよう」

「ありがとうございます、歌仙」

「主が喜んでくれれば僕も腕の振るいがいがあるよ。もちろん新入りの君もね」

 華やかな着物にふさわしい優雅な所作で皆に茶の入った湯呑を配った彼はこちらを見て優しげな笑顔を浮かべた。

 歌仙兼定と名乗った彼は楽しげな顔で何やら思案を始める。

「主が政府から通達された鍛刀で初めて成功したからね。献立は何にしようか。夏だから涼しげな方がいいけれども祝い事でもあるから華やかなものがいいかな」

 歌仙とやらはこちらにも食べたいものはないかと希望を聞いてきたが、顕現したてで人の世界はよくわからぬゆえ詳しい者に任せると告げるにとどめた。

 主との絆を結ぶ儀を終え、巴形は審神者の仕事をするというこの部屋で何振りかの自分と同じ刀剣より顕現した者たちに囲まれていた。

 刀より生まれし付喪神、刀剣男士と呼ばれる彼らと自分は同じという。だが彼らには刀としてあったときの記憶と前の主に使われたという事実がある。しかし自分にはそれはない。

 巴形はにこにことした笑顔を絶やさずにまっすぐ見つめてくる主を正面から見つめた。

 自分の主はこの少年が初めてであった。この世にあまたある巴形薙刀の集合体でありながら、それを語る物語もなく、ただ真っ白な状態でこの本丸に生まれたのだ。

 そのまま自分を囲んで座る刀剣男士たちを平静なまなざしで見渡す。刀の形が違えばこうも違うのかというほど、居並ぶ彼らの姿は異なっていた。

 先ほどから険しいまなざしをやめない長谷部が隣で無表情に書類をめくる山姥切に声をかけた。

「山姥切、貴様はあいつのことが気にならないのか」

「巴形薙刀はいつも主の傍についてくれるといっている。いくら言ってもじっとしてくれない主がふらふらとどこかへ出歩くのを見張ってくれる奴が増えるのは正直助かる。俺一人ではもう手に余るからな」

「貴様はそれでいいというのか」

 長谷部の厳しい声音に、山姥切はちらりと視線を投げるとあきらめきったかのようなため息を重苦しく吐き出した。

「だから俺はあんたとは違うと何度言えばわかるんだ。それに今は出陣続きでその編成と政府への報告書作成で忙しいからな。主を見張ってばかりもいられない、長谷部もそうだろう」

 痛いところを突かれたのか長谷部がぐっと言葉を詰まらせる。

「そういえば博多がまた小判の件で話をしたいと言っていたよ。鍛刀で資材も減ってしまったし、そのあたりを調整しなくてはならないんじゃないかな?」

 歌仙にも言われて長谷部は口を引き結んで両手を正座した膝についたまま身体を震わせた。

 「長谷部には任せてある仕事がたくさんありますから。ですからこれ以上無理はしないで他の者たちにも仕事を任せるようにしてくださいね」

 主にそう言われてはそれ以上わがままは言えないだろう。きつくこちらを睨みつけると絞り出すような声で主の命を受ける。

「わかりました、主」

「ではそのように・・・あ」 

 茶を飲もうと主が湯呑に手を伸ばした時、指先が湯呑に触れたはずみで倒れかけた。それをすばやく巴形がこぼれる前にとどめた。

「ありがとうございます」

 自分への笑顔を浮かべてのべられた主の感謝の言葉に心が温かくなる。だが同時に冷ややかな視線を感じて巴形はそちらに目を向けた。

 何を言うでもなくぎりぎりと歯を噛み締めて手にした筆をきつく握りしめている。そこまで睨まれることだろうか。主の側仕えとして当然のことをしたまでだ。

 主が茶菓子が欲しいと思えばその手元に器を差し伸べる。主が席を立とうとすれば先に立って襖を開ける。当然のことだろうにこの男はそのすべてにいちいち目くじらを立てる。

  わずらわしいとは思うがかといって何をする気もない。

 長谷部もまた主の手前で怒るわけにもいかず、ただ眉間のしわにその怒りがたまっていくばかりだった。

 

 

