酒宴 ~初期刀組~ =刀と主と=
夕餉の後、お決まりのように始まったにぎやかな酒盛りに加わる気がおきなかった加州は楽しげに酒をかわしあう新撰組の仲間たちを置いてそっと食堂の広間を後にした。
本丸で最も大きな表の建物の中に食堂がある。この建物は作戦会議室や刀装などを作る作業場など戦いのために必要な設備がまとめて揃えられている。刀剣男士たちに与えられた自室はその背後を囲むように長く作られた建物にあった。初期は今とは違ったが、同じ刀派やつながりのある刀は並びの部屋になるようにして一応一人一人部屋を与えられている。
加州の部屋は新撰組の者たちの並び、東の端にあった。本丸の表の建物から歩くとだいぶ遠い。
個々の自室へとつながる廊下は誰もいなかった。ねっとりとした初夏のけだるい空気がまとわりつく。夜になったのにまだ暑さが残っているようだ。
薄暗い廊下の向こうから誰かの気配を感じて加州は視線を先に向ける。
正面から風呂上りなのか頭に手拭いを乗せた陸奥守吉行が現れた。向こうも歩いてくる加州に気付いて目を丸くした。
「ほう、加州が暗い顔をしちゅうな。珍しいこともあるもんじゃき。どうしたんや?」
気安げな土佐の言葉をかけられて、加州はかすかに眉をひそめた。
「なに? 俺そんな変な顔してた?」
目じりを下げて軽く笑いながら、加州清光はいつもより明るく返事をする。だが陸奥守吉行は顎に手を当てながら口元をへの字に曲げていた。
「つーか、おんし、無理しちゅうやろ。わしにはばればれちゃ」
作り笑いをあっさり見破られた。こいつには全然悪気はないだろうし、親切心で声をかけてきたのはわかるが、よりにもよって陸奥守にばれたのがなんかいらつく。
だからといってこれ以上誤魔化すのも無駄だろう。ふっと笑みを消して加州はどこを見るでもなくけだるげな表情を浮かべた。
「別に。今日、ちょっとむかつくことがあっただけ。まあ、陸奥守には関係な・・・」
「ほうか、ならわしの部屋へ来よるか。食堂の酒宴はみんながおるきに。言いたいことも言いにくいじゃろ。ちょうどええもん仕入れたところじゃ。おんしにも飲ませちゃる」
人の話を最後まで聞きもしない。陸奥守の威勢のいい声に言葉を遮られた加州は嫌な予感に端正なその顔をしかめる。猫のように細い眼が片眉を逆立てさらに細くなった。
「ちょっと待ってよ。飲むってお前と?」
新撰組の刀が維新の刀とさしで飲むというのか。大勢で飲んでいる時はさすがにもう気にはしなくなったが、それでも面と向かって二人きりで飲むことはしたことがない。
「決まっちゅうやろ。わしはいっぺん加州とさしで飲んでみたかったんじゃ」
狼狽える加州の都合などお構いなしに手首をがっしり掴まれて、有無言わさず陸奥守の自室へと引きずられていった。
床の上に幾つも置かれた酒瓶を加州はねめつけるような眼で見た。膝を崩して座ったまま、むすっとして黙っている。無理やり引きずられるような形で陸奥守の自室へ連れてこられたため、ずっと憮然とした表情のままだった。
明らかにこっちが不機嫌な顔をしているのが分かりそうなものなのに、連れてきた張本人の陸奥守はというと酒と酒器の用意に夢中でそんなことに気にもしない。
あれじゃこれじゃとご機嫌に選んでいる陸奥守の背に苛立たしげに声をかける。
「なんで俺が陸奥守とさしで酒を飲まなきゃいけないのさ。お前は維新刀だろ。俺とは敵同士だったじゃん」
頬をふくらませてむくれる加州に、選んだ酒瓶を抱えて正面に胡坐をかいて坐り直した陸奥守が豪快に声を上げて笑った。
「なんじゃ、おんしはまだそないなこと気にするかや。ここでは仲間やき、一緒に酒くらい飲むぜよ」
どんと豪快に音を立てて酒瓶が置かれた。
何を言われようが笑顔を絶やすことのない陸奥守は酒瓶を回して表示を加州に向けた。酒瓶といえば茶色や緑色の瓶が多い中、こんな真っ黒な瓶は珍しい。しげしげとそれを見つめて指差した。
「もしかしてこれ土佐の酒?」
加州が酒瓶に目をくぎ付けにしているを陸奥守は得意げに見下ろした。
「わかっちゅうか。これはな、龍馬が故郷の土佐で仲間たちと飲んだゆう古い蔵元の酒じゃき。こいつはそんな中でもいっとう希少な酒ぞね。せっかくやき、おんしとこいつで飲むぜよ!」
押し付けられた小さな湯呑ほどの入れ物を持たされ、止める間もなくなみなみと酒を注がれる。縁ギリギリに入れられてしまったため、ちょっとでも傾ければ零れてしまいそうだ。
「ちょっ、入れすぎじゃん!」
「これでも少ないくらいじゃ。土佐の男は浴びるくらい酒を飲まんとあかんきに」
「俺、土佐生まれなんかじゃないんだけどさ。ったく、強引だよね」
ここまで来て拒むのも相手が陸奥守とはいえさすがに気が引ける。しぶしぶ器を口元に近づけると優しい花の香がふわりと広がった。華やかなその香りにつられるように口をつける。
口に含むと芳醇なその味に体からゆっくりと力が抜けた。
「・・・ん、結構いい酒じゃん」
「当然じゃろ。わしのとっておきじゃき」
にかっと笑った陸奥守は加州よりも一回り以上は大きな湯呑に縁いっぱいに酒を注ぐと、それを一息に豪快にあおった。土佐者は酒好きだと言うが、刀である陸奥守もその気質を受け継いだのかもしれない。前の主が仲間たちと夢を語り合ったその時を、刀として感じていた記憶があるのか。
「やっぱ酒はうまいきに!」
見事に空になった器を床に叩きつけた。あまりにも酒を飲んでいるだけで楽しそうな陸奥守に、つい加州もつられて笑ってしまう。
「たまに思うんだけどさ、あんたって結構単純て言うか、馬鹿?」
「なんじゃ、加州はわしのことそんなこと思っちゅうが?」
