主と刀と ~山姥切国広~
日当たりのよい縁側の廊下をゆっくりと目的の場所に向けて歩いていた。いつもは誰かとすれ違う廊下だが、今日は不思議と誰とも会わない。
冬の季節とはいえ、風がなく日が当たれば昼間は外に座っていても程よく体が温まる天気だ。こんな日はきっと一日を過ごす部屋の中ではなく、この廊下にでも出ているだろう。
予想した通り、自身の部屋の前でその人は廊下の上に座布団を敷いて座っていた。
ぽかぽかと暖かな陽光を浴びて穏やかな表情を浮かべて幸せそうに庭を眺めている。自分を見つめている気配を感じたのか、主は微笑んでこちらを向いた。
「ああ、切国。おかえりなさい。帰っていたんだね」
主から少し離れた場所に膝をつく。片膝を立てたまま、山姥切は目の前にたたずむ主を見つめた。
この本丸の審神者となった少年は大人びた顔だちをしているものの、まだどこか幼さを残す。年は人間の年齢で14,5くらいらしいとは言っていた。だが子供の雰囲気を残す年頃にしては、人よりもはるかに時代を存在した刀たちですらはっとするような威厳のある老成した言葉を時折紡ぐ。
他の本丸にも同じ事例があるかどうかはわからない。だが自分たちの主にはここに来る前の記憶がほとんどなかった。
名前も出自もよく思い出せず、ただ審神者として必要な霊力を有しているということで様々な事情を乗り越えてこの本丸に送られた。
人は自分がだれかわからなければ多少なりとも混乱するはずだろう。だがこの主は己が誰かもわからなかったことで慌てたりおびえたりしたことは山姥切の知る限りない。記憶がないという事実をただ淡々と受け入れ、この本丸の刀たちを統括する主として自然とおさまっている。
「・・・切国、どうしたの?」
いつの間に近づいたのか、至近距離で主に覗き込まれて顔を見られているのに気付き、思わず後ろに避けた。普段は布の下に隠してある顔もしっかり見られた。
動揺を隠そうと布を目元に引き下ろして突き放すかのように返事をする。
「いや、何も」
「そう? ならいいけど。そうだ、また新しいお菓子を取り寄せたんだ。これで君とお茶を飲みながら話したいと思ってね」
傍らから木をくりぬいた大きな審神者専用の菓子入れを取り出す。大きな木鉢の形の器にこぼれおちそうなほど山盛りに菓子が盛られている。
いつみても一向に数の減る気配のない菓子入れの山を見ながら、山姥切は呆れ気味にこぼした。
「またこんなに買ったのか。燭台切や歌仙に菓子よりもちゃんと飯を食べろと怒られているだろう」
「あはは、毎日言われてるよ。でも大丈夫。これは君たち刀とお話しするときに出すものだから私が全部食べるわけじゃない」
特別な用事以外、本丸から離れることができない主はネットというものを使って様々な情報と商品を仕入れている。特に菓子は新商品が出ると真っ先に買うという気合の入れようだ。
木鉢に入れられた菓子の山から主は手に取って山姥切に見せようとする。
「これなんか珍しいものなんだよね。地域限定のお菓子。あとこっちは昨日発売された期間限定物で・・・」
「主、先に報告をしたいんだが」
山姥切はさらに続きそうな主の楽しげな声を遮った。主は菓子を手に持ったまま少し困ったように首をかしげた。
「ああ、そうだったね。仕事の方を先にしないと、君は忙しいから」
菓子を鉢にもどすと、主は姿勢を正してこちらの方を向き、座布団に綺麗に座りなおした。面を上げて審神者としての顔になった時の主からは、いつも残っている頼りげない幼ささえもどこかへ消えてしまう。
「秘宝の里の報告を、切国」
審神者としての主の視線はどこまでも穏やかだ。険しさなどかけらも見当たらない。だが静かなその眼はなぜか真正面からとらえることができなくて、山姥切は布で目線を遮りながら手元の報告書に目をやった。
「昨日、午後二時をもって秘宝の里への道は閉ざされた。この本丸における結果は・・・」
淡々と告げる山姥切の報告を主は黙って聞いていた。話を聞いているさなかも決して姿勢を崩さず、全身でそれを受け入れる。
ひとしきり報告が終わったところで主はやっと口を開いた。
「そう、目的の一つは達せられたね。楽器のほうは残念だったけど、また次がすぐあるようだから。陸奥守の方には私からも言っておくよ」
「そうしてもらえるとこちらも助かる」
報告事項が終わるとそれ以上言うことをなくした山姥切は口を閉ざした。主と話すのが嫌というわけではないが、そもそも誰かに対して積極的に雑談のような話題を取るようなことは苦手だった。
主の方も長いことそんな初期刀と付き合っているせいか、その性質をわかっているようだ。いらだつことも、不安げになることもなく、ただゆったりと微笑んだままだ。この主は沈黙にはそれほど気にならない性格らしい。
だがさすがに話す話題がなくなれば黙って向き合っているのもいたたまれなくなって苦痛にはなる。
「これで報告は終わりだ。後日改めて本丸の刀たちへの報告をするからその時にはあんたにも列席を・・・」
動揺をごまかすように早口に言いながら山姥切が膝を浮かせたところで、主の声がそれを遮った。
「切国、少しいいかな」