 しびれを切らしてやって来た博多に引っ張られて長谷部が仕事部屋から出て行った後に、巴形には別の用件を頼んで席を外してもらうと、主が部屋に残っていた山姥切にそっと声をかけた。

「どうすればいいでしょう、切国」

「俺になにをしろっていうんだ、あんたは」

「長谷部と巴さんがどうやったら仲良くしてくれるか。あの二方の間を切国が仲立ちできませんか」

 書類をめくる手が止まった。険を帯びた目を光らせて、山姥切が本気で嫌そうな顔を主に向ける。

「この本丸で過ごした二年半、主であるあんたは俺の何を見てきたんだ。まともに他人と親しくできない俺がそんな器用なことをできないのはあんただって知っているはずだろう」

「いえ、仕事だからとはいえ、いつも一緒にいるじゃないですか。それになんだかんだ言ってもここで長谷部と一番仲がいいのは切国ですし」

「待て、どうしてそんな考えになるんだ。長谷部と一番仲たがいをしているのは俺だぞ。いつもなにかと小言を言われているからな。そんな俺が言ってもあいつが聞いてくれるわけはないだろうが」

 勝手な主の言い分に怒ってしまった山姥切は俺では仲立ちはできないと言い放つと、再び書面に目を戻してしまった。だがふと真顔になると、何か思い出したのか机の上に乱雑に積まれた紙の束からなにやら探し始めた。

「そういえば先日届いた政府からの会報に・・・これか。まだ信憑性が確認されていないようだから確定事項が出るまで言うのを保留にしておいたが、こんな報告が政府にあがっているみたいだぞ」

 そう言って山姥切が手渡した一枚を両手で受け取った主がじっと中身を覗き込む。

「これは回想の報告? 長谷部と巴さんですか?」

「まだ報告事例が少なくて政府も確認中らしい。だが長谷部もしばらく本丸に詰めているから溜まっているものもあるだろう。戦場で共に戦えば分かり合えることもあるんじゃないのか?」

「切国らしい提案といえばそうですが、果たしてうまくいくでしょうか」

 身内で言葉よりもこぶしで語り合うこともある堀川派の彼からすればそうだろう。ただそれが他の刀派にも通用するのだろうか。

 多少の不安を覚えるのか主の顔がわずかに曇った。

 

 

  主が自分に命令する。出陣してほしいと。

 側仕えの自分が出なければならないほど、この本丸は敵に追い詰められているのかと問うと主は顔をほころばせて遠慮するように笑いながら違うと言った。

 戦場に出て強くなってほしいと。そう言えば自分はまだ戦場という場所に立っていなかったな。

 そうか、戦って強くならねば主の役には立てないのだと思い至った。いざという時に敵に勝てなくては主を守れない。ならばとその命令を粛々と受けた。

 だが主が同じ部隊となる刀の名を告げた時、ふと気にかかる名がそこにはあった。

 あの者も出陣するのか。だが今の俺には主の命令だけが大事だ。

 歴史を改変しようとする敵をすべてなぎ倒し、本丸へと帰還すること。再び主のお側へ戻る。それだけがこのたびの出陣での己の役割。

 何を言われようとも俺は己のただひとつの居場所を譲るつもりはない。

 

 

 「どうするんだよ、山姥切。長谷部たち出陣前よりも険悪になっちまったじゃねえか」

 厚に責める口調で言われて山姥切はおかしいなと首を傾げた。

「なぜだろうな。戦場で戦うことで敵同士だった仲でも友情は芽生えるんだと兄弟が言っていたはずだが。それともこぶしで直接なぐり合って語り合うほうがよかったか」

「その堀川派でしか通じねえ力任せの論理はあいつらにはやめといたほうがいいぜ。この一触即発状態で手合せなんかさせたら、今度こそ本丸がぶっ壊されるからな」

 出陣から帰ってきた巴形と長谷部は出かける前よりもさらに険悪な雰囲気をまとわせて帰ってきた。同じ部隊で出陣した者たちは彼らから一歩下がってあいまいな笑顔を浮かべている。戦場でどんな様子であったかは同行した面々の様子から見れば明らかだった。