「んー、たまにじゃなくて、いつもかも」
眉を寄せてムッとした顔をしてても別に本気で怒っているわけでもないらしい。にっと笑って片手で瓶を持ち上げると、空になりかけた加州の器にさらに酒を注いだ。
とろりとした透明な酒が器にこぼれんばかりに入れられる。うながされるまま再び酒を口にする。酒はこの身になって初めて飲むことができた。前は刀だから飲食などできるはずもなく、何のために人は飲んでいるのかわからなかったけど今ならわかる。
酒を飲めば楽しいから。現世の憂さを忘れて、辛い現実を忘れて、ただ陽気になれる。心を許せる者たちとあてどなく夢を語る。叶うかわからなくてもその時だけは自分たちの未来がそこにつながっているかのような幻想を抱ける。
京都で、幕府を守るという使命に誇りを持ちながら。新撰組の人たちは果てしない夢を追い求めていた。
酒を飲んで騒ぐ新撰組の隊士たちの輪の中で、ずっと笑っていたあの人。
(あの人も楽しそうに笑いながら飲んでいたかな)
おぼろげな昔を思い出しながら加州は再び酒を傾ける。一緒にこうやって酒を飲めたとしたら、あの人は俺たちにどんな話をしてくれただろう。
今はもう夢の中ですら見ることが稀になったあの人の面影は酒を注いだ器の水面が揺れて消えていった。
「しっかしおまんとこうやって飲めるとはここにくるまで思わんかったぜよ」
「俺だってそうだよ。維新の奴らなんて俺たち新撰組と出会えば切りあいになるしかなかったじゃん」
陸奥守のおすすめの酒はのどごしはすっきりと舌に残る味わいはほのかに甘い。あいつはすすめ上手だから注がれるばかりでは飲みすぎるかもしれない。
そう思う反面、加州はどうなってもいいという気持ちにもなっていた。今日は面倒を見なければならない奴らもいないため、意図的に酒量を自制する必要もない。
いつもだったら相棒の大和守安定や大人の図体をしながらどこか子供っぽい和泉守兼定が先に酔っぱらって盛大にふざけるので、そいつらの面倒で酔う暇なんかなかった。だが今日は酒を楽しく飲むのに長けている陸奥守が相手だ。こいつは確か酒も強い。だから気を使う必要なんてない。
加州は手元に目線を落した。なみなみと注がれた酒の水面に布に顔を隠した不機嫌の原因の姿が浮かび消えた。
途端に加州の顔が険しくなる。
あいつは普段から口数が多い方じゃない。なのに何かしゃべったかと思えばいつも。
(俺なんか、か)
何度も同じことを言われていた加州はふつふつと怒りが込み上げてきた。言いやすいのか、言われやすいのか、どっちだかわからないがため息交じりの愚痴を言われ続ければいいかげん我慢の限界が来る。
(ここの初期刀は山姥切だろ。誰が何を言ってもそれは変えられないのにさ)
器を握りしめたまま動きを止めた加州に、陸奥守が陽気な声を投げかけた。
「飲んで嫌なことは忘れるといいきに。そのための酒じゃき」
加州の淡い白の色合いの磁器の杯に武骨ながら温かみのある地のままの器があたり、カツンと小さく音を鳴らした。顔を上げると、まるで太陽のように顔を輝かせた陸奥守が笑顔のまま黒い酒瓶を掲げていた。
「今日はとことん飲むぜよ!」
「だからさ、いいかげん自信くらい持ってほしいよね。あいつがずっとここで頑張ってるの、みんなわかってるわけじゃん。なのに自分が一番信じられないって、ほんと世話ないよね」
大きな音を立てて加州は飲みほした杯を畳に叩きつけた。軽く頬が火照っている。周りにはすでに数本の空き瓶が転がっていた。
目の前の陸奥守はさっきからずっと変わらない顔でのんびり酒の入った器を傾けていた。加州の言うことを頷いて一度は肯定してから自分の意見を述べる。
「山姥切の卑屈はあいつの本質を現す個性じゃきに。本科と同じ銘をつけられてからずーっとこじらせてるもんをわしらがどうこうできるとは思わんきに」
「はあ? ちょっと無責任にいわないでよね。だからってあいつの卑屈、ずっと俺が聞かなきゃいかないわけ? なんでか知らないけどさ、あいつ最近俺によくちょっと落ち込むとうだうだ愚痴を言ってくるんだよね。俺はうまくやれているのかって。そういう悩みごとなら兄弟の堀川とか山伏に聞いてもらえばいいじゃん、なのにどうしてあいつは俺に言ってくるわけ?」
うーんと腕を組んで上を見上げた陸奥守はまぶたを閉じてしばらく考え込むと、ぼりぼりと頭をかいて顔をしかめた。
「おんしも新撰組の奴らの前じゃこんなはじけられんき。それと同じじゃ。あいつも兄弟ゆう親しい者には心配させとうなくて打ち明けられんこともあるんじゃろ」
「だからなんで俺なのさ・・・」
「それは山姥切が加州を頼りになると思っとるんじゃろ。ええじゃろ、本丸で一番古くからいる奴に信頼されてるきに!」
「そういう問題じゃないんだよね!」
身体を乗り出して詰め寄ろうとした加州の背後で襖が動く音が聞こえた。振り向くと蜂須賀虎鉄が廊下からこちらを怪訝な顔で見下ろしていた。
「にぎやかな声がすると思ったら陸奥守と加州ですか。珍しい組み合わせですね」
不思議そうな表情を浮かべて、蜂須賀虎鉄が廊下側の入り口から顔を出してきた。長い髪を後頭部で高く結い、華やかな着物をさりげなく着崩してくつろいでいる。
酒の入った湯呑を掲げて陸奥守が気軽な口調で誘う。
「おー、蜂須賀か。おんしも飲まんか?」
「別に構わないが。それにしても加州が酔っているのは珍しいね」
「俺酔ってないよ」
唇を突きだして文句を言う加州に、転がる酒瓶に視線を投げた蜂須賀は困ったように笑った。
「そんなに顔を赤くして言われても、説得力はないけどね」
加州の隣の陸奥守がからからと笑う。