「なんだ?」
真剣な面持ちをした主に真正面から見つめられて、立ち上がりかけた腰を再び下ろす。主は両の手を膝に乗せたまま、背筋を伸ばし正座をしてこちらに相対していた。
ひとつ息を吐く間隔をあけてから主は静かに語りだす。
「君と出会ってからもうすぐ二年になるよね。その前に一度ちゃんと言っておかなくてはと思って」
白く細い主の指先がすっと廊下につけられる。血の気がよく見えない青白い指だ。それでも最初に見た時よりは多少赤みがさしていることに気づく。
「私は何もわからずにただ審神者の力だけを持ったままこの本丸に来た。何をするかもわからずにいた私を一番長く支えてくれた最初の刀、山姥切国広にはどんなに礼を言っても足りない。だけど言わせてほしい。今日まで審神者として不十分であった私を支えてくれてありがとう、そしてこれからもこの本丸のこと、よろしく頼みます」
主の頭が深く下げた。まさか主が自分に向かって頭を下げるとは思いもよらず、うろたえた山姥切は思わず声を荒げた。
「そんなことはしなくていい! 俺は刀だ、あんたの力に呼ばれて顕現した。だから主であるあんたに従うのは当たり前で、俺なんかに礼を言う必要なんてない」
ちょっと顔をあげた主は不思議そうに山姥切を見やってから、にっこりと笑った。
「そうだとしてもその刀の命を賭けて仕えてくれる以上、礼を言うのは当たり前じゃないですか。私が言うことは違いますか、切国?」
自分に向けられた絶対の信頼。漆黒の瞳は何の疑いも邪気もなく、自分を見つめている。それは顕現して初めて出会ったあの時と何も変わらない。ただあの時はそれに気づかないふりをした、でも今は。
思わず頬が赤くなる。見られたくなくて、布で顔を隠す。
「・・・っ、だからあんたは! いつもいつもそうやって・・・!」
主の頭を上げさせようと手を伸ばした時、不意に心臓を氷でつかまれたかのような気配に体が反応した。
凍りそうなほど冷ややかな視線を背後に感じて、息を詰まらせた山姥切は後ろを振り返った。そこには黒い禍々しい気配をまとった長谷部が不機嫌な顔で腕を組んで立ちふさがっていた。
「・・・山姥切国広。貴様、主に頭を下げさせるとは何様のつもりだ」
頭を上げた主が長谷部を見て慌てて否定するために左右に手を振った。
「長谷部、これは私が彼への礼としてしたことで、彼自身には何も・・・」
「礼、だと?」
主のとりなしも今の長谷部には通じない。山姥切を忌々しげに見下ろしながらさらなる非難を放つ。
「他にも言いたいことならある。なんだその口のきき方は。常日頃思っていたが、貴様の主への言葉づかいがなっていないぞ」
「俺の言葉遣いがどうかなんてあんたに言われる筋合いもないだろ」
「主に対しては別だ」
彼らの間に不穏な空気が漂い始める。
「一度貴様のその根性を叩き潰してやりたいと思っていたところだ」
「そうか、力づくか。いいだろう、やってみろ」
ゆらりと山姥切が立ち上がる。
売られた喧嘩は必ず買う。普段は卑屈で自信なさそうにしていることが多い山姥切も戦闘になるとその性質は激変する。この本丸最古参にて最高練度と言われている彼に負ける気などありはしなかった。
だが長谷部も自分が負けるなどとは思っていない。この本丸に顕現した時期もそれほど変わりのない彼らは初めの時より主力の第一部隊で競い合ってきた刀同士だ。それゆえに互いに対する敵対心も半端ない。
「いい覚悟だ。道場へ来い、すぐさま決着をつけてやる!」
「ああ、お前の方が逆に負けることになるだろうがな」
「だから二人とも落ち着いて」
「これはこいつと俺の問題だ。あんたは黙ってろ」
「主はそこで待っていてください。この長谷部が山姥切の生意気な口を封じて正しい言葉づかいを教えてみせます」
足音を立てながら道場の方へ向かっていく二人を主は見送るしかなかった。あの二人はああなったらとことんまでやらないと決着がつかない。
主は裾のポケットに手を入れた。そこから取り出されたのはきれいな包み紙に包まれた小さな袋。その中には色とりどりの飴玉が入っていた。
「つい渡しそびれてしまった。またあとで戻ってきたら渡せばいいかな」
いつも役目の後に彼に手渡していたささやかな褒美。どんな華美なものよりもそれが一番喜んでくれることを知っている。
綺麗な色をした飴玉を主は穏やかな目で見つめていた。
創作審神者なお話です。
もうすこししんみりした話になるはずだったのに長谷部が出てきた時点でおかしくなった。
ケンカするほど仲がいいってこいつらにも当てはまるんだろうなあ。
主のお礼を書きたいがためにこのブログ始めたような感じですかな。約二年間ありがとうっていうのはこちらの本音でもあります。君がいなかったら多分ここまで続けていられなかった。
時系列的に本丸二周年直前の話になります。ここから初めまで話をさかのぼっていけたらいいなあ。
ちなみに主だけが山姥切の事を切国と呼びます。ほかの刀は大体山姥切呼びなんですが。理由についてはまた後程。
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