 出迎えた主は長谷部と巴形を困った笑顔を浮かべたまま硬直して立ち尽くしている。

 当の者たちは主の側を譲れ、譲らんと言い合うばかりで話にならない。

  山姥切の提案はどうやら望んでいたのとは逆の結果になってしまったようだ。部隊の者たちは各々手入れ部屋や休憩に入ってもらって、長谷部と巴形だけその場に残った。

「あの、長谷部も巴さんも落ち着いてください」

 険悪さだけが漂うばかりの状況に主がついに止めに入った。

「では主に決めていただこう。主よ、あなたの側に使えるのにふさわしいのはこの長谷部ですよね」

 胸に手を当てたまま膝をついて背の低い主と目線を合わせた。真摯な眼が焔のごとく主を見つめている。

「いや、主の傍にいるべきはこの俺だ。巴形薙刀、ただ一人の主であるあなたの側に誠心誠意お仕え致す」

 姿勢を低くして巴形もまた深くこうべを垂れた。その様子を横目で見た長谷部が舌打ちする。

「貴様、わざとらしいぞ」

「その言葉そっくりそのまま返そう。それにあなたにはかつての主がいただろう。俺にはこの主しかいないのだ。だから譲れと言っている」

 にらみ合って互いに譲らない彼らをどうしてよいかわからない主はおろおろするしかなかった。どちらかを取ればもう片方が傷つく。この本丸に集うすべての刀剣男士たちに仲良くしてほしい主からすれば、この選択を突きつけるのは酷すぎる。

 この争いの原因の一端となったことに責任を感じたのか、山姥切が軽く舌打ちをして彼らの争いに割り込んだ。

「それ以上はやめておけ。どちらを選ぶか追い詰めて困るのは主だ」

「そうそう、うちの大将は俺たちから誰かを特別に選ぶなんて無理だぜ? そういうの前からできないって言ってるもんな」

 厚も軽妙に言葉を添える。だが長谷部たちは押し黙っただけでにらみ合ったままだ。引き下がる気はないらしい。困りきった主の前でじっと静止して自分たちの望むべき答えを待っている。

 いくら見られても主はうろたえるばかりで答えられるはずもない。

「あ、あの、その・・・」

 怯えて震えた声が主の口からこぼれたその時だった。

「先ほどから主の部屋で怒鳴りあいの声が聞こえていると思えば、みなで集まって何をもめているんだい。穏やかじゃないね」

 腕を組んで言い知れぬ雰囲気をまとった歌仙が笑顔を浮かべてこちらを見ている。優しげな風貌とは裏腹に細められた目の奥には剣呑な光が灯っていた。

「ほら、これ以上追い詰めると主が泣いてしまいそうだよ。いくら言いたいことがあったとしても、こんな風に僕らの主を困らせるような所業は見過ごせられないね」

 彼のいつにない怒気を含んだ鋭利な視線に、さすがの長谷部もまた彼のことをよく知らない巴形もただならぬ状況だと察知して動かなかった。

「へし切長谷部、巴形薙刀、そこへ正座しなさい」

 歌仙の圧倒的な威圧感に満ち溢れた言葉に押されて彼らは直ちにその場へ正座する。後ろで様子をうかがっていた山姥切と厚も自分たちの事ではないのにその圧力に屈してつられて長谷部たちの後ろに正座する。

 優雅に畳の上を滑るように主の前へ進んだ歌仙は仁王立ちになって、先ほどまでいがみ合っていた二振りを一瞥した。涙目になっていた主の手を優しくとり、自分の背後へとかばうように隠す。

「どのような事情であろうと審神者である主を追い詰めるのは僕たち刀剣男士として許されるべきことではないよ」

 その冷たい視線に反論できるはずもなく、頭を下げて神妙に聞いている。

「やっぱ俺らの中では歌仙が一番こえーよな」

 こちらは悪いことはしてないのになぜか正座する羽目になった厚が隣の山姥切にこっそり声をかけた。顔色が幾分悪いのか山姥切は顔を少しひきつらせて低くたしなめるようにつぶやいた。

「余計なことを言うな、厚。あいつに余計なことを聞かれでもしたらこっちに矛先が向く」

「ん? 厚に山姥切、何か言ったかい?」

 突然歌仙が彼らの会話を聞きつけたのかくるりとこちらを振り向いたので、彼らは思いっきり首を横に振った。

 普段、主のことに関しては温厚な歌仙であったが、一度何か問題が起きるとここにいる誰よりも恐ろしさを増す。それはいつも本丸の皆から仕事に対して厳しいと恐れられている長谷部ですらその例外ではない。