「こないに酔うとる加州は珍しいじゃろ。そがなとこへ立ってのうて蜂須賀もはいったらええがや!」
程よく酔った勢いの陸奥守にあらがえるはずもなく、蜂須賀は腕を取られて加州の隣へ座らされた。そのまま無理やり器を握らされ遠慮なく酒を注がれる。
「その、あまり酒に強くはないのだが」
なみなみと注がれた酒に困った蜂須賀の声はあっさり無視される。加州は寄り掛かるように蜂須賀の肩に腕を回した。
「なあに? 俺たちと飲めないってわけじゃないよね」
上目づかいにとろんとした目で固まる蜂須賀を見上げる。
「そういうことではない、ないんだが・・・」
はあ、と重くため息をついた彼は両脇を固められて逃れられないのを覚ったのだろう。小さな盃をくいっと粋に傾けた。
たった一口で軽く頬を染めて蜂須賀は陸奥守に尋ねた。
「それで加州がこんなに酔っているのには本当に珍しいな。一体、何があったのかい?」
「あー、山姥切のいつものあれじゃきに」
陸奥守にそれだけ言われて蜂須賀もすぐ何のことだかわかったらしい。そうかと言って顔をほころばせて笑う。
「なるほど。最近、加州が彼の刃生相談をしているとは聞いていたが」
「ちょっと待って。誰がそんなことを言ってたわけ? 俺あいつの相談係なんか引き受けたつもりないんだけど!」
誰が言っていたんだと詰め寄られて、蜂須賀は首を傾げてあっさり白状する。
「君の相方の大和守安定だが。加州はあの山姥切から相談されるほど信頼されていてすごいよねと言っていた。俺も君たちが良く話しているのをたびたび見かけていたからてっきりそうだと」
「それは違うって。安定のやつがみんなに勝手なこと言ってるだけだって」
頬を膨らませて完全に不機嫌になった加州を陸奥守がまあまあとなだめる。酒をもっと飲むぜよと言って、瓶を持ち上げたところで空になってしまったことに気付く。
「そろそろ酒も無くなってきたき。わしは厨房に隠しちょる酒を取りに行くぜよ」
からりと襖が開いた音に、加州は陸奥守が帰って来たのかと振り返って固まった。
「あ、おかえり。遅かったじゃん、どうし・・・え、歌仙?」
酒瓶を抱えて冷や汗をかく陸奥守の後ろには、腕を組んで憮然と部屋を見つめる歌仙が立っていた。
その圧するような気配に加州の酔いも少し冷めた。
鋭利な視線を陸奥守に向けた歌仙は何をしていると言いたげにため息をつく。
「厨房でこそこそ探し物をしている彼を見つけてね。何をしているかと問い詰めれば、加州と蜂須賀と一緒に部屋で飲んでいると白状した。大広間の宴を抜け出して君たちはここでどんな陰謀をたくらんでいたんだい?」
「陰謀って、歌仙、わしらそんな大層な話はしちょらんぜよ」
「だったらなぜ僕と目線を合わせるなり、顔を青くしてまずいという顔をして逃げようとしたんだい?」
「それはなんちゅうか、反射神経ちゅうもんやき」
「は!?」
青筋を立てて陸奥守に詰め寄る歌仙に、状況をよくわかっていないのか蜂須賀がのんびりと声をかける。
「歌仙、宴の片づけなどはもう終わっているんだろう?」
「ああ、今日はお開きが早かったからね。片づけの方もだいたい終わってるが」
歌仙は宴会では燭台切と一緒に料理の切り盛りをしている。彼らが作るつまみでどれだけの刀たちの酒が進んでいることか。片づけは料理をしない数名で当番制だから料理を作る役目の歌仙たちは宴会後は手が空く。
「それなら俺たちと飲んでいかないかい? ちょうど陸奥守が追加の酒を持ってきてくれたところだしね」
想いもかけぬ蜂須賀の誘いの言葉に、陸奥守と加州が慌てた。
「ちょっと待ってよ、歌仙は・・・まずいって・・・」
「そうじゃき。蜂須賀はあいつの酒癖知らんちゅうのか?」
「なにかあったかい?」
「知らないの? 歌仙の説教はしつこいんだよ。酒を飲むとものすごく長い説教でからんでくるんだから」
「今年の正月は馬鹿騒ぎをしていた和泉守がつかまって正座で面と向かって小一時間はみっちり絞られておったしのう」
それを後ろで聞いていた歌仙が顔をこわばらせさらに眉間のしわを深くした。
「ほう、僕の目の前で悪口とはいい度胸だね? ならばこれは必要ないのかな」
歌仙は手に持っていた風呂敷包みを加州たちに見せつけるように彼らの目の前に差し出した。
「せっかくの酒宴につまみもないと聞いたので宴会の料理を詰めて用意してきたんだが、いらないというのであれば持って帰ろうか」
さっさと荷物をもって踵を返そうとする歌仙をあわてて呼び止める。
「ごめんなさい、歌仙。あんたの料理はほんとおいしいくていつも楽しみにしているんだ。だからつまみを持っていかないで」
「わしらが悪かったんじゃ。機嫌を直すきに。ここにいい酒もあるぜよ」
途端に意見をひるがえした二振りに冷ややかな視線を送っていた歌仙だが、ふっと口元をほころばせると優雅に身をひるがえした。
歌仙も酒を飲むのは嫌いではない。むしろ好きな方だ。ただ酒宴では料理などをつくるためのんびり飲むことができないだけだ。だから誘われれば断らない。
「まったく、君たちは現金なものだね。ではお誘いがあったのでお言葉に甘えてご相伴させていただくよ」
綺麗につまみの詰められた重箱を中心に置いて、四人は囲むように酒を傾けていた。つまみは歌仙の料理だけではなく、どうやら洋風のものもあるので燭台切が気を聞かせて数品詰めてくれたのだろう。
思い思いに近況を兼ねた雑談を交わしながら飲んでいる中で、空になった器を軽く振って聞きたいことがあると加州が皆の視線を集めた。
「俺、ちょっと前まで演練専用部隊の隊長やってたじゃん。他の本丸の奴らと話すことも多くてさ、その時面白いこと聞いたんだけど」
「なんじゃ?」
首を傾げる陸奥守に加州は真面目な顔を向けた。