 皆を睥睨するかのように立ち尽くす歌仙。近頃は出陣から離れて好きなことに打ち込めるようになり、戦いから離れて前よりも幾分日々の性質が穏やかになったからといって忘れてはいけなかった。

 戦国の気風がまだ衰えぬ昔の頃、数多の家臣を手打ちにした先の主のその愛刀であるということを。手打ちとした家臣の数になぞらえて三十六歌仙より名づけられたというその謂れを。

 戦場で敵を睨みつけるのと寸分変わらぬ、いや、それよりも怒りが勝っているのか瞳の色がわずかに濃く煌々と光っていた。

「相手のことをどんなに大事にしたいと願い、愛しいと思っていても、その気持ちが強すぎては相手にとっては苦しみでしかなくなるんだよ。君たちの行為はまさにそれだ。君たちは主の心を壊してもいいとでも言うのかい?」

 歌仙は刀に手をかけてもいない。だがその容赦のない言葉と怜悧な眼が目の前にいる彼らの喉元にひたりと見えない刃を突きつけているかのようだった。

審神者である主に絶対の忠誠を誓うという君たちの姿勢には敬意を表するよ。だが君たちの強すぎる想いは一方的過ぎてこのままでは毒にしかならない。僕はそんな現実をかつて見てきたんだ」

 わかるかいとつぶやいて歌仙は微笑んだ。だがその瞳の奥にはまだ怒りの焔が燃え盛ったままだ。

 歌仙の着物にしがみついて事の成り行きを見守っていた主の頭に掌が優しくのせられた。主が見上げると歌仙はまだ彼らを見つめたままだ。

「さて、彼らをこのままの状態で一緒に仕えさせては主の方が無駄に気をつかい過ぎて精神がまいってしまうね、どうしようか。山姥切、何かいい案はないかい?」

 突然話を振られて明らかに狼狽した顔で彼は硬直した。

「どうして俺が」

「僕はただ意見を聞いているだけだよ。・・・それともこじらせた一因を作った君が逃げるつもりじゃないだろうね」

「う・・・、だが何かといわれても。一緒にしては危ないならどちらもしばらく主から離れてもらうしかないだろう」

「山姥切、貴様!」

「喧嘩は駄目ですよ、長谷部」

 牙をむいて激昂しかけた長谷部だったが、主に名前を呼ばれて制止させられると立ち上がりかけた腰をしぶしぶ下ろした。

 主の命令は長谷部にとって絶対だ。膝の上でぎりぎりと爪を立てた拳が強く握りしめられて長谷部は必死に怒りをこらえている。

 少しだけ考え込んだ歌仙はふるふると小さく首を横に振った。

「それだと一時的解決にしかならないよ。長谷部と巴形の仲が険悪なままでは君たちの間で不満が爆発するかわからないからね。だからといって側仕えとして君たちほど適任なものはいないのは事実だし。しかたない、顔を合わせないように交代制にするしかないだろうね。まずは一日交代制にしてみようか」

「なんだと。それでは俺は主の側に一日中居られないということか」

「不満かい、長谷部。でもね、その眉間のしわをあと数本消してくれないと巴形と一緒に主の側には置けないよ。ずっとそばに控えていなくていいというだけで、主に接近禁止にはしないし、用事があれば主に話をしに行ってもいいのだから。ただし喧嘩をしたらその場でどちらも即、主に数日間は接近禁止にしてもらうけどね」

 主の側に使えるのが至上の幸福とのたまう長谷部からすれば、数日間も側に近づけないというのは拷問に等しい。しかし歌仙はなにやら考え込むそぶりであごに手を当てた。

「でもそれだけでは君たちには生ぬるいかもしれないね。喧嘩したらもう少し罰を追加しようか。そうだね、廊下で反省するまで手をつないで座ってもらうとか、お互いに相手の良いところを百個誉めあうとか。他のみんなにもいい反省方法がないか意見を聞いてみてもいいかもしれないね」