「初期刀っていう言葉知ってる? 審神者が一番最初に選ぶ刀のこと」
知らないのか顔を見合わせる陸奥守と蜂須賀だったが、一人歌仙だけは盃を傾けながら頷いた。
「聞いたことはあるよ。決められた五振りの中からたった一振りだけを選び、始まりの刀とする。その五振りはまずここにいる打刀の僕ら四振り、加州清光、陸奥守吉光、蜂須賀虎鉄、歌仙兼定、あともう一振り、山姥切国広」
歌仙は五本の指を広げて皆の前にかざす。加州は小さく頷いて彼の言葉を継いだ。
「他の本丸の部隊をずっと見てたけど、その初期刀が違うだけで俺たちずいぶん性格が違うんだなって思ってさ。陸奥守は笑顔は変わらないけどみんなに対する責任感っていうのがあったり、蜂須賀はいまでも誇り高いのに無駄に自信を持って堂々としてるとか、歌仙は他の刀にめちゃくちゃ厳しそうだったりとか」
「加州、それはまったく誉めていないと思うけど。僕に喧嘩を売っているのかい?」
歌仙は盃に視線を落したまま冷ややかに言う。やばいと感じた加州はそうじゃないとあわてて手を振る。
「あ、いや、じゃなくて、あいつじゃなかったらこの本丸もどうなってたかなってちょっと考えちゃったんだよね」
どこか遠くを見つめる目になった加州を歌仙が厳しい眼で睨みつける。
「・・・加州、それは主が決めたことを否定する発言になるけれどいいのかい?」
「違う。俺は主の行為を否定したりはしないよ。いまの本丸で十分満足しているしさ。じゃなくて、どうなのかなってちょっと思っただけ。あいつさ、山姥切のせいだよ。自分がその初期刀じゃなかったらよかったんじゃないかとか言い出すからさ、俺もそんなこと考えてみちゃったわけ。みんなはどう思う?」
加州はまず陸奥守を見つめる。
「わしか。うーん、難しい問題じゃき。けど決められたもんをなかったことにするっちゅうのは時間遡行軍の奴らと変わらなくなるき。もしっちゅう話はわしとしてはあんまり感心しちょらんけどなあ」
「蜂須賀はどう?」
「俺はそもそも彼がなぜそのようなことを言い出すのかが分からないのだが。彼は国広の第一の傑作なのだろう? なぜそこまで自分を貶めるのかが分からないのだが」
本気で悩みだす蜂須賀に加州は何とも言えない顔で苦笑いする。
自身の刀派の虎鉄と並び評される国広の一振りを蜂須賀はずいぶんと高く評価しているらしいことは知っていた。例え写しであっても刀派の真作であり傑作とされることは変わらないのにと蜂須賀は考えている。ただそれがどうしても相手に伝わらない。
最後に歌仙に視線を向けた。
「歌仙はどう・・・」
「雅じゃないね」
重みのある低い声音に室内が一瞬静かになった。皆の視線が一斉に歌仙に集まる。
彼が空になった盃を差し出すと、陸奥守が手際よく酒瓶を傾けて注いだ。酒を一息に飲み干し歌仙は話し出す。
「主が決めたことを覆す権利は僕らにはないんだ。刀たる存在は主人の意志に従うことを信条とする。人の身を得てもそれは変わらない。・・・なのになぜ山姥切はいつまでも気にするのか。開き直れと僕がいくら言い聞かせてもわかってはくれない!」
畳に拳を振り下ろされた。拳を叩きつけられた畳から重く鈍い音がし、その殴り跡は思いっきりへこんでいた。他の者たちはその力の強さに黙り込む。あまりに強く打ちつけたせいで畳から煙が上がってもおかしくない。
顔を上げた歌仙の満面の笑顔が逆に怖い。
「僕は文系だけどもう我慢ならないね。一度物理で訴えていいだろうか」
「あー、歌仙は俺たちの中で一番あいつと付き合い長いもんね。打刀で二番目にここに来たんだっけ」
「そう、だから僕は君よりもずっと山姥切の卑屈に振り回されてきたんだよ。最初の頃の彼はといえば何かあればすぐ落ち込むし引きこもるしで本当に扱いづらくてね。あの頃は戦力不足のために出陣での失敗も多くて、隊長も引き受けていた彼の負荷が大きかったのはわかるんだが・・・」
これは意外と酔っているんじゃないだろうか。宴会場でも飲んでいただろうし、普段はそれとない話しかしない歌仙が、自分の心境を吐露するのは珍しい。
ふっと表情を引き締めた歌仙はくるりと振り向いて加州を見返した。
「もう一度聞く。君は本気で主の初めの刀になりたかったなんて思っているんじゃないだろうね」
質問は口元の笑みで軽くかわし、逆に問い返した。
「歌仙は?」
「僕は現状で満足しているよ。初期刀というのは飾りじゃないからね。やることはたくさんあるんだ、みんな知らないだけで。僕もできるかぎりは彼の補佐はしているが、これ以上となると趣味にかける時間が無くなってしまう。今だって足りないくらいだ」
「ちょっと待ってよ。結局それ?」
趣味に力を入れたいとはさすが自称文系。その潔さに陸奥守の眼が感嘆の意を込めて細まる。
「歌仙はぶれんのう」
「そういう君はどうなんだい、加州。僕は答えたよ。君のはまだ答えを聞いてないが」
まだ聞くのか。難しい問いかけだ。少し考えてから加州は自分の考えを少しずつ口にした。
「主が選ぶ初めの刀って聞いたときはさ、いいなって思ったよ。でもさ、それって簡単なことじゃない。だいたいあいつと同じことするってわけでしょ。俺は毎日あの長谷部の相手をするのは嫌だな。山姥切はよく長谷部と面と向かって仕事していられるよね。それだけはあいつを尊敬する」
来る日も来る日も各隊長が持ち込む報告書は山となりあいつはその処理に日々追われている。目の前には厳しく監視をする長谷部。あのぎすぎすした雰囲気はとても耐えられそうにない。
「ああ、長谷部か。それは同意じゃ」
鷹揚に頷く陸奥守を歌仙が睨みつけた。
「君たち、いくら酒が入っているからってさっきから人物評に本音が入りすぎているよ。もう少し歯に衣を着せるということをしないか」
「そういう歌仙だってちょっとでも無駄にお金を使えばうるさいから長谷部の相手は疲れるって前に厨房でぼやいてたじゃん」
「え、それを聞いていたのかい!」
酒が入って笑顔のまま黙って聞いていた蜂須賀もほろ酔いに目元を赤くさせながら頷く。
「彼は真面目だからね。それ自体は悪いことではないし、主とこの本丸のために尽力しているのは賞賛にするよ。ただ少しうるさいのはいただけないかな」
「あれを少しって言える蜂須賀も結構大物だよね」
内番をちょっとサボっただけでいつも怒られている加州からすれば、長谷部は小姑並に厄介な存在だ。彼は本丸のことを熟知しているため、些細な異変にもすぐに気付く。長谷部の容赦のない罵声が本丸に飛ばない日はない。
もちろん彼が身を削って尽力を尽くしていることは知っている。それでもたまには息抜きはしたい。
「あいつと毎日面と向かっちょって仕事しちゅう山姥切はほんに感心するぜよ」
陸奥守が目をとじながら言うと、横で蜂須賀が頷いて同意する。
「だけどさ、意見がぶつかるとすぐ立ち合いだって言って喧嘩するじゃないか。俺はけっこう迷惑受けているんだけど」
第一部隊にいる時から意見の相違や戦闘方針で何かとぶつかっている彼らは、隊から外れてもまだ細かいところで意見が合わずぎすぎすした関係が続いていた。そのくせ肝心なところでは見事に意見が一致するから実は相性がいいんじゃないかと噂する者もいる。
「そのくらいならまだいいよ。僕はこの本丸の始まった当初から彼らの間に立ってきたんだよ。そこで自分の刀を抜くのをどれだけ我慢したと思うかい?」
腰に手を触れる真似をして歌仙が不気味に笑いながらたしなめる。
「だから歌仙は言うことが怖いって」
この中で一番怒らせたらまずいのはきっと歌仙だ。さらに今は酒が入っているのでどこで切れるかわからない。身の危険を感じた加州はすぐに逆らうのをやめた。
あれでもないこれでもないと意見が飛び交うたびに酒は瓶の中からどんどん消えてゆく。
酒に強い歌仙や陸奥守はともかく、加州や酒に弱い蜂須賀はさすがにふらついている。真顔のまま酔ったそぶりを全く見せない歌仙がまだ普通に盃を傾けながら言った。
「しかし加州が酔うとここまで自由奔放な意見を言うとは思わなかった。普段は抑えているのか、知らない一面を見れて興味深いね」
「ええ? 俺はぜんぜん変わってないつもりだけど」
「そうやって僕らにすねたような顔を見せることが珍しいんだよ。他に気を使う君はしっかりしなければいけないと自分をあまり見せないんだろう」
「酒のせいだし、今日だけだよ。明日には忘れて」
くすっと加州は笑顔を向ける。真顔で見ていた歌仙はつられたように口元で笑うと、わかったよとつぶやいた。
「にぎやかだな。まだ騒いでいるのか」
低く擦れたその声に、加州は思わず振り返る。布を目深にかぶった山姥切が呆れたように室内を見渡していた。転がる酒瓶の山と室内に漂う酒気に思いっきり顔をしかめられた。
話題の主の登場に加州はけだるげな表情を浮かべた。
「なんだ、まんばちゃんじゃん」
呼ばれた通称が気にくわないのか、山姥切の顔が思いっきりしかめた。
「ずいぶんと酔っているみたいだな、加州。飲みすぎると明日に響くぞ」
「俺は明日非番だから平気。そういえばまんばも主からいいかげんに休みを取れって言われてたよね」
ちらりと横にいる陸奥守に視線を送る。すぐさま意図を察知した彼は加州が座を立つと同時に動いた。加州たちの動きに感づいた山姥切が後ずさるが遅かった。
右を加州が、左を陸奥守が逃げれないように腕をがっちり固めた。
「なにをする!」
「俺たちと飲みなおさない? どうせ宴でもろくに飲んでないでしょ。いつも量を抑えて酔わないようにしているもんね。大丈夫、長谷部には明日は休むって俺から言っとくからさ」
「加州の言う通りじゃ、ここなら気を使うもんはおらんきに。ちょうどええ、この五振りで親睦を深めるっちゅうのもいいアイデアじゃな」
「ちょっと待て、勝手に決めるな」
だが酒が入って強引な加州たち二人がかりではたとえ山姥切では勝てるわけもない。押さえつけられるように彼らの間に無理やり座らされた。加州が傍らにあった器の一つを差し出す。
「ほらこれもって。あ、持つところはここね」
懇切丁寧に持ち方まで指導される。手渡されてうっかり手にしてしまったそれに、すかさず陸奥守が酒を容赦なく注いだ。なみなみと縁まで注がれる酒に彼はあわてる。
「ちょっと待て、俺は飲むとは言ってない」
「だめだって、もう手遅れだよ。その器、穴開いてるでしょ。陸奥守の秘蔵の一品で、盃を置きたかったら飲み干さなきゃいけない代物なんだって」
驚いた山姥切は手元を確認して、やられたとうめいた。
「どうじゃ、それは土佐の名器じゃき。飲んでも次が注がれるからなかなか下に置けんちゅう酒豪育成のための酒器じゃ」
「ほら、遠慮なく飲みなよ。それとも俺たちの酒が飲めないっていうの?」
今まで愚痴を聞かされ続けた意趣返しとばかりに酒瓶を持って加州が迫る。じりじりと後ろに下がるが、背後を振り向くと陽気に両手で瓶を掲げる陸奥守が控えていた。逃げられない。
嫌がる山姥切に無理やり酒を勧める加州たちを眺めながら歌仙が深くため息をつく。
「まったく、力づくとは雅じゃないと言っているだろう」
「君にだけは言われたくないと思うけどね、歌仙」
蜂須賀が笑いながら歌仙の空になった器に酒を注いだ。