 さらっとそんなことを言われて長谷部の顔がさらにひきつる。

「あーあ、本気で嫌そうだな。長谷部は」

「当然だろう。俺でも嫌だ」

 厚が大変だなあと言いたげな顔でつぶやくと、山姥切も心底嫌そうに低く呻いた。

 巴形はまっすぐ歌仙というその刀を見つめた。彼もまた巴形の視線を受けて表情から笑みを消してその心の奥を見透かそうと静かに見つめ返してくる。刀の本質に潜む願望を、その想いを。

 歌仙は首を少し右に傾けると少し視線を緩めた。

「君は長谷部と違って怒らないのかい。いや、まだ感情が育っていないだけかもしれないね。今生に生まれ落ちたばかりの一振り、未だ主しか認識していない真っ新な刀、巴形薙刀。忠義を向けるのはただここにいる主の為だけにということだね」

 歌仙の口元の端がふっとわずかにつり上がった。

「聞いたよ、君がこの長谷部に言った言葉を。僕らにはかつて仕えた主がいるだろうと、だから今の主しかいない自分に譲れと。確かにここにいる僕らの多くは幾人もの主の手を渡ってきた刀だ。その過去こそが僕らをこの本丸に顕現させた理由でもあるからね。でも今は君と同じく僕らの主はここにいる小さな少年の審神者だけなんだよ。それはこの本丸にいるどの刀も同じだ。主なくして僕らはこの身を保てない。主の力によって僕らはこの本丸に刀剣男士として存在できる。その主を君だけのものにするというのは無理な話だね」

「できないのか」

「そもそも己の意志で勝手に主を自分のものにできるなど考えてはいけないよ。決めるのはすべて審神者である主。そして僕らの主はすべての刀を平等に扱おうと心に決めている。だから、主を君だけを特別にはできないよ。もちろん僕たちの誰もね」

「ではあの長谷部という刀はなんなのだ」

 巴形は最初から抱いていた疑問を口にする。主の側に常に張り付くようにいるあの刀はなんだというのか。

 細い眉を少し下げて歌仙は軽く肩をすくめた。

「彼は自分からそばにいたいと望んで主の側にいるんだよ。主がいいと言ってもきかなくてね。主に対する忠誠心はこの本丸の誰にも負けないよ。おそらくその刀の命ですらためらいなく主に捧げるくらいにね」

「俺も忠誠心では誰にも負けない」

 間髪入れず巴形も言い放つ。張り合う気持ちがどこかにあったのか、胸の奥の焦る気持ちになぜか少し戸惑いを覚えた。

「わかっているよ、君のその眼を見れば。でも他の刀が自分の想いよりも劣ると思ったら大間違いだ」

 歌仙の右足が半歩前に突き出す。タンと踏みしめられた畳の音に周囲の気が引き締まった。巴形は細い目を少し見開いて雅を体現するその刀を見上げた。

「誰かを想う気持ちに優劣などない。まず君は人の身を得た以上心の機微を学んだ方がいいみたいだね。相手を好きになることは他者との勝ち負けじゃないんだよ」

 巴形は首を傾げた。主を想うだけでは駄目なのだろうか。

「それは必要なことなのか?」

「主の気持ちをわかるようになるにはまず人の心を知らないと駄目だろう?」

 

 

 かつてあまたもの俺は数えきれぬほどの人間の手に握られてきた。

 顔など覚えてはおらぬ。その手の温かさすらももう忘れている。だが人の手によって振るわれ、戦ったのは事実だろう。

 刀として存在してきた俺に心を理解しろと。あの雅を求める刀は何を言っているのか。

 主のために戦うのであれば必要はないだろう。

 だが、と思う。

 何も言わずに俺を見つめる主のあのまなざしを思えばこそ、その心の内を知りたいと願う。

 そばにいればいい、主のために戦うだけの刀であればいいと。しかし主と共にあればあるほどそれだけで満足しない自分に気付く。

 何を欲しているのだ、俺は。

 主の側にいるだけでは満足できなくなっているのか。

 人の心とは知れば知るほど己で捕えられずにさらにわからなくなる。難しいものだ。だが悪くはない。

 

 

薙刀 巴形薙刀 二〇一七年七月四日 顕現