「だーかーらー、その卑屈いいかげんにやめてよねって言ってるの。まんばは主の近侍をずっとがんばってきたじゃん。みんなわかってるよ。それを認めてないのはおまえだけだと思うんだけど」
酒がかなり入って頬を朱色で染めた加州が目の前の山姥切に苛立ちぎみに言い寄った。鼻先に指を突きつけられてムッとして言い返す。こちらも無理強いされて飲まされた酒でだいぶ酔っていた。
「無理だ。自分を認めるなんて写しごときができるはずもないだろう」
酔うと山姥切は普段の卑屈をどこかに置き忘れて強気な言動になる。酒の席で吹っかけられれば言い合いだろうと決闘だろうと簡単に受けて立つ。
「写しだなんだいうけどさ、ソハヤはどうなるのさ」
「あいつは立派な霊刀だ。徳川の守り刀として存在した奴だ。俺なんかとは違う」
「めんどくさいよね、山姥切って」
「加州の方がしつこい」
言いたいことがあれば本人の前で存分にやりあえとそそのかせた張本人の陸奥守は延々と続く彼らの口げんかにとっくに飽きていた。手酌で新しい酒瓶を傾けながら、もう見てもいない。
「まだやるんか。加州も面倒見のよいやっちゃのう」
「あれが彼のいいところだからね。のりかかったからにはとことんまで付き合うつもりじゃないのかな。今は言いたいことを言いあえればいいだろう」
ふわふわとした笑顔で蜂須賀の体が不規則に揺れる。倒れそうになったところを陸奥守があわてて両手で押さえた。両手で抱え込んだがどうも体に力が入ってないらしくふにゃりと崩れる。
「蜂須賀、おまんもだいぶ酔うちょるやろ」
「そうだね、身体がぽかぽかしていい気分だよ」
「もう酒をすすめては駄目だよ、陸奥守。蜂須賀はあまり酒が強くないんだ。今日はいつもより飲んでいる方だからね。気をつけないと」
涼しい顔をしてこの場で一人素面のまま酒を飲み続けている歌仙が陸奥守に忠告する。その歌仙のまわりには一番酒瓶が空になって転がっている。
「そないなこというちょってもなあ。わし一人では蜂須賀をよう運べんからの。そうじゃ、虎鉄の兄弟の長曽根を呼べば・・・」
「贋作には言うな、陸奥守。あいつの手は借りない」
急に目つきを厳しくして蜂須賀は無理やり上半身を立ち上がらせた。ふらついているくせに陸奥守の手すら拒む。虎鉄の真作として認めることのできない贋作の兄の力は意地でも借りないつもりか。
平気だと見せつけるが、逆にそれはただの強がりにしか見えない。
「こないな時じゃからこそ素直に力を借りればええんじゃがのう」
「何を言う。俺たちのことに口を出さないでもらおうか。だいたいあいつは贋作のくせに戦場で誰よりも前に出て戦おうとするんだ。仮にも新撰組の大将の刀であるのならば、もっと鷹揚に構えるべきだろう。しかも仲間が危なくなれば容易に身を盾にする。なぜ己ばかり犠牲にできるんだ。自分は贋作だから傷つくのは構わないとでも言いたいのか。自分は強いから平気だとでも思っているのか!少しは頼ってくれれば・・・!」
蜂須賀はこぶしを握り締めて肩を震わす。急に態度が豹変した彼に陸奥守はただただ目を丸くするしかない。
一人静かに酒を飲む歌仙に頭を寄せ、陸奥守はこっそり尋ねる。
「なあ、あれは長曽根の事を誉めちょるとおもわんきに?」
「分かりにくくはあるが、彼のことを強いとは認めているみたいだね。しかし僕らの中でも温厚な彼が例の兄の事となるとこんなにも変わるとは」
「んー、じゃがちと誉めすぎとは思わんか? 新撰組の刀がそがいに持ち上げられるのはわしとしてはなんか不満じゃき。長曽根も意地はっちょるだけで言うほどのもんじゃないきに」
陸奥守のぼやきを聞いたのか蜂須賀が険しい目で睨みつけてきた。
「悪いが贋作の悪口を俺の耳に入れるのはやめてもらおうか。あいつを悪く言っていいのは真作の俺だけだ」
「・・・それはすまんかったのう」
謝罪の言葉を聞いて満足したのか、ふんと鼻を鳴らすと一気に酒をあおった蜂須賀はそのまま倒れ込んでしまった。
「ちょっ、蜂須賀・・・ねちょる・・・」
慌てて駆け寄ったが穏やかな寝息にほっと胸を下ろした。
「なんじゃ複雑なやっちゃのう」
「彼も複雑なんだろうね。刀派の真作として偽りを認められない気持ちと、ただ同じ刀としてのあこがれがせめぎ合っているのだろう。たしか長曽根は虎鉄ではなく清麿作と言われているそうだったね。もし本来の姿でであったとしたら、蜂須賀も己の気持ちにもっと素直になれただろう。写しという存在に囚われた山姥切もそうだが、人の思惑に翻弄される僕たちはいったい何のために存在しているのだろうね」
「歌仙はまっことむずかしいことゆうちょるのう」
「僕らを作った人間がいて、僕らの中に価値を見出す人間もいる。人によって銘や逸話を与えられたからこそ僕らはいまこの本丸に存在することができる。何かが欠ければそれは成立しえない。そしてそれを変えたいと願うことは僕らの敵である時間遡行軍と同じになってしまう。この世は憂き世、ままならないことばかりだ」
「じゃが歌仙、わしらは巡り巡ってここにいる。今の主のそばにじゃ。それが一番の真じゃろ。他になにがあるんきに」
愁いを帯びた歌仙の言葉を封じるように、陸奥守は怖い顔をして睨みつけながら言い切った。強い、猛き眼だ。
誰の手にもままならない激動の時代を生き抜いてきた刀。理ではなく最後はその想いがすべてを動かしてきた。
「・・・人というものは僕たちに悪い影響を与えるばかりでなかった。忘れていたよ」
「わしは龍馬の想いをわすれちょらん。じゃが、懐かしい昔にばかりひきずられてはいかんのじゃ。大事なのは今じゃ」
「僕もそうだよ。彼らは似合いの二人だった、ほんの少しだけ想いが違えてしまっただけで。僕の中の雅を愛する心はきっと彼らから伝えられたものだろう。刀である僕らは人間よりも長く存在し、その時代の息吹を次の世代へと教えられるはずだ。僕らが伝える相手は僕らを呼び出した審神者たる主、そうだったね」
「わかってくれたかの」
「すまないね。頭の中ではわかっていたはずなのに、心のどこかにあった迷いが出てしまったのだろう。陸奥守、改めて飲みなおそうか。どうやらあちらもけりがつきそうだからね」
「酒は楽しく飲むのが一番じゃき。おんしは強いから飲みがいがあるぜよ」
「いいのかなー。そんなふうに自分は駄目なんだって言ってると堀川ががっかりしちゃうんじゃない?」
とぼけた口調の加州の一言に、うつむいていた山姥切が勢いよく顔を上げる。
「兄弟が・・・?」
心なしか青ざめているところを見ると、狙いは当たったらしい。わかりやすい奴。
ほんの少しだけ意地悪い笑みを浮かべて、こちらに身体を乗り出しかけて動きを止めた彼を見やる。
「あいつはもともと和泉守一筋だけど、最近はあんたたち兄弟のこともよく話しているよ。あいつはさ、口ではああいってるけど自分が堀川派として真贋定かじゃないことをどこかで引け目に感じているじゃない? だから・・・」
「堀川は俺たちの兄弟だ」
力強い断言した物言いに加州は言葉をとぎらせる。
目の前の山姥切がものすごい目をしてこちらを睨んでいた。たったそれだけの言葉に普段は言うことのない想いが込められていた。
ふっと口元をゆるめて加州は肩をすくめた。
「知ってるって。俺だってそれを否定しているわけじゃないよ。まんばはなんだかんだ言いながら紛れもなく堀川派の真作で国広第一の傑作でしょ。そのおまえが真贋にこだわらずに受け入れてくれたことを堀川はすごい嬉しそうに話していたからね。いつもは兼さんとしか言わなかったあいつが、兄弟が、だもんね。この本丸に来てからすごい変わったよ、堀川は。まんばだってそうだろ」
「う・・・」
賞賛の言葉を並べて追いつめる。攻撃的な言葉でぶつかるよりもこいつにはこれの方がよっぽど効く。
誉められたのにいまだに慣れない山姥切は白い肌に朱がよく目立つから照れていると分かりやすい。だからそれを隠そうとすぐ布を目深にかぶる癖がついている。だが隠しても手遅れだ。
「まんばだって堀川の事が兄弟として大好きなのバレバレだし。え、なんでわかるのかって? そりゃ見てればわかるでしょ。おまえ、いつもは感心なさそうな顔をしているくせに、結構口調とか動作に感情が出るからね。だからおまえだって堀川をがっかりさせたくないよね。主の初期刀としてふさわしくないなんて考えているの知ったらさ」
「ぐ、卑怯だぞ。兄弟を引き合いに出すのは」
「だってそのぐらい言わないと分かんないじゃん。俺たちがとやかくいってもおまえはがんとして聞かないしさ。とにかく主が決めたことにはぐだぐだ悩んでないでいいかげん腹くくりなよ。この本丸では俺だって、ここにいるみんなだって代わりにはなれないんだよ。くやしいけどさ」
「加州・・・」
ぐっと口を引き結び目をすえて黙りこくってしまった山姥切を、やれやれと肩をすくめて見つめる。
「ここまで俺に言わせたんだよ。まだ言いたいことある?」
「・・・理由が、分からない。俺が選ばれた理由が」
加州の眉が勢いよく跳ね上がる。これだけ言ってまだ迷うのか。
「はあ? そんなもの必要ないじゃん。まんばに決めたのは主だよ。主は霊力が高い審神者だからね。たとえ選んだ理由が直感だとしてもそれだけで理由としては十分でしょ。あー、やだやだ。いつまでもおまえののろけ話には付き合ってられないよ」
「これはのろけ話なのか?」
「当たり前じゃん。おまえは結局、主のことが大好きで、俺はふさわしいのかなんてもやもやした感情を持て余しているんでしょ」
「な、別にそんなことはっ!」
「好きじゃなければそんな風に悩まないよ、普通。なんていうか、まんばは自分が刀であることを強く自覚しすぎて、俺たちの中にある感情をうまく理解できないみたいだからしかたないけどね」
加州は山姥切の目の前に酒瓶を叩きつけるように置いた。
「嫌なことがあったら飲む。これが人間のやり方だってさ」
「・・・ちょっと待て。それは陸奥守の受け売りだろう」
「あ、知ってた? まあ、今日は飲んでぱーっと忘れればいいんじゃない。・・・それとも俺と酒を飲んで負けるのが嫌、とか?」
むっとした山姥切がずいっと器を加州の顔面に突き出してきた。
「勝負ならば受けて立つ」
「だいぶ酔ってるけど、大丈夫? それでも俺は負ける気なんて全然ないからね。覚悟しなよ」
「こんばんは。静かになったみたいなのでちょっと様子を見に来たんですけど・・・ずいぶんひどい惨状ですね。ここは」
陸奥守の部屋に顔を出した堀川が笑いながらもどこか冷めた目で室内を見渡した。
「おー、堀川か。みんなだいぶ飲んだきな。潰れちょったわ」
顔を赤くして陸奥守がおかしげに笑い声をあげた。傍らでまだ静かに杯を傾けている歌仙は全く酔っている気配すら見せていない。
視線を堀川に向けながら、畳の上で寝息を立てている山姥切を指さした。
「おや、お迎えかい? 君の兄弟だったらほらそこにいるよ。・・・おや、和泉守も一緒だったか」
「ああ、国広一人じゃ無理かもしれないと思ってな。来てよかったぜ、まさかこいつが潰れるほど飲むなんてな」
「潰れたというよりは、加州に無理やり潰された感じだったけどね。普段、人前ではめったに深酒しない彼が加州に煽られて珍しく自分から飲みにいっていたよ。加州の方も彼の飲みに付き合って一緒に潰れてしまったけどね」
堀川と和泉守の後ろからまた誰かが顔を出した。
「なんだよ、だらしないなあ。清光、潰れちゃってるじゃん」
大和守はそう言って相方の傍に近寄ると遠慮なくその頬を指でつついた。弾力のあるその頬をいくら突こうが、引っ張ろうが深い眠りに落ちた加州は一向に起きる気配がない。
「まったくどれだけ飲んだのさ・・・」
心底呆れたという顔をした大和守は思いっきり加州の両頬をひっぱった。
「ちょっと起きてよ。おまえが寝てたら誰が部屋まで運ぶっていうのさ! 僕の力じゃ重すぎるんだよ!」
うめき声はあげるがなかなか起きない加州に切れた大和守がさらに力を込めようとしたのを、誰かが後ろから制した。
「やめろ、大和守。せっかく気持ちよさそうに寝ているんだ。そのままにしておけ」
「でも長曽根さん、こいつこのまま置いといていいんですか。酔っ払いですし邪魔ですよ」
「俺が運ぶ。二人くらいなら抱えられるからな」
片腕でひょいっと加州を持ち上げると、その隣に丸くなって眠っている蜂須賀も肩に担ぎ上げた。右肩に蜂須賀、左腕に加州を抱えた長曽根を見上げて大和守がきらきらした目で感嘆の声を上げる。
「すごいや。重くないんですか」
「まあ、それほどではないが。このまま他の奴の部屋に置いておくわけにはいかないだろう。うちの奴らの面倒はかけられないからな」
二人を担いだまま憮然と部屋を出て行く長曽根の背中を大和守はじっと見つめた。
「・・・うちの奴らって、まったく長曽根さんも遠慮が過ぎるよ。聞こえないと分かっている時にしかその呼び方をしないんだもの。でも蜂須賀には誰が部屋まで担いでいったのかはまだ言わない方がいいかな」
複雑な虎鉄兄弟の関係は当分解決する見込みはなさそうだ。
ぐったりと潰れている山姥切は和泉守が背中に背負う。持ち上げるのを手伝いながら堀川が申し訳なさそうに言った。
「ごめんね、兼さん。兄弟を運んでもらって」
「いいって。こいつはお前の兄弟なんだろ。だったら相棒である俺はお前が困っている時に手伝うのは当たり前じゃねえか」
「兼さん」
「国広だっていつも俺を助けようとするけどな、自分の手に負えない時ぐらい他の奴を頼れよ。今だって俺が気づかなきゃ国広だけでこいつを部屋に運ぶつもりだったろ。おまえとこいつとじゃ力は足りても体格差で運ぶのは厳しいだろうが。俺に頼めば楽勝だろ。自分一人で抱え込める量には限界ってものがあるんだ。自分が助けてもらったら困ってる誰かを助けてやる。そうやって世の中は回ってるんだ」
「おや、和泉守にしてはずいぶんいいことを言うね」
「当たり前だろ、之定」
歌仙に誉められて和泉守は得意げに胸を逸らす。だが他の奴らが酒にやられて寝ている状況で彼がまだ盃を離していないのにやっと気づいた。
「けどよ、いつまで飲んでんだ? 他の奴らが潰れててあんたはなんで平気なんだ?」
「ん? 僕はいつものように飲んでいるだけだけど」
涼しい顔で言われて和泉守は彼の周囲に転がった空いている酒瓶の数を数えて青ざめる。
宴会では早々に酔っぱらう和泉守は歌仙がどれだけ飲むかを今まで知らずにいた。これだけ飲んでも酔いが顔に出ず、潰れる奴らを横目で平然と自分の配分で酒を飲み続けるその姿にうすら寒いものを覚えた。
その様子を見て、次の酒宴中に歌仙が説教しにきたら酒で潰して逃げようと考えていた戦法は無理だと悟った。
「兼さん、絶対に歌仙さんに酒で勝負なんて挑んじゃだめだよ」
「・・・わかってる。まさか之定がここまでザルだったとは思わなかったぜ」
歌仙と陸奥守に見送られて部屋を辞した和泉守は廊下を歩きながら背中で小さな寝息を立てて眠ったままの山姥切にちらりと視線を向けた。戦場でも平時でもどこか周りに対してどこか緊張をした表情を崩さない彼が寝ている時だけはこうやって頼りなげな顔になる。
「しかしこいつも酒飲んでこんな無防備に寝るんだな。山姥切は第一部隊で隊長やってたときはいつも険しい顔してたが、普段もこのくらい気を抜いた顔してくれりゃ可愛げがあるんだがなあ」
「あはは、何言っているの兼さん。兄弟はどんな時でも可愛いよ」
「・・・怖え顔をしているこいつを可愛いって言えるのはおめえと山伏の奴だけだろうけどな。そう思ってるなら本人に面と向かって言えばいいじゃねえか」
楽しげに笑っていた堀川がふとどこか目の奥に哀しげな色を浮かべた。口元をきゅっと不自然に笑ませて和泉守を見上げると、ふるふると首を振った。
「駄目だよ。そんなことを言ったら恥ずかしがって顔を隠してしまうよ。兄弟が自分でも気づかない時にふと自然な顔を見せてくれるのが僕は好きなんだ」
「この本丸で兄弟に会えてよかったな、国広」
「兼さんもここにきて憧れの歌仙さんと話せてすごく嬉しそうじゃない?」
かつて幕末の動乱を一人のかつての主と共に駆け抜けた二振りは顔を見合わせて笑った。和泉守は寝ぼけて動いたのかずり落ちそうになった山姥切を再び肩の上に担ぎ直した。
「さあて、おまえの大事な兄弟を部屋まで送り届けねえとな」
「ずいぶん夜も遅くなっちゃったね。どうもありがとう、兼さん」
「いいってことよ。それよりこいつ明日はちゃんと休ませろよ。見張ってねえとすぐ抜け出して仕事だなんだと動こうとするからな」
「大丈夫、僕と山伏兄さんとでちゃんと目を光らせてるから。二人がかりならさすがの兄弟もかなわないでしょ」
笑顔のままぐっと腕を力を込めて上に掲げる。和泉守は背中で何も知らずに眠りこける山姥切に心の中で同情した。
(お前もずいぶん兄弟に振り回されてるみてえだなあ。国広の奴も穏やかそうに見せかけて俺にも手におえねえぐらい強情だからな。ま、頑張れよ)
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